Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
立夏
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    5月5日は『立夏』、

    皆さんは立夏と聞いて、どんなイメージをお持ちになりますか?

    爽快感のせせらぎ、青い海、青葉、躑躅(つつじ)、芝桜、時鳥(ほととぎす)、etc・・・

    走り梅雨、なんていうのもありますが、概ねプラスイメージ、

    心地良い言葉であると感じます。

     

    時おり、言葉の“プラスイメージ”“マイナスイメージ”というようなことを申し上げておりますね。それはやはり、‘文化的な生活’に必要不可欠であり、“プラスイメージ”の言葉をたくさん共有することによって、商品の長所がいっそう分かりやすくなると信じているからなのです。

     

    たとえば『病院』と言う。

    今でしたら誰しもがコロナのことを思い浮かべ、集中治療室の映像なんかをイメージする。『病院』の話の続きが、知人の息子が2,3年前に闘病生活をしていて回復して退院して、お世話になっていた同年代の看護婦さんのことが忘れられず、連絡を取って交際を願ったところ目出度く恋が成就して、ついにゴールインした・・・なんていうことであっても、その後、彼の病気は再発したりしなかったのだろうか、とか、コロナ禍に巻き込まれたりは大丈夫なんだろうか、、、なんていう詰まらぬ心配をしてしまってね、100%心から祝福とは行かないのも事実で〜

     

    逆に、『神社』と聞きますと、

    思い浮かぶのは、初詣であったり、結婚式であったり、お宮参りであったり、七五三であったりと、“めでたいづくし”、

    100%プラスイメージの映像ばかりですね。

     

    言葉の“プラス、マイナス”のイメージっていうのはホント重要、

    イメージを誤って使いますと、使い手の意図が通じないというだけではなく、

    支持されない、あるいは、反感を持たれる、ということにも。

     

    昨日の首相の『緊急時代延長宣言』、

    予想以上の空虚、事前の予測以上の酷さに、呆れを通り越して怒りさえ、

    という方が圧倒的なのではないかと思います。

    『断腸の思い』、、、何が!?!

    断腸っていうのはそんなに軽いものなのか、

    本来、身を切られる以上に痛みを感じるもの、死ぬ思いをするのが断腸なんじゃないの。

    首相の言ってることは99%が精神論でしかない。

    『あらゆる対策を』と言いながら、

    これまで全く何一つとして実行されてまへんな。

    10万円なんていつ貰えるやら分からんし、

    イの一番に言ってた『アベノマスク』は配られる気配さえなく、首相が我慢して極小マスクを付けているのを見るにつけ誠に苦々しく感じるだけ。

     

    それにつけても、昨日の首相の演説、

    『新しい生活様式』

    なんじゃ、これ!?

    前代未聞の噴飯もの!!

     

    誰や、こんな国家的危機の状況において、全く見当違いの言葉を堂々と書いて平気なバカ官僚は!

    それを大して考えもせずに使う首相もアホやけどね。

     

    『新しい』という言葉は、皮肉に使われることなしに普通に使えば100%プラスイメージでありましょう。

    そして、『生活様式』という言葉も、江戸期や明治大正には絶対に使われていなかった日本語。恐らくは昭和の後期、いや末期ごろに一般化した言葉ではないかと思われますね。ですから『生活様式』という言葉には“新しい”という意味も内包されているのではないかと思います。

    『生活様式』というのは、

    軽く言えば、個人の価値観と嗜好、物の見方のことであり、

    深く狭く考えれば、行動原理のことであり、

    現代においては特に、余暇の時間、仕事以外の時間の有益な使い方に重きを置いている姿勢であり、

    ほぼほぼ100%プラスイメージの言葉であります。

     

    コロナ禍の折りに、お上から『こうしなさい』と言われることが『新しい生活様式』ではない!

    馬鹿め!!

     

    30秒間手を洗え、

    四六時中マスクしろ、

    他人と離れろ、

    3密避けろ、

    パチンコやめろ、

    居酒屋に行くな、

    買い物は一人で行け、

    短時間で用事を済ませろ、

    都道府県境を越えるな、

    集うな、

    家で過ごせ、

     

    こんなことが生活様式なんて笑わせる、

    “おぞましい”ばかりの『べからず集』、

    江戸時代の『武家諸法度』にも並び称されそうな、

    『令和平民諸法度』

    ではござらぬか。

     

    そんなクソな『ご法度』を、

    『新しい生活様式』なんていうプラスイメージの言葉で糊塗して、

    国民を誤魔化し、

    実際のところは、

    我々を大人しく『従わさせる』ということに他なりませんな。

     

    よく考えてみるまでもなくこれは、

    ホント江戸期に戻ったような生き(息)苦しさ、

    って、江戸期には生きてないけどね、いや、ひょっとしたら江戸期の町民の方がもっとマシだったのかもしれない、なんてね、最近は思えるようになりましたよ、なんぼ江戸幕府が力持ってたと言えども、庶民の楽しみを取り上げるようなことはしなかったはずだから。

     

    『国家的危機』と言いながら、

    あまり危機とも感じてないのが首相を始め閣僚、官僚、そして国会議員たちでありましょう、彼らにはまるで切迫感というものが感じられない。

    大阪府の吉村知事を見ろ、

    『吉村、寝ろ!』と言われるほどの八面六臂、

    1年前に比べると明らかに頬がこけている。

    吉村クンのような男が国会周辺に存在しているか?!

    否、全く否、でございますね。

     

    100歩譲って『新しい生活様式』とやらを“ありがたく拝受”いたしましたとして、はて、それで我々は本当の生活をして行けるのかどうか?

    政府の言う『新しい様式』は理解しても、『生活』が抜け落ちてしまうことを一体どうしてくれる。

     

    これに関しての回答は全くと言って良いほどありませんな。

    『言うこと聞いとけ』の一点張り。

    マスコミの非難も全く迫力を欠く。

    ひょっとしたら首相は図に乗って、近年の地震や洪水による被災者が未だ仮住まいしている姿を『新しい生活様式に順応している』なんて思っているのではないのかな。

     

    首相は、『対策費の合計は118兆円』と言ってるけど、

    その中身には笑ってしまう。

    『真水(政府が実際にゼニを出す事業)』は、たったの十数兆で、

    あとは、税金の納付を1か月ほど猶予することや、民間からの融資を促進すること等が大きな金額ですぞ。これらってね、どれほどのものとなる?!

    税金を半分にしてくれるって言うのなら意味もあるけど、たったのひと月猶予というのは、最初の期日に準備していた者にとっては逆に面倒なだけ、単なる有難迷惑。

    一連の対策とやらは、ほとんどが“まやかし”、数字のマジックに他なりません。

     

    『諸法度』を大きく掲げるだけで、出口戦略も示せず、ゼニも出さない、

    対策は先送り、大して議論もせずに、フリだけしてる、、

    今の国会議員や官僚っていうのはホント楽な仕事ですな、

    首相を始め政府関係者は、結局のところ、責任逃れのための方便に徹しているだけ、

    胆力、肝なんて蚤(ノミ)のようなもの、そして心臓(晋三)は“チキン”だ。

     

    そんなゲームがあるのかどうか知らんけども、

    『国会ゲーム』があれば、登場人物総入れ替え間違いなしですな。

     

    さてまあ、政府、“お上”を罵倒する言葉なんてそれこそ腐るほどあるけども、

    いつまで言っていても仕方ありませんな。そう、非難するのは誰でもできる・・

     

    UKI氏はこの際、本当の『新しい生活様式』というものを考えることが非常に有意義ではないかと思っております。

    『コロナ後』、世界と日本がまた元に戻るかと言うと、絶対にそんなことは有り得ない。倒れたものが簡単に復旧しないだろうし、それが消えてなくなることもたくさんあるでしょう。また逆に、コロナ禍によって現れた新しいビジネスモデルも色々ありますね、それらが『コロナ後』に大きく発展することもあるでしょう。

     

    何が消えて何が進化するのか、、

    それを考えながら、本当の意味での『新しい生活様式』を想像してみまするに、

    やはり形のある物は強い、

    形がある物がこの先も存在し続けるであろう、ということ。

    一方で、“サービス”というものの有り方が大きく問われる時代が来るのであろうということが容易に想像されますね。これまで“良い”とされてきた『ハイタッチ』なものが嫌がられるというケースも増えるのではないかと思いますし、タクシー・ドライバーによる買い物サービスなんかは流行るのかもしれないし、介護の現場での工夫も凝らされるに違いないし、通販サイトはますます興隆することでありましょう。

     

    『生活様式』という語は、オーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラー(1870〜1937)によって誕生したと言われておりますね。

    当初の意味は、

    「幼児期に確立された人の基本的性格」

    なんだとか。

    たとえばUKI世代から上の者であったなら、畳や障子のある和室の生活を懐かしみ、囲炉裏端などに郷愁を覚え、そのような物が存在する古民家での生活に憧れることを言うわけですな。

    これが、日本語訳の四字熟語の漢字通りに、

    「生きる方法、様式、形」

    という広義で論ぜられるようになったのが20世紀も後半になってからのこと。

     

    そして、現代において『生活様式』と言えば、前述いたしましたが、

    《消費者行動、消費者によって選択される商品》

    を言う場合が一般的になっている訳です。

     

    もうひとつ言えば、

    《消費者行動》が、幼児期に確立された性格に基づき、

    個人の自己イメージの表現とみなせばですね、

    我々の世代も今の小学生の世代もほぼ等しく、

    世界に存在する“美”を十分に意識しながら幼児期を過ごして成長したのであって、

    そういう意味からも、

    ダイヤモンドやジュエリーは、『本当の新しい生活様式』にも十分に適合してゆけるのではないかと信じております。

     

    日本は欧米に比べると遥かにコロナ禍に対して安全な国であるのに、

    どうしてこんなに“あたふた”とするだけで、何も対策が進まないのか?!

    本来なら、こちらが同情してあげるべき海外のサプライヤーから『おい、大丈夫か?!』と心配されている有様、

    昨日もメールで『日本市場には当分の間、商品は不要だな』なんて言われてしまいました。

     

    何か本当に変な感じ、

    今、我々日本人は、コロナ禍との戦いと同時に、

    『ご法度』を連発し続けるだけの政府に対して、

    これまでの『生活様式』を守る戦いを行わないといけないという理不尽に直面しているわけですね、

    考えていると全く馬鹿らしい。

     

    このページの読者の皆さんの生活様式を守る手立てはこれしかない、、

     

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    | ukitama | - | 16:43 | comments(0) | - | - | - |
    ダイヤモンド今昔物語ーその19
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      1995年1月18日午前11時、原田商事大阪支店の支店長、堂前は、機上の人となって関西空港から離陸した瞬間だった。機首を大きく上げながら上昇してゆくKLM機の右側には、大小数えきれないほどの噴煙が上がっていた。信じられない光景、神戸の街は一体どんな有様となっていることだろう、胸が張り裂けそうな思いであった。

       

      前日の早朝に神戸を襲った地震が、あたかも巨大な恐竜がのし歩いたかのような爪痕をつけていた。地震の直後に発生した火災は、消火活動が遅れるか全く不可能なものが大半で、完全に焼け落ちてしまって鎮火したところを除けば、ほとんどのところでまだ燃え続けていたのだった。堂前は、こんな折りに海外買い付けの予定が入っていて、なんとか出発できたことが果たして良かったのかどうか、まだ計りかねていた。震源地の神戸沖からは比較的距離のある大阪府南部に住む堂前の家でも大きな揺れを感じたが、幸いにして、仏壇の蝋燭立てが倒れて畳の上に落ちたくらいのもので、被害は全くなかった。しかしながら、その日の出勤はままならなかった。ところどころしか動いてない私鉄を乗り継ぎ、何とか大阪市内までたどり着いたものの、地下鉄が全く動かず、30分ほどの徒歩を余儀なくされた。大阪市内は、神戸のようなことはなかったが、全く無傷でもなかった。銀行の店舗の窓ガラスが割れて道に散らばっていて、ゆっくりと歩かないとケガしそうな箇所があったし、看板が落ちているところもあった。やっと原田商事大阪支店が入っているビルに着いたと思ったら、様子が変だった。明らかに中の照明が消えていた、こんなことは過去になかった。ビルの入口の自動ドアはピクリとも動かず、ひょっとしたら手動になっているのかなと思って横に引いたものの、完全にロック状態であった。ケイタイが鳴った。本社からだった。

       

      「はい、堂前です」

      「お疲れ様です、本部長におつなぎします」

      「堂前くん、ケガはないか」

      「はい、なんともありません」

      「良かった。無事でなにより、ホッとしたよ。今どこ?」

      「支店のビルの前です。入口のドアが開かなくて、入れないんです」

      「まさか傾いているとか、、、」

      「いえ、それは大丈夫です。多分、電気系統がおかしくなっているだけだと」

      「社員はキミの周囲にいるのか?」

      「いえ、誰も。私も今ここに到着したばかりで。地下鉄が全く動いてないんですよ」

      「そうか、それは大変だったな。キミのケイタイから社員の全てと連絡を取るのは大変だろうから、こちらで手分けして無事を確認しておくよ。キミはこれからどうするつもりなの?」

      「とりあえず、ビルのメンテしている会社を訪ねて、なんとか入れるように・・・」

      「そうだな、全てはそこからだ」

       

      10階建てだが、床面積60屬曚匹両さなビルだった。原田商事大阪支店は、その6階から8階までの3フロアを借りていた。なんとかビルのオーナーを探し出して連絡がつくまで1時間、そしてオーナー氏が駆けつけてくるまで更に1時間を要した。気分と同じように、どんよりと曇った空の下、しんしんと冷える空気の中、堂前はずっとその界隈に立っているしかなかった。気が付いたらもう午後2時になっていた。本社に電話したら社員全員の無事が確認されたということだった。非常階段を使って6階の部屋に入ると、いくつかの書類が床に散らばっていた。電子秤がデスクの端から落ちそうになっていた、テレビで見た高速道路の光景が重なった。7階に上がると、大きな金庫の位置が20僂曚疋坤譴討い拭C忙或佑かりでようやく少し動かして位置を変えたことがあったほどの重量だったのだ、思わずその場に立ち尽くした。8階の自分のデスク周囲がやはり一番荒れていた。元の場所にある物は皆無と言ってよかった。いずれにしても、電気系統が復旧しないうちは仕事にならない。それが済んでオフィスの片づけをやって、元の業務に戻るまでは3,4日かかるのであろう。その折りに不在となることは支店長として心苦しいことだったが、堂前は海外買い付けを優先することにした。老練な支店次長の世古がちゃんと後始末の指揮を執ってくれるだろう。買い付けに必要な書類やツールをカバンに入れ、堂前は混乱した頭でドアを閉め、カギを掛けたのだった。

       

      KLM機は水平飛行になり、シートベルト着用のサインが消えた。もう神戸の街は見えなかった。ここまで来たからには後戻り出来ない。全ての雑念を振り払って買い付けに集中すべきだった。やはり多くの人がフライトをキャンセルしたか延期したのであろう、ボーイング747の2階のビジネスクラスはガラガラだった。何気に斜め後方に目をやると、堂前とは反対側、左の窓際に“業界人”の板谷の顔が見えた。板谷は堂前よりも一回り上の世代で、板谷が経営する会社は大阪の老舗のひとつだった。堂前はすぐに立ち上がって挨拶に出向いた。

      「社長、お久しぶりです。社長もAntwerpですか?」

      「おお、誰かと思たら堂前クンやないか。相変わらず忙しいこっちゃな。わしはイスラエルや。せやけど、お互いホンマ商売熱心やな、こんな折りに」

      「そうですよね、普通なら買い付け行くの、やめますよね。悲しい性(さが)ですね、お互いに」

       

      板谷に、空いている通路側の席に座るように勧められ、堂前は従った。

      「しかし、こんな時でさえ買い付けに行ってダイヤしこたま見れるっちゅうのは幸せなことやで」

      「そうかもしれません、そういうことはあまり考えてませんでしたけど」

      「やろなぁ、若いからな。わしは学生の時からオヤジの仕事を手伝うてたのやけど、その頃はホンマにダイヤなんて少なかったでぇ。ちょうど二十歳の時にな、昭和41年やけども、心斎橋の‘そごう’で、『大蔵省放出ダイヤ』が売り出されたんや。オヤジに『お前、ちょっと見に行ってこい』って言われてな、行ったら、えらい人や。店に入られへんどころか、そごうの周囲を行列が二重取り巻きや。こんなもん並んで待っても、いつ入れるやら分からん。直ぐに諦めて帰ってきたわ。オヤジに『アカンわ、競争率高過ぎ』って言うたら、『アホか、お前!』って叱られたけど、どう考えても、買うどころか、ダイヤさえ見られへん人の方が多かったんちゃうか」

       

      大蔵省放出ダイヤ・・・・?!?

      第二次世界大戦中、航空機や兵器などの製造に必要だと言って、政府が民間に供出を求めたダイヤモンドのことである。昭和18年から翌年にかけて新聞などで国民に呼びかけ、な、な、なんと、合計約150万個、16万カラットにもなったと言われる。当時のダイヤモンドは、金(ゴールド)やプラチナとほぼ同じような存在、通貨よりも信頼の置ける物と国民に認識されていたのであろう。軍部は当初、大砲や戦闘機に不可欠な部品の代用品としてダイヤモンドを考えていたようだが、実際にはほとんど使われることなく終戦を迎えた。終戦後は、一時期、米軍に接収されたものの、その後返還され日銀の地下金庫に収蔵された。世の中が落ち着き、東京五輪も成功させ、一般大衆の多くが宝石に目が向きだした昭和41年に、個人向けの売り出しが始まったのであった。

       

      CAがカートを押してやってきた。

      「Would you like some drink?」

      「Beer, please」

      「Me, too」

       

      堂前はビールを喉に流し込んだ途端に疲れを感じた。それは、まだ買い付けのための移動が始まったばかりというのに、長い長い旅の後、やっと家に戻った旅人の疲れのようでもあった。板谷は屈託なくビールと機上の時を楽しんでいるようだった。『そう言えば、この人はシワイ(吝い、けち)ことで有名やったな、只なら何でも嬉しい、みたいなこと言うてたな』、堂前は業界人の噂を思い出して少し笑えてきた。板谷の会社の営業マンは、どんなに大口の顧客であっても会社経費による夜の接待は許されず、接待として許可されているのはランチの一人1,500円までということだった。板谷の社員にランチを誘われ、『昼は忙しいから』と断ると、『それではモーニングを一緒に』と言われ閉口した〜というような笑い話も伝わっていた。『ホンマになあ、何が悲しゅうて男と一緒に朝のコーヒーをともにせなアカンねん』と、また笑えてきた。

       

      「なに笑ろてんねん?」

      「いえ、あの、その〜・・うちの社員がね、昭和の終わり頃ですけども、海外出張に出発する時に、成田で弁当と缶ビール買うて、こういうタイミングで食べだしたら、CAに見つかって叱られて、弁当と缶ビールを取り上げられた、っていう話を思い出しましてね」

      板谷に、心の中を見透かされたのかと堂前はヒヤリとしたが、なんとか切り抜けた。

      「それって、ひょっとしたら、矢沢クンのことちゃうか?」

      「ご存じでしたか、本人が言うてましたか?」

      「いや、初耳やけどな、なんや矢沢クンと直ぐに重なったわ」

       

      4年前の湾岸危機の折り、かなりヤバくなるまでTel Avivで買い付けしていたのは矢沢だけではなかった、板谷もその一人だった。板谷とはTel Aviv、Ramat-Ganのレストランでよく顔を合わせていたことは矢沢から聞いていた。

       

      「矢沢クンは元気なんかな?」

      「あいつが元気なくなるようやったら他のもん皆ICUに入ってますわ。そのへんは板谷社長と同じちゃいますか」

      「また人を野犬みたいに」

      「いやいや、その通りでしょう」

       

      機体が右旋回のあと左旋回になった。板谷の顔の横の窓からは能登半島がクッキリと見えた。この飛行コースは初めてのような気がした。

      「地図と一緒やな」

      板谷も堂前と同じことを思っていたようだ。

       

      「ところで、社長は大学卒業した後、すぐに家業に入らはったんですか?」

      「そのつもりやってんけどな、オヤジが『この商売も先行き読めんから、ワシが元気なうちに、よそのメシ食うてこい』言うから、商社に入ったんや、、よりによって安宅産業にな」

      「それって、倒産した総合商社ですよね」

       

      安宅産業は、昭和の半ばから50年代にかけて、“物産”“商事”を始めとする10大商社の一角を占めていたが、1975年、カナダにおける石油精製事業の失敗により巨額の損失を出し、資金繰りが悪化、自転車操業となって、ついに1977年、伊藤忠に吸収されて消滅したのであった。

       

      「ワシが安宅に入ったのは昭和43年(1968年)やけど、そのころ既に腐りかけとったんや。そんなことも知らんとなぁ、ホンマにアホやったわ」

      「安宅には何年?」

      「丸5年。よう我慢したわ、5年も。今で言う“Black”や、しかも超が付く」

       「どんな部署で仕事してはったんですか?」

      「地下資源関係や。入社して半年も経たんうちに、『天然ガス開発事業を監督してこい』と言われてな、インドネシアに飛ばされて、訳の分からんままに8ヵ月もおったわ、ジャカルタから船で何時間もかかるクソ暑いところやった、まるで南方戦線の出征兵士やな」

      「まさか、ヘルメット被ってツルハシ持って、ドカチンやってたとか??」

      「そう、全くその通り」

      「そんな、アホな!」

      「冗談みたいなホンマの話や。当時の商社マンには、その種の作業も当たり前のように思われてたけどな。ワシの場合は、ガス田開発したのに、天然ガスを積み出す港湾までのパイプラインが未整備で、パイプライン敷設作業に関係する諸事の調整が主な仕事やってんけど、いつの間にやら現場の最前線に立たされとった。立ってるだけならええけども、重機が入らん箇所がいくつもあってな、その都度ドカチンやで。現地で雇った土木作業員は、日本人の現場監督が動かんことには仕事せんのや、ホンマ難儀した」

       

      堂前は、吝い(しわい)とばかり思っていた板谷を少し見直した。戦後の日本の復興と発展は総合商社の活躍なくしては有り得なかった。板谷は、“株式会社日本”の尖兵として世界中に送り込まれた“戦士”の一人だったのだ。

       

      「しかし、石油ショックがあったとは言え、総合商社がそんなに簡単に消えてなくなるものなんですか?」

      「そこや。創業者のアホな長男が世襲したのが全ての間違いやな。あんなボケ、カス、あんまりおらんでぇ。大卒の初任給が4万や5万や言われてる時に、年商1兆円超えてる企業動かしてたんやから、そりゃまあ勘違いしても無理はないけどな。それにしても、どアホの2代目は、会社のゼニで美術品買いまくって、、、キミもちょっとは聞いたことがあるやろ、安宅コレクション」

      「あ〜そうでしたね、中之島の中央公会堂の隣の」

      「そうそう、それそれ。東洋陶磁器美術館。膨大な安宅コレクションを展示するために大阪市が建てたんや」

      「呆れて言葉もおまへん」

      「その息子、3代目も負けんくらいアホでな、親父が陶磁器なら俺は車や、言うて、クラシックカーを数十台買い漁った」

      「うっ、へっー」

      堂前はビールのグラスをひっくり返しそうになった。

      「諫言する番頭さんとか、いてなかったんですかーー」

      「そこやがな。普通の大企業なら銀行が入って来てトップの首をすげ替えて資金援助して立ち直らせる。けどな、安宅のバカ殿の周囲には、その数300とも500とも言われた“家臣団”がおってな、そいつらがまた利権集団に成り下がってたということや。こんな会社、銀行が支援すると思うか」

      「なるほど、よう分かります。どうせなら、世界中から超弩級のダイヤを買ってコレクションして欲しかったですよね、市立美術館が盗賊に狙われるほどの」

      「買うとったやろ。ダイヤや宝石類はどうせクソ親子の懐(ふところ)にしっかりと確保されとるに違いない」

      「そりゃそうですよね」

       

      CAがまたカートを押してやって来るのが見えた。食事の時間が来たようだ。堂前は、『それではまた』と板谷に言って自分の席に戻った。支店長に昇格して初めての買い付けだった。板谷と話して、かなり平静を取り戻したものの、神戸の街がやはり脳裏から離れなかった。震災に動揺して買い付けに失敗するなど有り得なかったが、出鼻をくじかれたというようなものではなかった、暗闇でいきなり殴りつけられたような気分だった。こういう折りに、原田社長や松岡本部長と何か仕事の話でもできれば少しは気持ちがリセット出来るのではないかと思った。しかし、そんなことを思う自分は、かなり甘えた存在なのだろうとも感じた。改めて自分が大阪支店長に抜擢されたことの意味を噛みしめた。堂前は37歳になったばかりだった。アッと驚く人事が多い原田商事の中でも、かなり“驚愕度”の高い抜擢だった。支店長になるまで、堂前は管理職ですらなかったのだ。

       

      お互い全く何も知らされることなく、支店次長に昇格することになる世古とともに呼び出され、新幹線に乗って東京本社に向かったのは2か月前、11月半ばだった。大阪支店長の吉田は、体調を崩したままひと月以上出社できず、ついに12月15日をもって退職することになったのだった。支店次長は長らく空席で、世古がその代理を務めていた。世古は、転職してきた元銀行員の経理マンだった。原田に入社したのは堂前とほぼ同時期で、今年55歳のはずだった。大阪支店の経理を一手に任され、仕事は手堅く、細かい経費諸々の管理から得意先の信用調査や与信管理まで広い守備範囲を任されていた。東京に向かう新幹線の中で堂前は、『世古さん、支店長就任おめでとうございます』と言ったら、世古は真剣に嫌がっていた。『ちょっと待ってくれよ、なんでワシやねん、経理マンがトップになったら営業マンたちの‘やる気’を削いでしまうでぇ』と言って心配していた。いつも冷静沈着な世古でさえ、堂前が支店長になるとは夢にも思ってなかったようだった。『ところで、堂前クンは何用で本社に?』と聞かれ、『ひょっとしたら、どこかの駐在員に飛ばされるのかもしれないですね。僕もイヤですよ、嫁はんも子供もいてるのにインドやイスラエルに行かされるのは。そんなとこ、単身で行かなアカンやろし』、、、などと言っていたのだった。本社に着くなり社長室に通された。ドアを閉めて前を見ると、社長と本部長、そして何人かの役員が揃っていた。『これは一体、何事?!?』と急に緊張してきた。本部長が一歩前に出て言った。

      「それでは辞令を交付します。名前を呼ばれたら、社長の前まで進んでください」

      「堂前清」

      「はい」

      「大阪支店、支店長を命ず」

      「えー?! なんですって??! まさか、、ウソ、でしょ???!」

      「ホンマや」

      と原田が言って、役員たちから笑い声が漏れた。

       

      そのまま会議室に移動して、濃密なミーティングが始まった。

      「堂前クンにとっては青天の霹靂以外の何物でもないと言うか、そんなありふれた表現では全く足りない不測の事態だろうが、不思議なことに、役員の反対は全くなかった。いや、反対だ、ほとんどの者が積極的な賛成だった。だが、この人事の発案者は私ではない、全く珍しいことに松岡本部長だ。では、本部長、人事の要諦を言ってやってくれ」

      松岡が大きく咳払いした。

      「全く珍しいとは大いに気に障る表現ではありますが、、、確かに私は頭が固いことで有名で、社内がアッと驚くような抜擢人事は常に社長からの発案でした・・・、今回、堂前クンを・・・」

       

      とかく“まとまり”に欠け、チームプレーが苦手、個人プレーに走り過ぎと言われている大阪支店だった。吉田支店長が病を得て出勤が遅れがちになると、それはいっそう顕著になったのであった。

      「支店の約半分が堂前クンよりも年上の社員だから、堂前クンに上からの強い指導力を発揮してもらうことを望んでいる訳ではない。バランス感覚に優れ、周囲が良く見えているサッカーやラグビーの背番号10番の役割を担って欲しいと思っている・・・・・・

      ・・・そう、支店をOne Teamとして機能させることが出来るのは堂前クンだけだと判断した」

      「松岡、“One Team”なんて、そんな斬新な言葉、誰が言ってたんだ?」

      原田の横槍に松岡は一瞬、ムッとなった。

      「私のオリジナルです」

      「それこそ、ウソやろ」

      「まあ、いいでしょう、21世紀になったら小学生でも言うようになりますよ」

       

      何度か寝て覚めてを繰り返しているうちに、いつの間にやらKLM機は下降体勢に入っていた。フラットな大地を縦横に延びる運河がカチンコチンに凍結しているのが見えた。『Amsterdamの気温は氷点下10℃・・・』という機長のアナウンスに思わず身震いしてしまった。スムーズにTouchdownして駐機場に移動するまであまり時間を要しなかった。二階席から下り、到着ロビーに出てきたところで、現地のマスコミであろう男に呼び止められた。『地震の話を聞かせてくれ』と言ってきた。『神戸の街が燃えていた』と言うと、『そんなことはテレビで見て知っている。個人的な体験を』と言われ、『そんなこと急に言われてもなあ』と考えていたら、『OK, Have a nice day』と、他の者のところに行ってしまった。Tel Avivへ向かう板谷と別れ、堂前はEU域内の乗り継ぎ便発着エリアに向かった。欧州大陸時間午後3時だった。緯度の低い真冬のオランダは、もう十分に夕刻だった。あまり明るいとは言えない長い連絡通路に、光が平たい板のような形に射し込んできていた。皮肉なことにその光景は、海の底のように静かで平和であった。

       

          ― 続く ―

       

       

       

       

       

       

      | ukitama | - | 16:43 | comments(0) | - | - | - |
      超逸品!!
      0

        コロナ禍の折り、

        日本の主要都市の代表的な繁華街の人出は7割から8割の減少になったとか、

         

        心なしか天候まで不順のように感じますね、

        まあ概ね晴れで、気温もそれほど低いということもない大阪なんですけども、

        何かその、暮春らしくないと言いますか、

        4月の末近くになってまいりますと普通は、昼間に肌寒いなんてあまり感じないはずなのに、何故か室内でもジャケットを羽織りたくなりますね、、

        ホント心の持ちようというのは怖いものです。

         

        まだ時期尚早、と言われるかもしれませんが、

        ウッキーは、コロナを恐れるよりも、コロナと戦い、コロナとの共存を考えるべきだと思います。

        どう考えても、コロナを完全に封じ込めるのは不可能ですし、

        年寄や難病に罹っている人は別にして、これまで普通の健康体であった人がコロナに罹患しても、通常の病と同じ扱いにすべきなんじゃないかと。

         

        とりあえず、5月の連休明けまで、というコンセンサスは出来ておりますが、

        5月6日になって収束しているかと言うと、常識的に考えて全くそんなことは期待できないですからね。

        そうなると、次はいつまでなのか、更にひと月なのか、ふた月なのか、、、

        ふた月ということになると、もう夏ですよ、夏になっても皆で暑いめしてマスクして、それでも不十分と家に籠るのか? 

        さあどうなる?!? 

        エアコンの使用で電力不足、時には停電ってことになって、

        コロナ以外での体調不良が激増、

        もう国中にっちもさっちも行かなくなる・・・・

        それで良いのですか?!

         

        幸いにして、と言うべきでありましょう〜

        アメリカでは、“がんじがらめ”の規制に対しての大きな反発が出始め、ジョージア、テネシー、サウスカロライナなど6つの州で企業活動が再開されるのではないかという観測がなされ、トランプ大統領もそれを禁ずるようなことはしないであろうと見られておりますから、ひょっとしたら、アメリカではコロナ禍をある程度覚悟のうえで、わりと早い時期に、ほぼ全土での経済活動の再開に動くのではと期待されておりますね。

         

        しかしまあ、いつものことながらの“想定外”、

        残念ながら我が国では、前例のないことに首相を始め閣僚たちが右往左往、官僚たちは責任逃れの方策を考えるのみ、野党はここぞとばかり、コロナを奇貨としての政府非難ばかり・・・・

        現在、国会付近にいるのは無能な奴らばかり、というのが良く分かっただけのコロナ禍・・・・・

        せめて、国民の“生殺し状態”だけはおやめいただきたい!

        これは恐らく、無理な注文なのでありましょうが〜・・

        コロナと戦い、うまく共存できる“適度な”距離感の構築を!!

         

        ―――――

         

        さて今日は・・・

        こんな折りにも関わらず、

         

        皆さんに“超逸品”のご紹介、

        じゃジャーーン!!

         

         

         

        0.52crt Fancy Intense Green Blue VS1 GIA鑑定書付き

         

        今、日本にあります。

         

        How much?

         

        税込み9百、、行かない!

         

        8、・・・、000円

         

        魅力的でしょ。

        ご注文お待ちしております。

         

         ・・・・・

         

        われの目は今日もわが顔あることを忘れ

        青葉のさやぎに遊ぶ

         ― 栗木京子(1954〜)―

         

        美しいダイヤを見ている自分の目を意識したことがありますか?

        美しいダイヤを見ているうちに、美しいダイヤの目を意識することもあります。

        そして、美しいダイヤを見ているうちに、

        はたして本当に、ダイヤがこんなにも美しいのか、

        自分自身の目が間違っているのではないのかと、

        時間が止まった瞬間、

        を感じる時。

         

         

         

         

        | ukitama | - | 16:59 | comments(0) | - | - | - |
        しっかり営業してます!
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               さくら餅 うち重りて ふくよかに

                   ― 日野草城(19011956

           

          和菓子っていうのは京都生まれが多いそうですね。けれど、桜餅は江戸生まれなんだとか。享保二年(1717年)、餅屋の主人が、墨田川沿いの桜の葉を塩漬けにして、それを餅に巻いて、向島長命寺の門前で売り出したのですな。それが大ヒットして現在に至る〜ということなんですが、面白いことに、今では、江戸風(関東風)と、京風(関西風)、大きくふたつに分かれているのだそうで〜女性の方は良くご存じのことと思います、、、薄く焼いたクレープ状の生地で餡子を包んでいるものが関東風、もち米のつぶつぶで餡子を包んでいるのが関西風〜・・・

          2週間ほど前、テレビでやってましたが、そのボーダーがどのへんなんだーーーと、関西のあるテレビ局が調べに出ましたところ、浜松の東あたりでしたね、でも、静岡県の和菓子屋は、関東風と関西風、両方を販売していると言うところが多かったですな。しかし、何か変な感じもしますね〜江戸の餅屋がオリジナルで作った桜餅なのに、江戸の桜餅はクレープなの??

          ますます謎が深まる??!

           

          大阪の桜も完全に終わってしまいまして、葉桜を待つばかり、

          今の桜の木って言うのは、寂寥感とも言えず、ホント無残で、かわいそうという感じ、早く萌え萌えの季節がやってきてほしいものですね。

           

          さてまあ、桜のあとの“空白期間”、そしてコロナ禍、

          心が沈みがちなのは致し方ないですね。

          そして、ジュエリー関連のお店も一時休業を余儀なくされているところが多いようですね。

           

          しかし、

           

          こんな折りでも、

          当店はしっかりと通常通りに営業しております。

          どうか皆様、

          ご遠慮なく、お問い合わせくださいますようお願いいたします。

          ウッキーは、もう2か月近くも、電車にもバスにも乗らず、夜遊びもせず、

          余暇はひたすらに読書とジョギング、

          “超健康的”な毎日を送っております。

          ウッキーには、コロナの死滅したウイルスさえも近づくことはありますまい。

          どうかご安心ください。

           

           

          ・・・というところで、

          今日もまた下らぬお話を・・

           

          ますます商品調達が難しくなっている現状ながら、

          UKI氏は一生懸命に“より良い商品を安く”仕入れようと努力している姿をお見せしようかと、、、

          比喩です、もちろん、文章だけ〜・・・

          タフな外国人とのやり取りを少し、、この数日内のメールです。

           

          先方から、

          『Thanks for your price increase , however I would like to make a few comments :
          (指値を)上げてくれてありがとう。しかし(まだ不十分なので)、ちょっと言いたいことがある。


          The fancy intense blue green is cheap and I am happy to sell cheap to you since you are working hard and paying always cash.

          このFancy Intense Blue Greenは安い! キミは(UKI氏)は働き者だし、(売買が成立すれば)すぐに入金してくれるから、キミに安く売れることは私にとっても嬉しいことなのだ。

           

          So I can make it $------- for that.
          Nobody saw it before .

          だから、$・・・・で!

          誰も(同様の商品を、こんな安い価格では)見たことがない!』

           

          Fancy Intense Blue Greenを買った時のやりとりの一部です。

          ウッキーが、かなりきついめのOfferと辛口のコメントをしまして、それに対して上記のようなメールが来まして、これで簡単に先方の言うことを聞きますと、あとあとまた尾を引きますから、相手の言ってることはまあほとんど無視と言いましょうか、そんな難しい英語は分からん〜みたいな感じで受け流しまして、また少し価格を上げて再Offerした訳ですが、

          それに対して言って来たメールが以下のもの〜

          『To spend 1 month in India and to Go and buy directly in the factory is more dangerous or as dangerous than Corona virus.

          インドの(ダイヤモンドディーラーではなく、ダイヤを研磨している)工場に直接に買い付けにいって 1か月を過ごすことは、コロナウィルスよりももっと危険なことだ。


          Still so many cases of Malaria in India and you can easily die from it ,   and so many people who went to India have stomach pain all their life .

          まだマラリアに感染して命を落とす人も多いし、インドに滞在中ずっと胃腸の具合の悪い者も少なくはない。
          So please consider .
          よく考えてほしい!』

           

          この前にもお話しましたが、

          現在の日本のダイヤモンド輸入屋は、もうほとんどがインドの業者に頼り切り、インド人なしには商売が成り立たないというようなことになっております。

          しかし、

          インド政府が全国民に外出を禁じてしまいまして、ダイヤの商いやCut & Polishは完全にストップしております。ニュースでご覧になった方も多いでしょうが、インドの警官は怖いね〜パトロールしていて、外出している者を見かけると、持っている細いステッキのようなもので叩いたりしている。時には罰として腕立て伏せやスクワットをさせたりね〜、、映像で見て、マジかよ!?と笑えてきた人も多かったのではないかと思いますね、日本では有り得ないことです、そこまでするか〜ってね。

           

          いずれにしましても、

          これまでインド行ってGreenやBlueを買ってきたというのに、まるで入らなくなって、どうしようと、それでも日本で売ってゼニにしないといけない、ということでのUKI氏とのNego、上記のようにホント色んなことを言ってくる。なんでマラリアが出てくるんだ? 胃腸の調子が悪い?! そんなことどうでもええやろ、ってね。彼はちょっと喋りすぎと言いますか、不要なことを言いすぎですな。上記のようなことを言われて、『そうか、それなら』と簡単に買ってしまうのはマイナー・リーグ、二軍選手です。全くね、UKI氏に対して、上記のようなことをグダグダと並べるのは失礼ですし、『ホンマ頑張るね〜』と笑えてくるだけ。


          ・・・ということで??

          このNegoは、最後には少しだけ譲歩したものの、

          かなりUKI氏が望んだ価格に近いところでめでたくMazal(契約成立)となったのでした。

           

          ところで〜

          まだ少し続きがある・・・

          このところUKI氏があまり扱ってないYellow系を買えと迫ってくるのですーー

           

          『To come back to yellows even now A co. bought yellows because shortage of goods.

          また黄色の話に戻るが、品薄の折り、A社(大阪のとある大手)でさえも最近はYellowを買っている。』

           

          以前から何度も何度もしつこく言ってきているけど、ウッキーもYellowは全くやらないことはなくて、今年に入ってからも何個も売ってますけども、上記のようなことで、(誰もが大量に扱い出したということで)全く興味が失せてしまいました、逆にやらない方が賢明、、価格競争に巻き込まれるだけ。いえ、価格競争したって良いのです、勝てたらね。しかし、物量がものを言うのでしたら、大手に勝てるわけがない、また、在庫して残ったらどうするの!という大きな不安がある。PinkやBlueやGreenのように希少品なら良いですよ。市場に大量に存在する商品を在庫してどんな意味があるのかってね。大量にあるということでもう既に“宝石”とは言えなくなっているのです。

           

          UKI氏は、難しくとも、高くとも、Pinkを始めとする美しいカラーダイヤ、

          特にBlueとGreenに力を注いで行きたいと思っておりますよ。

          ご声援よろしく!

           

           

           

           

           

          | ukitama | - | 16:39 | comments(0) | - | - | - |
          風にもまれゆく楡
          0

               風だにも 吹きはらはずば 庭桜

               散るとも春の ほどは見てまし

               ― 和泉式部(後拾遺和歌) ―

             

            ―風が桜の花びらを吹き散らかしてしまうことがなかったなら、

            桜花が散っても庭に散り敷かれたままで、春の間は楽しめることなのに―

             

            江戸の桜はもう1週間以上も前に終わっているのでしょうね、京や大坂の桜も散り急いでいる頃、明日明後日にはもうその名残りをとどめるだけになりそうな気がいたします。

             

            コロナ禍の折り、在宅勤務されている方が圧倒的なのでしょうか? 知人が言ってましたが、息子がとある上場企業の新入社員なんだそうで、もちろん出社できず、在宅でパソコンによる研修を受けているのだとか。それがまた結構厳しくて、朝の9時に始まって、きっちりと夕方の5時までなんだそうで〜指導する人たちも大変やろね、今日びのことですから、指導する側からは生徒(新入社員)たちを個々に見られるようになってるのでしょうけども、やはり実際に目の前にいるような訳にはいかないだろうしね、身振り手振りもモニター上では少し分かり難いということもあるだろうし、『ちゃうちゃう』とか、『それは反対向きや』なんてね、大きな声で言ってるケースがしょっちゅうなんじゃないかと、、・・・

            ウッキーもサラリーマン時代に新入社員を教えたことが何度もございましたけども、難しかったのは“ルーペ&ピンセット”、ピンセットでダイヤのルースを摘まんでルーペで見る。この単純な作業がですな、最初はなかなか上手くゆかないのですね、慣れたらどうってことないのですけどね。向かい合って座って、『右利きの者は、右手にルーペ、左手にピンセット』と言いながらウッキー自身も手に持つわけですけども、時おり逆になっている者がおりました。『サウスポーなのか?』と念のために聞きますと、『いえ、右利きです』と答える。少し緊張していることもあるのでしょうけど、UKI氏を鏡に思ってやれば良い〜とかって思っていたのでありましょうね。教える場合はやはり、すぐ横にいて時には手取り足取りが一番効果的です。まあしかし、イロハの“イ”からそんなようなことですからね、いざダイヤを摘まんでルーペの前に持ってくることがスムーズになるまでは相当に時間を要したものでございました〜慣れないうちはお互い本当に大変。指導者の皆さんの忍耐が続くことを祈っておりますよ。

             

            昨日、AGTからFAXが届きまして、何やろと見ましたところ、以下のような文章で・・・(ほぼ原文のまま)

             

            『・・・さて、この度の新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、当社ではお客様ならびに当社従業員の安全確保とお取引先様への安定したサービスの提供のため・・・(中略)・・・4月6日より社員の間引き出社を実施しておりますので、通常より納期にお時間をいただく場合がございます・・・・(中略)・・・何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。』

             

            もともと大して忙しくもないだろうし、ちょうどええやろ〜みたいなことを言っては失礼かと存じますが、、、それはどうでもええけど、

            『間引き出社』ってね、、

            もうちょっとマシな表現ないのかよーーって、思わず呟いてしまったUKI氏でございました。非常に良く分かる表現ではありますけどね、『間引き』の本来は、植物を育てる際の作業ですしね、増え過ぎたものを人為的に減らす行為なのではないのかと・・・それから“転じて”・・・・この先は言いたくはないですよね。もちろん社のリスク管理のために必要不可欠なことではありますが、そこまでマイナスイメージの強い言葉を使う必要性があったのかどうか、こういう時ですから余計にそのあたりの表現には気を配って欲しかったと、ウッキーは言いたいですな。

             

            社員の間引き出社だけなら何てことないですが、、

            ダイヤ業界はホント大変、

            最近の日本の輸入屋は、ほとんどがインドに頼り切り、でございましたから、Mumbaiがロックダウン状態となって、全く商品が入ってこなくなっているのではないかと懸念されますね。『この際、在庫一掃や!』なんて元気良く言えたら良いのですけども、なかなかそんな卸屋や小売店ばかりではありますまい。

            ウッキーはどうしているのか?

            幸いにしてメインのサプライヤーが、ダイヤモンドの現在の一大集積地とも言える香港に長期滞在中で、、、実はその男、香港から出ようか、どうしようか、と優柔不断にしているうちに出られなくなって、今となってはそれが幸いに転じているという・・・・、、お陰様で“潤沢”には遠いまでも、何とかなっております。中国本土が活動を再開し始めているということもあり、これからますます香港には商品が集まりやすい状況になるのでは、という気もしますね。しかし中国本土がまた活発な経済活動になりますと、今度は逆に、そちらに商品が流れてしまうことでの品薄〜なんてことになるやもしれませんけども。

             

            まあ、いずれにしましても、ロックダウンが終了しても、すぐに生産(Cut& Polish)が再開されてたくさんの商品が市場にやってくるということは考え難く、またArgyleも実質的に終わりを告げておりますから、Pinkを始めとするカラーダイヤの供給難はますます進行し、そのうちに純色Blueのように『ほとんどない、全くない』という状態になるアイテムもどんどん増えてくるのではないかと、大いに懸念されるところ。コロナ禍が終了した後、『こんな状況になるのが分かっていたら、コロナ禍の真っ最中に買っておくべきだった』なんてことにも・・・

            いえ、これは皆さんにだけ言っているのではなくて、UKI氏にも当てはまることでしてね、毎日、送られてきた商品を買うかどうか大いに思案中!

            しかしね、このコロナ禍の世界、売り手市場なのか買い手市場なのか、よく分からないところがあります。今日も朝から、1個をね、価格交渉していたのですけども、まずメールでOfferして、それに返事が返って来て、価格がAsking(出し値)とほとんど変わらないから、またメールして、『$○○〇にならなかったらgive upや!』と書いてやったら、早速に電話が掛かってきましてね、『よっしゃ、ブラフが効いた』と思っていたら、ほんのわずかな値引きで、『おいおい、そんな価格では話にならんぞ。こんな折りやぞ、しかも、日本では昨夜、首相が緊急事態宣言をしたぞ!』と言うと、

            『So what?(それがどうした)』

            ですからね。

            そんなふうに切り返されるとは思ってもみませんでしたから、少し間を置いてしまって、、そうなるともうNegoは負けです、結局、ほとんど彼のAskingで買うことになってしまいました〜モノが良いから仕方ない・・・

            そう、どんな時であっても綺麗な物を持っているということは売り手市場なんですな、当店が売り手の場合にはその法則は当てはまりませんけども。

             

            このような時勢になってまいりますと、笑えない話と言いますか、くだらないこともよく起きると言いましょうか、、

            阪神の藤浪もようやく陰性になって退院できましたけども、この阪神若手選手たちのスキャンダルっていうのは本当にファンとしては腹が立つ、軽率も甚だしいですな。しかし、あれだけ集団で会食等は控えろと言われているのに、それを主催した藤浪のタニマチも全くどうかしておるね、お前ホンマにファンか! と、そやつを目の前に置いて怒鳴りたい気分ですな。『タニマチ』の語源が泣くというもの・・・知ってますか、どうしてタニマチなんて言葉が出来たのか・・

            大相撲の世界の言葉であるというのはどなたもご存じのことかと、、

            明治20年代と言いますから、もう100年以上も前のこと、大阪市内、谷町に大の相撲ファンの外科医がいたそうなんですな、病院の経営者であって、相撲好きが高じて病院の敷地内に土俵まで作ってしまった〜、恐らく、自身も多少の心得があって素人ながら強くて、‘マワシ’つけて相撲取ってたのかもしれませんな、、、そんなドクターでありますから、とにかく若い相撲取りを大事にする。ケガの治療は無償でやってあげることなんかは当たり前で、腹いっぱい食わせることはもちろん、『しっかり遊んでこい』と小遣いも与えて、、、ということですな、そう、これが本当のタニマチ。贔屓のアスリートを近くに侍らせて飲み食いをともにするのがタニマチじゃない、そんなもん、ただの自己顕示欲だろ、馬鹿馬鹿しい、藤浪のタニマチだけではなく、そのへんを勘違いしているアホが一杯おるのでしょうな。本当のタニマチが面倒見るのは高給取りじゃない、これから成長してスターになるであろう若手の諸君たちだ、よく覚えておけ、馬鹿者が。

             

            ・・・と言いつつも、高給取りでも若手でもないけど、

            ウッキーもタニマチが欲しいなあ〜

            カラーダイヤのためなら、ってね、ゼニ出してくれる人、いませんかね〜

             

            大相撲と言えば、もう1週間ほど前になるでしょうか、舞の海が産経新聞のスポーツ欄のコラムに書いておりましたね、(語ったことなのかもしれないけど)、『大きな非難を受けることを覚悟で言う、次の大相撲夏場所(五月場所)は、観客を入れてノーマルな形でやれ』と。

            ホントこれは凄く勇気のある言葉だと思います。

            誰だってそう思っているに違いない、けど、絶対に言えない。

            感染を必要以上に怖がるあまり、感染による症状が大したことないのに、健康体とほぼ変わらぬ人をも厳重に隔離して世間から隔絶した生活を強制している、、、毎年、コロナよりも圧倒的に多数の犠牲者を出しているインフルエンザの患者にはそこまでしないだろと。

            もちろん、インフルエンザにはワクチンがあり、コロナにはない、ということが大きいけども、

            だったら、コロナに即効性のある薬品が完成するまで現状のようなことを続けて行くつもりなのか、、

            そうなったら、コロナで健康を害されるよりも酷い事態が到来するに違いない。

            国技の大相撲であるが故に、コロナ禍を考えるよりも、コロナ禍に負けないという姿勢を見せろと。

            全く同感。

             

            しかしね、問題点がひとつ。

            感染してしまうと、プロ野球の登録抹消と同じになるのですね、絶対に出られない。感染は、一時的にしろ、市民権剥奪と同義語。『俺はなんともない、仕事可能や!』と叫んだところで監禁されるだけと言いますか、家族と医療関係者以外誰にも相手にされなくなる、『とんだ厄介者、迷惑者』としての扱いしかされなくなる。仕事や商売なんてもう、もってのほか。

             

            舞の海の言ってることは全く正論だと思うけど、世界の流れが舞の海のような論調を全く受け付けなくなっている。

            ホント残念と言いますか、脱力感ですな。

             

            藤浪クンのようになるのはイヤですから、ベッピンさん好き好きの諸兄も“濃厚接触”を控えておられることでありましょうが、

            春ですからね〜やはり心にキュンと来ると言いましょうか、

            何かそのような春っぽさ、ときめき、必要ですよね・・・・

             

            今日の〆は、こんな歌で〜

             

               鋭い声にすこし驚く

               きみが上になるとき

               風にもまれゆく楡

                ― 加藤治郎(1959〜)―

             

            ♂♀の場面に違いないですな、声の持つ官能・・・

            ところで、

            なんで『楡』なんだ?

             

            楡を検索してみましたら、古代ローマの詩人、オウィディウスの作品が出てまいりました〜〜

            『楡はブドウを愛している

             ブドウも傷ついた楡を見捨てない』

            ヨーロッパでは、楡と葡萄は良縁の象徴なんですな、と言いますのは、

            古代ローマの時代からイタリアでは、葡萄を育てる支柱として楡を使っていたのですね。

            どうやって?

            葡萄畑で、葡萄と楡を一緒に育てる。楡がそこそこの背丈になった時、約3メートルのところで幹を切断し、その切断した下あたりからまた新芽が育つの待って、それを横の方向に伸ばしてやる。それ(枝)が十分に成長すると、それに葡萄の蔓(つる)が絡まる、という訳なんですな。

            上になった女性の乳房は葡萄そのもの・・・

             

             

             

             

             

            | ukitama | - | 16:22 | comments(0) | - | - | - |
            ダイヤモンド今昔物語ーその18
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              1991年4月7日、Antwerpダイヤモンド街、午前11時。アルノンは、オフィスのテレビでBBCのニュースを見ていた。湾岸戦争がようやく終結したという報道にホッと安堵の息をついた。実質的には、約1か月前の戦闘収束で終わりを告げていたが、なかなか矛を収めないアメリカとイラクの間にまた何が起こっても不思議ではなかった。幸いにして、アルノンのコディアム社は、湾岸危機から湾岸戦争へと続く約8ヵ月の間も全く売り上げを落とすことなく、順調な毎日だった。コディアム社は、アルノンの盟友であるエリック・オースティンの事業展開とともに大いに売り上げを伸ばし、その時期がちょうど日本のバブル期と重なったことから、短期で飛躍的な成長を遂げたのであった。数年前、資金繰りに頭を悩ませたアルノンの姿は、遥か遠い昔のことのように思われた。従業員も毎年、一人か二人採用してきたから、コディアム社は合計10名というダイヤモンド業界としては“ちょっとした”規模に成り上がっていたのだった。アルノンは、『名刀』、『懐刀』等と呼ばれたかつての輝きを取り戻し、その上に貫録を兼ね備えるようになっていた。そしてまた、ミカエルも頼もしい青年に成長していた。

               

              ミカエルはその日、25歳の誕生日を迎えていた。日本なら、並みの大卒者がようやく学生気分から抜け出して半人前から一人前の仕事を任されようとしている年齢であるが、ミカエルは既にダイヤモンド業界において、自分の立ち位置を確保し、それをいっそう強固なものとしていたのだった。ミカエルの親分であるアルノンも、もうミカエルなしでの会社経営は考えられなかった。ミカエルの獅子奮迅とも言える仕事なしでは、現在のコディアム社は有り得なかった。インド、Suratでの買い付け、Antwerpダイヤモンド街での販売、etc.,,アルノンが事業を拡大できたのはミカエルのお陰であり、今やミカエルは、アルノンの右腕以上の存在と言えた。また、体型こそミカエルは細身で長身となって、小柄でがっしりとしたアルノンとは全く違うが、顔立ちや顔つきは一段と似て来て、初対面の人からは必ず親子と見られていたし、長年付き合いのあるダイヤモンド街の者たちからも、『やはり姻戚関係があったのだ』と改めて思われることとなっていたのであった。アルノンもミカエルも、お互いに『そうなんだろう、そうに違いない』と思いつつ、もはやそんなことはどうでも良くなっていた、そうであろうと、なかろうと、今更ふたりの“師弟関係”が変わることなど想像できず、アルノンはミカエルにとって実質的に『育ての親』であったからだ。

               

              アルノンは、これまでミカエルに必要以上に厳しく接してきたことを少し後悔していた。文字通りダイヤモンド街の片隅から拾ってきて、雑用係としてオフィスに立たせ、ダイヤモンドのアソーターとして育て、セールスマンとしてダイヤモンド街の中をくまなく歩かせて来たことに、ひとつの間違いもなく、必要以上、ミカエルの働き以上の給料を与えてきてはいたが、優しい言葉なんてほとんど掛けたことはなかったと、若干ながら自分を責めるアルノンであった。

              「ホント、今更だけどな」

              独り言を言いながらアルノンは、隣の部屋にいるはずのミカエルをインタフォンで呼び出した。手狭なオフィスから昨年、いくつも部屋のある広いオフィスに引っ越したばかりだった。アルノンとミカエルは重厚感のあるデスクがある個室を使い、3人のマネージャーにもそれぞれ接客商談用の部屋を与えていた。極めて機能重視のオフィスであり、アルノンが使っている部屋からの風景はさほど良くなかったが、それもあまり気にならなくなっていた。

              10秒も待たずにミカエルが入ってきた。

              「Suratに行けと?」

              「おいおい、誕生日にそんな怖い顔するなよ。とりあえず、25歳おめでとう」

              「いえ、すいません、ありがとうございます、覚えていてくれて嬉しいです」

              「忘れるはずはないぞ、俺がお前をAntwerp市民にしたんだからな。いい加減な親のせいで、お前は住民登録さえされてなかったんだ。幸いにして、お前が生まれた貧民街近くの病院に出生記録が残っていたからな、生まれてから十数年経過していても、めでたく市民となることが出来たって訳だ。まあそんなことはもうどうでもいいな。いや、なんだ、今更ですまないことなんだが、お前の誕生日をお祝いしてやろうかと思ってね。今日でも、週末でも構わんが、食事でもどうかな」

              「ありがとうございます。でも、なんか怖いですね、代わりにとんでもないこと言われそうで」

              「さすがに察しがいいな、まあ、そういう話もなきにしもあらずってとこかな。しかし、これも絶対にお前の将来にプラスになることだ」

              「もう既に話が始まってますね」

              「おお、すまん。続きは食事の後の楽しみだ」

               

              次の土曜日の夜、ミカエルはガールフレンドのエンケを誘ってアルノンに指定されたレストランに向かった。ダイヤモンド街から北西に2キロほど、川の近くの地中海料理の店だった。レストラン近くの駐車場に車を停めた。レストランの前の河岸には帆船が係留され、ライトアップされていた。レストランの建物は昔の砦か何かであったのだろうか、中世の趣きを十分に遺した風格を感じさせ、ミカエルのような者では気後れしてしまうほどのもので、それは有名な高級店のひとつだった。

               

              店の前に立つと、重そうなドアが中から開いた。思わず半歩下がってしまって、ミカエルは自分自身を嗤ってしまった。

              「ミスター・ゴルダのお連れ様ですね。お待ちしておりました」

              「あ、ありがとう」

              店の奥の方のテーブルにアルノン夫妻が座っているのが見えた。ミカエルは長身を折り曲げるように小さくなりながら、自分が場違いなところに来てしまったと少し後悔した。やっとの思いでアルノン夫妻のテーブルに辿り着いた。アルノン夫妻が立ち上がり、ミカエルはエンケを紹介した。エンケはアルノンの夫人と頬を寄せて軽く抱き合った。ミカエルもアルノン夫人に同様にしたが、『あなた、まるでロボットのようよ』と言われ、ようやく緊張が解けた。

               

              「ここのオーナーも俺同様に、アレキシス氏に世話になって独立した人でね、アレキシス氏が存命のころからよく来ていたよ。だから、料理も雰囲気もAntwerpで3本の指に入ることは間違いない店だけど、ふたりともリラックスしなさい」

              と、アルノンは言ったけど、貧民街育ちのミカエルは、慣れない風景に料理を楽しむ余裕なんてないように思った。少しして、オーナーとおぼしき男がやってきた。

              「やあ、アルノン、よく来てくれた、ありがとう」

              「ニコ、久しぶり、元気そうでなりよりだ」

              「今日は、ピチピチの若い衆たちと一緒でご機嫌だな、アルノン。キミに顔だけ似たノッポくんは、甥御さんかな?」

              「ああ、まあ、そんなところだ。しかし、顔だけって、俺がまるでチビでデブみたいだな」

              「ハハ、いや、そんなことは一言も言ってないよ、気にするな」

              オーナー氏はミカエルたちにも愛想を振りまき、去って行った。

              「さっきも言ったけど、ここは確かに高級店だけど、気の置けない店だ。マナーに反しない程度にenjoyしなさい

              とアルノンが言い終わらないうちに料理が大皿で次から次へとやってきた。ここまでしてもらって楽しまない手はなかった。音を立てないように気をつけながら、ミカエルはひたすら料理を口に運んでいた。時おり、エンケと視線を交わしたが、エンケもすっかり料理に魅了されているようだった。『若いって良いことね』と言うアルノン夫人の言葉が何か遠いところから聞こえてくるように感じた。

               

              ふと気が付くと、料理のほとんどをエンケと二人で食べてしまったようだった。

              「どうだ、もうワンセット、最初から行くか?」

              「ありがとうございます。是非、と言いたいところですが、それこそマナーに反しそうですね、遠慮しておきます」

              「それが賢明だ。これからお茶とデザートの時間になるが、ちょっと大事な話もあるからな」

              「やはり・・・」

              ミカエルは急にブルーな気分になってきた。

              「な〜に、そんなに心配することじゃない。オフィスで言ったように、きっとお前の将来に役に立つ経験になると思う」

               

              アルノンは、コーヒーとデザートを持ってきてくれるように頼み、テーブルの上が綺麗に拭かれるのを待って話し始めた。

              「ミカエル、しばらく日本に住んでみないか」

               

              ミカエルは最初、何を言われたのか良く理解できなかった。『日本』『Japan』『Japon』『日本に住む』『Living in Japan』・・・

              聞き間違いだろう、『東京に出張しろ』と言われたのだろうと思った。

              「えっと、それはいつから、何日間ですか?」

              アルノンは笑っていた。

              「そうだよな、いきなりこんなことを言ってもな、すぐに理解できるはずはないよな。もう一度、ゆっくり言うから、しっかり聞いてくれ。日本、おそらく東京になると思うが、日本に住んで日本市場にダイヤモンドを販売してもらいたい。商品はAntwerpから可能な限り送る。日本での就労ビザが取れ次第に行ってもらいたい。期間は決めていないが、最低でも2年とか3年、、、、、」

              エンケが泣きそうな顔になった。

              アルノンはエンケを見て優しく微笑んで言った。

              「エンケ、キミが望むならミカエルと一緒に日本に行ってもいいんだよ。もちろん、キミたち二人の渡航費と日本滞在費は会社が全額負担する」

               

              1991年4月9日、大阪、南船場。ダイヤモンド専門輸入卸、幸田トレーディングの営業部長、川島は、社長に退職願を手渡したところだった。もちろん、手渡したと言ってもそれは比喩であって、退職願の入った封筒は社長のデスクの上に置かれただけであった。『受け取れない』と言われ、型通りの慰留を受けたが、そんなことは想定内であり、退職願を『手渡した』という安堵感と強い解放感が川島の中に満ちてきた。社長にはお世話になったが、それ以上のことを返してきたつもりだった。給料以上の働きをしてきた自負もあった。

               

              日本が好景気となるとともに海外のダイヤ市場もそれに即応し、毎月何%かの値上がりが続いていた。為替レートが極端に円高に振れることにより、海外市場の値上がりを補って余りある利益を会社にもたらしていた。しかし幸田社長は、海外市場のドル建てダイヤ価格の値上がりにばかり気を取られ、悲観的な見方しかできず、買い付けに行ってもまとまった金額の商品を買うことが出来なかった。実際、一番極端な例として、1カラットのラウンドのF VS1のAntwerpメイクの物の価格は僅か3,4年で$2,000から$4,000になっていた。1985年の『プラザ合意』直前に《$ = ¥260》であったのが、わずか3年後には《$ = ¥125》を記録していたのだから、ダイヤのドル建て価格が倍になろうが、輸入価格はあまり変わっていなかった。1980年代初頭の海外市場のダイヤ価格値下がり局面での大きな買い付けで利を上げたという成功体験が社長の全てだった。とにかくダイヤのドル建て価格がいつ何時下降に転じてしまうかという不安と期待が社長の全てであったのだった。まさに地を這う“チキン・ハート”以外の何物でもなかった。そんな社長に代わって、川島は実質的に買い付けの指揮を執り、3,4名の社員を効率良く海外に出張させて、商品を円滑に調達することに気を配っていた。

               

              1989年(平成元年)10月、恐らくはバブルのピークに達したと思われた頃、川島は3週間の海外買い付けに出た。インド、イスラエル、ベルギーに1週間ずつ滞在し、合計約350万ドル(約4億円)の買い付けを行った。それでも商品は瞬く間に売れてしまった。11月末から12月にかけて、川島は再び機上の人となった。社員の一人が体調を崩して戦列から離脱し、代わりに社長に買い付けに出てもらったが、全くのピンボケの仕入れで、量も全く少なく、注文分さえ全く不足して、お客さんに言い訳が出来なかったからだった。川島も、度重なる海外出張とホテル生活、ストレスから不眠症になって深酒を繰り返し、体がボロボロになるのではないかという心配が常にあった。

               

              川島の心配は杞憂に終わった。川島の体が壊れる前に、バブルが弾けたのだった。翌平成2年、4万円近くで始まった日経平均株価は、徐々に値を下げ、7月半ばになってやや値を戻したものの、イラクのクウェート侵攻による湾岸危機勃発で完全に一本調子の下落となり、9月末にはついに2万円を割り込んでしまう事態となったのであった。もともとバブル期には、株の売却益での高額ダイヤ購入が多かったから、ダイヤモンド業界の勢いは一挙に萎んでしまった。華やかだった1年前の年末が嘘のような平成2年の忘年会だった。平成3年は年明けとともに酷い事態が到来した。幸田トレーディングの大きな得意先2社の手形が不渡りとなった。幸田が負った実損は2億を越えた。『営業部長として一体どこを見ていたのか』、川島はここぞとばかりに社長から激しい言葉を浴びせられることとなった。川島は一切の反論を自らに禁じた。色々と言いたいこともあったが、何を言っても言い訳、自己弁護にしか聞こえないだろうと思ったからであるし、元来、潔い性格だった。この屈辱は仕事で晴らせば良いのだと強く誓った。しかし、向こう1年の給与3割カット、賞与5割カットを言い渡された時には愕然としたものを感じた。もちろん、それだけ大幅な減給を受けても、十分に妻子を養ってゆけるほどの年収があったから、問題ないと言えば問題なく、プライドが大いに傷つけられたということだけのことだった。

               

              それから約1か月後、川島が海外出張から戻って出社すると、社長が不在だった。女子社員に聞くと、どうやらゴルフらしいとのこと。『なんとまあ、呑気なもんやな、こっちは色々と知恵巡らし、シンドイめしながらっちゅうのにな』と思わず女子社員に向かって愚痴ってしまった。どうも社長とは噛み合わなくなってきたのを強く感じていた。しかし、一体どういう了見なんだろう、こんな時期に平日ゴルフとは。まともな神経なら、ちょっと有り得ないだろうと、どんどん腹立ちが収まらなくなってきた川島だった。それから数日後、川島は早朝、7時過ぎに出社した。経理の帳簿を見るためだった。最近の接待交際費の項目を見た。唖然とするほどの金額だった。一体何に使っているのか詳しく知る必要があった。パソコンに入力する前の手書きの原簿を探した。割と簡単に見つかった。社長と専務はほぼ毎週末、ゴルフに出かけて経費で落としていた。そればかりではなく、週に3度は訳の分からぬ飲み食いも交際費で支払われていた。昨日のランチのわずか2千円ほども付けられていた・・・・

              何かが川島の中で音を立てて壊れたのが分かった。

               

              これまで常に先頭に立って戦場を駆け巡ってきたのに、後方から銃弾を浴びた心境だった。社員全員に苦労を強い、川島の給与を下げ、それで自らは遊興三昧か。呆れ果てて笑えてきた。やってられない、こんな奴らとは早々にオサラバだ。川島は強く決心したのであった。

               

              4月11日、Antwerpダイヤモンド街。ミカエルは、コディアム社の社長室でアルノンと向かい合っていた。

              「どうして、僕が日本に行かないといけないんですか? 他の誰か、マネージャー3人のうちの誰かで良いのではないのかと思いますが」

              「ミカエル、お前でないといけないんだよ、身内でないとな」

              「な、なんと」

              「東京にオフィスを持って、そこに大量の商品を置く。その保全が大事だ。社員ではダメなんだ。安心して任せられるのは身内しかいないんだよ」

              「身内と思っていただけるのですか?」

              「どうやら、お前は、俺の兄貴の遺児らしい。興信所に頼んで調べてもらった訳じゃないが、どう考えてもそうに違いないと思うようになってきた。いや、お前と初めて出会った時からそう思っていたが、その時にはあまりに偶然過ぎて目の前のことを信じ難かったのだよ。実は、俺は今でこそゴルダという姓を使っているが、これは商売のための通称だ。本当の姓は、お前と同じだ、ゴルゴフスキーなんだよ」

               

              4月13日、大阪、南船場。朝から川島は幸田社長の長口上を聞いていた。『キミが望むことを何でも言って欲しい、どうやったら会社に残ってくれるのか、一生懸命考えてほしい。不満があれば、なんでも聞く。言ってくれ』など等。ゴルフだけではなくて、歌も上手で芸達者の社長は友人としてなら最高の人だと常々感じていたが、もう一緒に仕事することはご勘弁願いたいと、川島は心底思っていた。給料の件、社長の遊興の件は退職願を書く引き金となったことは事実であったが、それらは枝葉末節であった。もう根のところで社長とはダメだった。買い付けのセンスのなさが救い難いとかなり前から思っていたし、朝令暮改に苦しめられたことも度々で、自分に甘く社員に厳しくであり、そして何よりもチキンのハートが耐え難く、川島はヘイトしていたのだった。しかし、そんなことは言える訳がなかった。ひたすら、自分の夢を語った。これまで経験してきたことを生かして次のステップに進みたいのだと何度も繰り返した。幸田トレーディングにいては出来ないことをやらせてくれるところに行くことが決まっていると適当な作り話をした。そんな話を簡単に信じる社長ではなかったが、もう説得する材料も尽きてきたようだった。

               

              4月15日、Antwerpダイヤモンド街。アルノンとミカエルはまたオフィス内で向き合っていた。

              「なんとか、おぼろげながら東京でやることが見えてきましたが、僕は日本語を全く話せません。Antwerpに来るバイヤーたちのように英語がしゃべれる日本人ばかりじゃないでしょう、誰か手助けしてくれるのですか?」

              「そうだ、その点も全く心配いらない。お前が安心して仕事できるように、英語が上手な日本人をヘッドハンティングしようと目論んでいるだよ。上手くゆけば、お前が良く知っている男が来ることになる、いや、もう多分、大丈夫だろう」

               

                ― 続く ―

               

               

               

               

               

              | ukitama | - | 16:59 | comments(0) | - | - | - |
              見る人もなき山里の
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                三連休、いかがお過ごしでしょうか。

                『如何も何もないだろう』ってね、おっしゃる方も多いのではないかと思いますが、

                イベントや繁華街に行くことばかりが休みではございませんよ、

                “こんな時”ならではの過ごし方をするのが良い、と言いましょうか、

                こんな時ですから、通常では出来ないことをやってみようではありませんか。

                この前も申し上げましたが、

                ウッキーなんてね、先月の23日、天皇誕生日以来、電車やバスに乗っておりませんよ、すごいだろ! もともと行くとしても、南船場の業者のところか鑑定屋さんに行くぐらいでしたから、そういう用事を全部、『宅配便』で済ませることが何かもう当たり前のようになった観があります、、とにかく何でも送る、そして『お願い、送って〜』、って感じです。ですから、宅配便業者はさぞやまた忙しさに拍車がかかったのかと思って、この前、ヤマトのドライバー氏に聞いたのですが、『いや、別に。Amazonの荷物はアホくらいあるけどな』とのことで、皆さん割とご自身の足を使って動いていらっしゃるのかもしれませんな。

                 

                近況といたしましては、、

                そうそう、『源氏物語』、与謝野本をかなり読み進めておりましたところ、何か物足りなさを感じ始めましてね、こりゃどう考えてもオリジナルの文章を何行か飛ばして現代語訳してるぞと、それでもスラスラと行けば問題ないのですが、不明な点、Storyが若干ながら無理があるのでは、と感じる点、何か所か出てきまして、PCで調べたりしているうちに、『与謝野本は“間違いが多い”』なんて言ってるコメントにも“ぶち当たり”、これはやはり世間で評判高く、昭和の時代にかなりの部数を売り上げたという“谷崎本”がよろしいのではないかという結論に至りまして、、、『谷崎潤一郎』訳の単行本の全11巻すべて買いましたーーー!

                Amazonの中古やけどね。

                全部で4,500円でした〜安い!

                これがもう新品のように綺麗でね、久々の良いお買い物と大満足しておりますよ。そして、一昨日から読み初めまして、『そうそう、これこれ』って感じ。読み始めて直ぐに、晶子さんはかなりの部分を“削って”現代語訳していたなと、改めて認識いたしました〜・・・しかし、なんでやろね、どうして省略しないといけないのか、ちょっと分かりかねますね、やはり晶子さんは多忙すぎたのかな、それとも、出版社からの要請か、あまり長いと売れない・・・なんてね。

                 

                まあ、追々、“進捗状況”をまた皆さんにご報告申し上げます〜

                 

                さて最近は、HPもヤフオクも、出品と言えば、短歌、俳句、詩、小説の中の美文、

                などなどを“駆使”いたしまして、何とか皆さんに感じていただこうと努めておりますけども、

                その“延長”とでも申しましょうか、日ごろウッキーが感じていることを短歌に乗せて語ってみたいと・・・・

                 

                 

                Let’s Go

                 

                     いたずらに 過ぐる月日は おもほえで

                     花見てくらす 春ぞすくなき

                      ― 藤原興風(古今集) ―

                 

                    ―ただ過ぎてゆく時は何とも思わないのに、

                      花を見て暮らす春は少ないものだと思うー

                 

                花を見て暮らす、カラーダイヤを見て暮らす、、そういう時って言うのは、いつであっても“春”なんですよね。ウッキーは、皆さんとは違って業者ですから、当然、カラーダイヤを見ると言ってもね、鑑賞という部分は少なくて、どうやって売るか、どうやってこのダイヤの美しさを掬い取る(すくいとる)か、ということを主に考えているわけですけども、やはり美しさというものをパッと見で感じられないことには前には進まない訳で、見た瞬間に『これはダメ、買わないでおく』という結論に達する商品は非常に多いのであります。それでも、多数の商品があるという状況は誠に嬉しいことでしてね、それらをどんどん見て行っておりますと、時間の経過は瞬く間、あっという間に買い付けの一日が終わってしまったということも過去には何度も経験いたしました、、、今は昔〜

                このところの商品の少なさ、、

                悲鳴を上げそうになっておりますよ、

                皆さん方の想像以上と申し上げておきましょう。

                そうなんです、

                “春ぞすくなき”と感じられる時ってね、ホント幸せな状況。

                今は・・・“ダイヤぞ少なき”〜

                 

                 

                   春霞 たなびく山の さくら花

                   見れどもあかぬ 君にあるかな

                    ― 紀友則(古今集) ―

                 

                   ―美しい貴女は見ていても飽きることはないー

                 

                UKI氏がカラーダイヤの商いを始めてからもう20年以上経過しておりますが、『あきない』ですね、ホント不思議なこと。数えきれないほどの商品を見てきまして、飽きないということはやはりシンプルに“綺麗”であるからでしょう。そうなんですな、綺麗だから飽きない商い。ですから、飽きてしまったアイテムも当然あるわけです、、申し上げましょう〜

                 

                まずFancy Black

                これはダメですな、皆さんも単純に物珍しさで買った方もいらっしゃるに違いないけど、『まだ』という人はおやめになった方が賢明です。

                Fancy Blackの画像はホント簡単なのですよ、デジカメで撮って、PCの中で『色を削除』、これで終わり。ピント合ってるか、明暗はどうだ、暗すぎやしないか、光源のライトが強すぎるのでは、、なんてことを全く気にしないで良い、ただ色を消す、色がない透明感もない反射がない、これがFancy Blackの正体です。

                 

                次に、Fancy BrownなどのストレートBrown系、

                これが何故ダメなのかと言いますと、ほめる言葉が思いつかないのですね、綺麗な言葉が乗らない、歌を乗せられないのです。だから、飽きてしまいました。

                 

                そして、淡い黄色、Very Light YellowLight Yellow

                これらは綺麗なのも少なくはないのですけども、、時おり感じておりました、淡い黄色は広義ではカラーダイヤであるが、厳密に言えば違う、若いころ、ひょっとしたら今でもそうなのかもしれないけど、無色透明ばかり買い付けしていた頃には、Very LightLightの黄色を“そんな風”には呼ばなかった、、単に『色甘』と言ってたんですよ。『色甘(いろあま)』とは、本来、DEFGカラーのメインItemから外れる物のことで、Hカラーから下を指していたのですね、そこには、『IだろうがKLだろうが、Very Light Yellowであろうが、なんでもいいけど、とにかく“使えない”』、という意味があったのです。それがどういう訳か、いつの間にやらUKI氏たち自らVery Lightだの、Lightだのと言う“位”をつけて「市民権」を与えてしまった・・・・今から考えると、これは大きな間違いだったと、気が付きました、、決してUKI氏一人の責任ではないですけどね、、、そう、良く考えてみると言いましょうか、しっかりとYellow系のダイヤを観察してみれば、現在のFancy Yellowあたりの色味と彩度をVery Light Yellowとすべきなんですよ。そして、現在のFancy Vivid YellowFancyクラスからIntenseですね。いくらYellowがたくさんあると言ってもね、どうも現在のFancy Vivid Yellowの色味と彩度には納得ゆかないことを多々感じております。本当のVividなんてね、PinkBlueのことを考えてみるまでもなく、もっと“華々しい”もんじゃないかと。

                 

                蛇足ではありますが、

                過去に何度も申し上げておりますが、

                Fancy Whiteもおやめになった方が良いと思います、

                これは取り扱ったことがないけど、単に“極度な曇り”というだけの物、GIAがそんな物にカラーグレードを与えたこと自体が間違っております。

                 

                 

                   神代には ありもやしけむ 桜花

                   今日のかざしに 折れるためしは

                    ― 紫式部(新古今和歌集) ―

                 

                ―どういうことか、初夏に行われる葵祭の日まで残っていた桜の花、それを勅使の少将の冠に差すためにお与えになる。こんなことは神代にはあったものだろうか。それにしても稀有なことであるー

                 

                京都三大祭りのひとつ、葵祭は旧暦では4月中、現在では5月15日の年中行事です。

                しかしまあ、そんな折りにまで桜花が残っていたなんて、よほど冬の寒さが厳しかったのでありましょうか、いずれにしても、紫式部も驚くほどの出来事・・・

                初夏に見る桜花はどんなものでありましょう。ちょっと想像がつきません。手折って冠に差しこんでも、その日のうちに散ってしまうに違いないですね。なんとも儚い。

                神代には存在したかもしれない、伝説上の存在、

                そういうものとの出会いがあったら、、どんなにか興奮することでありましょう、

                例えば、Fancy Greenish Blueの、Greenishを取り去ったBlue・・・

                それって、Fancy Blueじゃないの?

                いえ、ちょっと違うのですね、少し違うのです。

                また、Fancy Purplish Pinkの、Purplishを取り去ったPink・・・・

                それって、Fancy Pinkやろ!

                いえ、わずかに異なる。

                意味不明。

                そうですね、これこそカラーダイヤ屋の意味不明なつぶやき。

                しかし、

                Fancy Grayish BlueからGrayishを取り去ったBlueがどんな色かと言いますと、

                それはもう紺色のような色なのですよね、どう考えても。

                そして、Fancy Orangy PinkからOrangyを取り去ったPinkがどんなものかと言えば、どこまで行ってもやはりOrangyの枠の中から抜け出せない、みたいなね、

                それはそれで良いと言いましょうか、現実の世界では“南アもの”Pinkがそんな感じで、それはそれはもう、ウッキーも大好きな色味で、艶もしっかりでありますが、やはりPinkダイヤなんですよね、そう、ホントPinkダイヤです、とことんPinkダイヤ、大そう美しい!

                それで何が不満なんだ?!?

                そこです、この世界、ファンシーカラーの世界というのは、あくまでもFancyであらねばならない、Fancy(幻想)を常に追い求めてこそ、現実に存在する色味に対して批評が可能となる、、、という気がしております。

                そこで、色々と想像いたします、Fancy Greenish BlueからGreenishを抜いたピュア中のピュアFancy Blueの色味を、Fancy Purplish PinkからPurplishを抜いたピュア中のピュアFancy Pinkの色味を。

                 

                夢の中で紫式部と会って、彼女に聞いたら、

                『ああ、それやったら、こんなお色どす』、と指さし示してくれるのでありましょうか〜

                 

                 

                     見る人も なき山里の 桜花

                     ほかの散りなむ のちぞ咲かまし

                      ― 伊勢(古今集) ―

                 

                ―こんな寂しいところに咲いて、誰も見てくれない山里の桜よ。いっそ、ほかの花がみな散りつくした後から咲けばよかったのにー

                 

                あえて何とは申しませんが、綺麗なのに、価格的にもそんなに高くはないのに、あまり注目されないと言いますか、我々も理由がわからないほどに“不人気”というItemが常にあります。“それ”は、手を変え品を変え、色々とトライしてみても、やはりダメ。そういう商品が、「日の目を見る」というこが絶対にあると信じておりますが、そうなったらそうなったでまたちょっと恐ろしい状況なのかなと言う気もしないでもない、“そんな日”が到来したならば、カラーダイヤを取り巻く環境は相当に厳しいに違いない、、、海外の業者に『あれほしい、これが良い』、とかってね、言える訳などなく、“あてがいぶち”〜

                『ほれ、今月はこれ売っておけ、売れねば、来月は何もないぞ』、とかって言われてね、

                『そんなこと言わねえで、おねげーしますだ、、』、とかって、額を地面にこすりつけるように懇願・・・・う〜考えたくもない!

                 

                しかし、一方で、こういうことも言えると〜

                 

                      今日こずは 明日は雪とぞ 降りなまし

                      消えずはありとも 花と見ましや

                      ― 在原業平(古今集) ―

                 

                ―私が今日こなかったら、明日は雪のように消えていただろう。たとえ、消えなく とも、美しい花として見られるだろうか(見られはしない)―

                 

                プレイボーイ、業平さんならでは、と言えそうな歌ですね。もちろんのこと、花=女性、でありまして、もてない男としましては何かムカつきますね〜。

                求められてこその花、求められてこそダイヤモンド、

                注目もされず、相手にされず、それがどうして花なのだ、ダイヤなのだと。

                 

                でもね、上記の業平さんの歌は、なんのかの言いながらですな、結局、“別嬪さん”と思って来ている訳でしてね、来た以上、偉そうに理屈こねるなとも言いたいですな。そう、結局、ダイヤにしても結果でしか判断できないというところがあります・・・

                全て市場が決めるのでありましょう。

                 

                 

                最後に、もう一つ・・・・

                 

                まてというに 散らでしとまる ものならば

                なにを桜に 思ひまさまし

                      ― 読み人知らず(古今集) ―

                 

                ―散ることを待ってくれという要望に応えてくれるのであれば、何を好き好んで桜を愛するものか―

                 

                ホントその通りで。

                皆さんがカラーダイヤを愛してくれるのは、カラーダイヤがどんどん減少して、あるItemに関して、その存在そのものが危ぶまれてきたからですね。

                こういう状況の折であるからこそ、ウッキーのような存在が必要なでありましょう〜

                 

                頑張りま〜す

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                   

                | ukitama | - | 16:16 | comments(0) | - | - | - |
                ダイヤモンド今昔物語ーその17
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                  1991117日、原田商事大阪支店の堂前は、BombayHotel New Oberoi のバーカウンターでスコッチのロックグラスを傾けていた。連れはおらず、ぼんやりと周囲を眺めていた。何か異様に興奮したような空気があたりを支配していた。その日の早朝、アメリカを中心とする多国籍軍がイラク空爆を開始、湾岸戦争の勃発だった。前年8月、クウェートを侵略占拠したイラク軍は、多国籍軍の圧倒的な戦力によって叩きのめされることは明日の日の出よりも明らかなことだった。ホテルのバーラウンジにいるインド人や外国人は快哉を叫び、陽気な声で語り合っていた。堂前は、特に反戦主義者ということもなく、反米でもなかったが、湾岸危機を“導き”、“予定通りに”湾岸戦争へと突入したアメリカの遣り口には何か釈然としないものを感じていたから、周囲の騒ぎには同調しかねていた。しかし、そんなことを言っても、ここでは相手にされないのは分かり切っていた。余計なことは一切言わなかった。

                  「おかわり如何ですか?」

                  バーテンダーに促され、同じ物を注文した。バランタインの17年ものだった。かつての英国植民地、さすがにスコッチは日本で飲むよりも圧倒的に安く、バーテンダーも日本のバーのように、『シングルですか、ダブルですか?』なんてケチくさいことは聞いたりはしない、しっかりとした量を注いで大きな氷をひとつ入れてくれる。日本のバーだったら堂前のような若輩者の給料では何杯も注文できないお酒だった。チェイサーには、ボトルに入ったソーダ水を頼んだ。ウィスキーがなみなみと注がれたロックグラスとソーダ水が静かに目の前に置かれた。バーテンダーと目が合った。40代半ばであろうか。何か話したそうな表情だった。堂前は、思わず言ってしまった。

                  「戦争、知ってる?」

                  待ってました、とばかりに話が始まった。

                  「ちょうど20年前だ、1971年のことだ」

                  「な、なにがあった」

                  「パキスタンとドンパチやったんだよ」

                  印パ戦争。1971年の印パ武力衝突は1947年、1965年に続いて3度目で、これによりインドから支援を受けたバングラデシュ(東パキスタン)が独立したのであった。

                  「空爆されてヤバかったとか?」

                  「奴らのヘナチョコ空軍なんて鳩みたいなもんだ。何機も撃墜してやったぜ」

                  バーテンダーの口髭がピクピク動いていた、得意気な表情だった。グラスの水滴を布で拭いながら話は続いた。

                  「俺は陸軍の機関銃手だったんだ」

                  「機関銃で戦闘機が落とせるのか?」

                  「口径が30mmの機関砲に替えてな、戦闘機が飛んで行く方向に弾幕を張るのさ。それでも簡単じゃない。俺は人一倍勘が良かったんだよ」

                   

                  堂前は男の自然な反応として、CNNのニュース映像で見たテレビゲームのような湾岸戦争よりも、俄然、印パ戦争に興味が湧いてきたのであった。

                  「地上戦はどんな感じ?」

                  「これを見ろ」

                  バーテンダーが右手を目の前に差し出した。親指と人差し指の間が異様に盛り上がり、親指が少し変形しているようだった。

                  「どうした?」

                  「敵の銃弾が通り抜けた痕だよ」

                  「恐ろしい! よくまあ、身体に当たらなかったものだな」

                  「これのお蔭で今の命があるようなものさ」

                  「どういうこと?」

                  「当時はガンジス川の向こうは東パキスタンだったんだ。1971年の戦争は専らガンジス川東岸の戦いだった。川を越えて東パキスタンに進撃してしばらくは優勢だった。俺が戦闘機を撃墜したのもその頃だ。しかし、何日かすると激しい反撃に遭ってな、撤退に次ぐ撤退で、いつの間にか川を背に戦っていたよ」

                  「背水の陣やな」

                  What?

                  「いや、なんでもない、独り言だ。しかし、敵の陸軍はヘナチョコじゃなかったのか」

                  「俺の部隊が戦ったのは、奴らの最後の精鋭軍だったよ。忍者のようだった」

                  「ホンマかいな」

                  「いやホントだって。夜になって川を背にして休んでいる時、夜襲に遭ったんだ。『敵襲!』という声に飛び起きて機関銃を握った瞬間、この手に銃弾を喰らったんだ。後ろにふっ飛ばされて流れに落ちた。痛みと恐怖で流されるままになっていた」

                  「どうやって助かった?」

                  「ガンジス川の中州に流れ着いたのさ。俺の部隊は全滅だった・・・・」

                   

                  堂前は、熱心に語るバーテンダーの背後に当時の様子が映し出されているように感じた。バーテンダーはまだ喋り続けていたが、堂前の耳にはもうバーテンダーの声が入ってこなかった。所詮、過去の物語なのだ。あと10年で21世紀だ、日本も昭和から平成となって、全てが塗り替えられて行くような気がしていた。ダイヤモンドのビジネスだけが昭和の時代のままであるはずはなかった。

                   

                  原田商事もまた大きな転換期を迎えていた。社長の原田は、かなり早くからバブル経済の崩壊を予測して、社員全員に注意喚起していたが、高額品が簡単に売れるという情況が当たり前となってしまって、浮かれた気分の蔓延は防ぐことができなかった。株式上場の条件を完璧にclearしながら、原田は上場をとりやめた。自分が会社をコントロールできなくなるような気がしたからだった。平成元年には、原田商事の年商は150億に達した。それでも業界でやっとトップ10の中に入っただけだった。業界内には、年商200億以上の企業が7社もあったのだった。原田は、それらのほとんどが10年以内に経営危機に陥り、20年以内には倒産するか買収されることになると確信していた。原田は、売上を追うことをやめ、会社のdownsizingばかりを考えるようになっていた。

                   

                  Sorry、途中からアンタの話を聞いてなかったようだな。少し考えることがあるから、おかわりを作って、一人にしておいてくれ。Thanks

                  OK, Sir

                  堂前は5杯目のバランタイン・ロックに口をつけた。急に酔いが回ってきたような気がした。と同時に、いきなりこの数年のことがデタラメな順番で頭の中を駆け巡った。一番の驚きは、大阪支店のひとつ年下の矢沢が前の年の4月からTel Aviv駐在員になったことだった。国内の景気の良さは若い矢沢が一番の恩恵を被った。とにかく機動力を生かして動けば動くほど売れた。移動距離と売り上げは完全に比例していたのだった。もちろん矢沢より若い社員も何人か大阪支店にいたが、彼らにはまだ経験が不足していた。晴れて“パシリ”を返上した矢沢は大阪支店内での売り上げNo.14か月続け、初の海外出張を経験した。Tel Avivだった。原石の生地が良くて、Makeがイマイチというイスラエルものは大阪市場にピッタリだったのだ。イスラエルの商品を大量に大阪市場に持って来ることにより、矢沢の売り上げは増々伸びたのだった。ちょうどTel Aviv駐在員だった真鍋正巳の3年の任期が終わりかけている頃と重なった。原田社長は、次の駐在員の決定を促され、矢沢を指名したのだった。

                   

                  しかしこの人事は、本社で大きな反響を呼んだと堂前は聞いていた。矢沢は海外勤務を希望しておらず、候補者リストにも載せられていなかったのだった。これには、さすがに松岡営業本部長も異を唱えた。

                  「社長、こんなデタラメ人事が罷り通ったら社の秩序が保てません」

                  「おい、松岡、長い付き合いだからハッキリ言ってやるが、お前のその古ボケた脳ミソは何とかならんのか」

                  「なんですと、『古』ですと、『ボケ』ですと!!」

                  松岡は顔を真っ赤にして怒りだしたが、原田は一向に気にしなかった。

                  「ああ、そうだ。一応、俺が決めたんだからな、デタラメと決めつける前に何か意図があると考えるのが普通だろ。お前の頭では考えても分からんのだろうが、それなら理由を聞くのが筋ってもんじゃないのか」

                  社長室での二人のやりとりは、部屋の外までハッキリと聞こえていた。若い女子社員たちは‘おっかなビックリ’であったが、ベテラン社員には見慣れ聞きなれたことで、漫才でも聞いているように笑っていた。原田は時おり、頭の固い松岡を“いじる”ことでストレスを発散しているようなところがあった。松岡もそれが分かっていながら、原田の“一の子分”を自認していたから、原田に甘えて強い反発をするようなところがあり、二人が“やりあう”と、なかなか決着がつかないのであった。

                  「ほう、そうですか。頭悪くて申し訳ないですね。それならその理由とやらをお聞かせ願いましょうか、社長の横紙破り人事の理由とやらを」

                  原田は口元に手をやり、急に声を潜めて喋り出した。

                  「社員たちが、俺たちのやりとりを笑いながらしっかりと聞いてやがるからな。ここからはマジな話だ」

                  松岡が23歩原田のデスクに近づいた。

                  「誰が行っても同じだ、こんな浮かれた景気の時は。バカな買い付けしても簡単に売れるんだよ、そうだろ」

                  松岡が頷いた。

                  「それにな、どうも中東が“キナ臭い”というナマの情報が俺の学生時代の同窓生や後輩たちから入ってきている。万一の際に逃げ出す、と言うと滑稽だがな、そんなことにもなりかねん。そんな時には矢沢のようなフットワークの良い奴がいいんだよ。お前が作った候補者リストの者たちは平時になるまで取っておけ」

                  「なるほど。良く分かりました」

                  原田がニヤッと笑った。

                  「よし、それじゃまた、社員向けの芝居の始まりだ」

                  と言って原田は立ち上がり、再び大きな声で言った。

                  「営業で数字を残してきた者をしっかりと見て抜擢するのがお前の仕事だろうが。俺が矢沢が適任だと言う前に、お前から推薦があって然るべきじゃないのか。一体、毎日、社員のどこを見てるんだ。お前は頭も目も年がら年じゅう春霞だな」

                  「はい、はい、どうせ私はどこもかもダメな爺ですよ。ここまで言われてはもうこんなところには居てられません。明日にでも引退させていただきます!」

                  「また馬鹿なこと言ってやがる。お前なんかなぁ、引退して家にずっと居てみろ、カミサンからゴミ扱いされてな、それそこボロ雑巾のように捨てられるだけだぜ。心配しなくともお前の骨は俺が拾ってやる。とりあえず、眼科に行って、曇り止めの目薬でも貰ってきやがれ」

                  「言いましたね、社長。私と一緒じゃないと飛行機にも乗れないくせに」

                  「なんだと!」

                  松岡はサッと身をひるがえし、バターンと大きな音を立ててドアを閉め、社長室を出た。社員たちの笑い声が聞こえてきた。ちょっと情けなかったが、これで会社がうまく回って行くのだったら安いものだと松岡は思った。

                   

                  矢沢がTel Avivに赴任してちょうど4か月後の199082日、イラクがクウェートに侵攻、湾岸危機が勃発したのであった。原田と松岡は、情報の確かさを驚くことよりも、ついに『来るものが来た』と表情を曇らせた。7月末までの売上は前年同様の数字を保っていたが、間もなくRecession(景気後退)入りすることは間違いなく、山が高かっただけに谷も深くなることが容易に推測された。原田は、どうやって“ソフトランディング”させるか、そればかり考え、浮かぬ顔になることが多かった。

                   

                  イラクのクウェート占領が続く中、Tel Avivに買い付けに行くバイヤーは徐々に減り始めた。10月の半ばを過ぎる頃には『D-Day』がいつになるのか、マスコミを騒がせることになり、バイヤーは激減した。それでもTel Avivに行くバイヤーは、『勇気があるのか、アホなのか、どっちや』というようなことが言われるようになった。お蔭で、矢沢の買い付けは快調に進んだ。とにかく日本人の競争相手があまりいない状態だったから、ある面で、“言いたい放題”だった。かなりの量の格安商品を会社に送ることが出来、営業の者たちから喜ばれた。しかし、矢沢も“逃げる”時が確実に近づいていた。松岡本部長からは、毎日のように『大丈夫か? 無理するな、適当に切り上げて退散しろ』という電話やFAXが来たが、日本で感じているほどには怖くは思わなかった。一つ問題があるとするなら“ガスマスク”だった。イラクのサダム・フセイン大統領は盛んに『イスラエル全土に化学兵器をばら撒いてやる』と脅し続けていたから、ガスマスクが必要不可欠だった。イスラエル国民はどこに出掛けるにもガスマスク片手だった。どこに行っても売れ切れで、注文しても1カ月後とか言われた。これには大いに不安になり、本部長に相談した。わずか4日後、矢沢の手元に東京からガスマスクが届いた。FAXで本部長にお礼のメッセージを送ると、電話が掛かってきた。

                  「社長が手配してくれたんだよ。でも、どうやって手に入れたのか教えてくれないんだ」

                  「相変わらず恐ろしい方ですね」

                  「そうだ、どこにでもコネがある。今回のは自衛隊か、米軍か、って感じだな」

                   

                  「ところで、矢沢くん、そろそろ“撤退”した方がいいんじゃないの。もう十分に頑張ったことだし」

                  「そうですね、日本大使館に相談してみます」

                  多国籍軍の攻撃開始は恐らく、Christmas明けになるのではないかという観測がもっぱらだったが、12月に入ってほとんどの民間旅客機のイスラエル発着がストップしてしまった。残っているフライトも脱出しようとする人でアッと言う間に予約が一杯になり、ウェイティング・リストも膨大な数で、とても乗れそうになかった。機動力の良さを買われてTel Aviv駐在員を任された矢沢の本領を発揮すべき時だった。Tel AvivからCairo(カイロ)までバスが出ていた。500キロの道のりを3日掛けて到達した。Cairoからアリタリア航空でRomeに移動し、やっと安堵の溜息をついた。とりあえず空港近くのホテルにチェックインして本社に電話した。『松岡本部長はいらっしゃいますか?』と言ったが、しばらくして電話の向こうから聞こえてきたのは松岡よりも格段に良いバリトンの声だった。

                  「おお、矢沢クン、無事でなりよりだ。原田だ。元気か?」

                  おおっと、という感じで、いきなり矢沢は電話を持って立ち上がってしまった。何故か涙が零れそうになった。

                  「はい、身体は元気ですが、精神的にグッタリです。もう少し早く逃げ出すべきでした」

                  「イスラエルの日本大使館は色々と力を貸してくれたのか?」

                  「いえ、あまり・・・」

                  「そうか、それは大変だったな」

                  「これからどうすればいいですか?」

                  「そうだな、Romeにいても仕方ないからな。とりあえず、明日あたりAntwerpに移動しなさい。Antwerp34日買い付けしている間にキミの今後についてまた指示しようと思う」

                   

                  結局、矢沢はそれからずっとAntwerpに滞在していた。帰国しても良かったが、湾岸が平穏になっても日本からでは、直ぐに旅客機が飛ばない恐れもあり、Tel Avivに戻るまで時間を要するのではないかと懸念され、また、湾岸危機の影響で何となく海外出張に出たがらない空気が蔓延していたから、矢沢がAntwerpで買い付けするのは自然な成り行きだったのだ。堂前は、一昨日、Antwerpに電話して“可愛い後輩”の矢沢と久しぶりに話をしたところだった。

                  「ベルギーの生活はさぞやええやろな」

                  「あほなことを。今いつや思てますねん。真冬でっせ。ホテル住まいは寒うて耐えられへんから、アパート借りてもらいましてん」

                  「ほう、流石に稼ぎ頭は違うな」

                  「また、そんなこと。まあそれでも、パシリの時よりは待遇よろしいわ」

                  「そりゃそうと、矢沢、お前、定期的にオランダへ通てるようなことはあらへんやろな」

                  「そりゃもう、カジノ通いは身の破滅ですから、気つけてますわ。飲むだけにしてます」

                  「それは良かった」

                   

                  かつてAntwerp駐在員だった高瀬は、やはりカジノの誘惑から逃れることが出来ず、借金作って公金を使い込み、それが発覚して解雇されたのだった。堂前がAntwerpに出張した折りの高瀬は、既に異様な雰囲気でカジノに行っていたから、高瀬と親しい西川に言って止めさせようとしたが駄目だった。その後の高瀬の行方は誰も知らないようだ。ベルギー人の彼女と住んでいるとか言う者もいたが、どうでも良い話だった。要するに、それだけの男だったということだ、別に気にするほどのことではなかった。現在のAntwerp駐在員は遠藤だった。NYから横滑りしてきたのだった。遠藤は、駐在員会議で原田と会った時、ずっとNYで仕事がしたい旨を懇願した。ダイヤの買い付け以外のことでも構わないからNYから帰国させないでくださいと熱心に語った。原田は、しばらく考えて返事をすると言い残して別れた。約半年後、原田と松岡がNY市場を視察に訪れた。二人は数日滞在して、遠藤の案内で市場調査した。原田は帰国する前の夜に遠藤と食事して提案した。

                  「どうせ、キミのことだから、帰国命令を出したら退職願が返ってくるのだろう。それならそれで一向に構わん、と言いたいところだが、キミの語学の才能は捨てがたい。帰国命令は出さんが、次の任地はAntwerp、ベルギーで3年我慢したらまたNYに戻してやる。それでどうだ」

                  と言われ、何となく社長に誤魔化されたような感じだったが、納得してずっと時が経ってしまった観だった。

                   

                  堂前は、色んな物思いからやっと現実の世界に戻った。気が付くとバーカウンターの堂前の両サイドにもグラス片手の男が座ってお互いの連れと何か談笑していた。そろそろ部屋に引き上げ時だった。堂前は、機関銃手だったというバーテンダーに向かって右手を挙げ、ペンでサインする格好をした。直ぐに勘定書が用意され、部屋番号と名前を書いて立ち上がった。堂前は、遠藤の後任のAntwerp駐在員を希望していた。しかし、今日Bombayでその考えを改めることにしようと思った。特に何があったという訳ではなかった。良く考えると、もうそんな“時代”ではないのだろうと思われたのだった。ダイヤモンドが売れなくなるとは思わなかったが、駐在員は不要になるだろうという気がした。出張で行くだけで十分であるし、実際に日本市場を“こまめに”見ていないと、変化が激しくなるであろう“時代”に対応は不可能になるに違いないと思った。奇しくもこれは原田の考えと同じだった、堂前が原田の考えを聞くことは全くなかったのであるが。

                   

                       ― 続く ―

                   

                   

                   

                  | ukitama | - | 16:32 | comments(0) | - | - | - |
                  いろごと
                  0

                    3月ですね、5日は二十四節気『啓蟄』、虫たちも穴から出て来る頃となります。

                    暖冬でしたから、3月が待ち遠しかったというほどでもないのですけども、

                    なんとなく3月というのは嬉しい気がするものです。

                     

                    今年は閏年で、先月は29日までありましたから、一瞬『アレ?!』っと感じてはおりました。けれど、1日増えたところで2月の短さを思ったのはいつも通りで、『早いな、もう3月やなぁ』と何気に呟きましたら、家内から『毎月そんなことばっかり』と揶揄され、、、いけませんねぇ〜これはひょっとしたら、、毎日何となく過ごしているだけで、あまり充実してない証拠?! もっと時間を大切にしたいと思います。

                     

                    ところで、日本ではことさら取り上げませんけども、229日の誕生日の人って、一体どれくらい存在しているのか少し興味ありますね。我々が生まれた当時は、“ゆるかった”と言いましょうか、結構“誕生日を変えている”者がおります。ウッキーの同級生なんて何人もおりますよ、当然ながら1週間以上ズラすのはかなり無理がありますから、出生届を出さないといけないですからね、皆、2日〜5日の“変更”なんですけども、年末に生まれて元旦の誕生日なんていうのはかなり多いのではないですかな。ちょっと酷いと言うか、可哀想なのは、せっかく43日とかに生まれているのに、3月末の出生にされている者。無理やり『早行き』にさせられて、それはもう小学生の最初の頃はさぞやシンドかったでありましょうね、容易に想像つきます。そういうことで、229日の誕生日の人というのは知らないですね、自分からは言わないだろうしね。最近は産婦人科医が厳しいらしですから、平成生まれの229日の誕生日を持つ者は普通にいるのでありましょう。先月末、英国BBCのニュースを見ておりましたら、英国にはかなり“その日”が誕生日って公言して平気な人が多いのですね、何人もインタビューに答えておりました。8歳の少年が、『僕は2回目の誕生日を迎えたんだ』なんて言っているのを聞きますと微笑ましくもあり、何となく可哀想でもありで、ちょっと複雑な気分。40歳の女性が、『私は今年10歳ですよ、まだまだ若い若い』とかって割りと嬉しそうにしているのも英国ならではでありましょうか。『閏年でない年に誕生日を祝ってもらうの?』というような意地の悪い質問には、『228日か、31日にね』って言う真面目な回答ながら、『それって、ホントのところはどうなのかな?!』と考えてしまいますね、嬉しいのか嬉しくないのか、かなり微妙なんだろうと。

                    と思いますと、誕生日に限らず、毎年巡ってくる個人的な〇〇の日、記念日、もっと気を使って然るべき〜、もっともっと意識すべしと感じます。

                    自分自身の誕生日だけではなく、大事な人の誕生日、そして〇〇記念日、何かの形で“花を添える”ことをやっていただればと切に願います。

                    とりあえず今月は14日、ホワイトデーか、

                    ちょっと釈然といたしませんが、

                    これも大事やねぇ、諸兄。

                     

                    さてまあ、外出を控える人が多く、デパートでは土日でさえも客より店員の方が多いーーなんていうのはよく聞く話で、それだったらかえって安心だろうってね、サービスもこれまでよりは良いだろうから、デパート行くのなら今や!って意気込んでいる人もいるとか〜

                    ウッキーはどうかと申しますと、

                    日ごろから出不精なもので、いっそうそれに拍車が掛かりまして、もう1週間、電車やバスに乗っていない! もう完璧に“PC前”に張り付いておりますよ。

                    運動不足だろって?

                    それがですな、ここは田舎ですから、人や車がまばらなジョギングコースには事欠かない。恩恵を被っております。

                    まあでも、四六時中ジョギングしていられませんからね、いわゆる“余暇”は?

                    そう、読書ですな、これにも拍車が掛かってまいりました・・・今年は久しぶりに年間100冊に挑戦!

                    そう、久しぶりに。

                    年に6回7回と海外買い付けに行っておりました頃は、年間100冊以上が当たり前だったのですけどね、専ら時代小説やらハードボイルドやら、行きのフライトだけで2冊読めてしまうような内容極薄が圧倒的に多くて、あまり意味があるとは思えなかったですから、今年はちょっとアカデミックでもないけど、人から聞かれたら『へー』と言われそうな著書を、と思っておりまして、

                    な、な、なんと、数日前から『源氏物語』(与謝野晶子訳)を開いております、、(どや顔)。それ、わざわざ買ったのか?

                    いえ、実家で見つけたのです、かなり前に。オヤジが使っていたデスクの横の本棚にありましたから、オヤジ自らガラにもなく買ったってことでありましょう。でも全く綺麗なもので、恐らく早くにGive upしていることに違いない! 偉そうに言うなってね、まだ読み始めのくせにね・・・角川文庫でございます、上中下の3巻で、平成3年の第49刷、若干黄ばんでいる以外にはホント乱れもなくて、十分すぎるほど。

                     

                    この与謝野晶子が現代語訳した源氏物語、角川文庫になったのが昭和46年ですから、オヤジのように読まない人も多かったのだろうけど、かなりの発行部数になりますね。それでも、晶子さんが訳した当時は全く売れなかったらしい。どうしてなんだろうね、ちょっと不思議な気がする。谷崎潤一郎訳の物が有名だから、源氏物語を読もうとする人は圧倒的に“谷崎本”を選んだのかもしれませんな、晶子さんは歌人、と思われているということもあるのでしょうね。

                     

                    これを読み始めるとですな、非常に面白いことに気がついたのでありますね〜第2章?第2段?、どう言えば良いのかな、とにかく『桐壷』の次の『帚木(ははきぎ)』においてですな、女性論が展開されている訳なんですよ〜ちなみにこんな感じ――

                    『・・・なよなよとして優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります・・・・妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりも構わないで、額髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません、理解のある妻に話さないではつまりません・・・そんな時に何ですかとつっけんどんに言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか・・・』

                     

                    へ〜、ですよね、現代と何ら変わらぬ世界がある、と言いますか、男の感じ方、妻の有り方、千年経っても同じ。そして、男の気持ちを女の紫式部が書いているという、、、ある意味、感動的でさえありますね。

                     

                    高校の古文の授業で源氏物語を勉強したことがございました。でも冒頭の部分だけでした〜・・誰でも良く知っている文章、、、『いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり・・・』、、

                     

                    もうン十年前のことですが、この授業の折り、ある男子が先生に質問したのですね、『時めきたまふ』とはどういうことですか、と。おいおい、そんなこと分かり切ってるやろーってね、『わざわざ聞くな』ってヤジが飛びそうなものでありますけども、意外に教室は静かでした。そしてその時の先生の微妙な表情が忘れられません。ちょっと困ったようなね。でも、今から考えると、ベテランの先生でありましたから、何度もそういう質問は受けていたはずで、慣れていたに違いない。あの微妙な、ちょっと困った表情さえも質問に対する答えの一部だったという気がいたします。絶妙とも言える“間”の後、先生はおっしゃった、、『帝(みかど)のご寵愛を受けて、寝所にお仕えすることが多いことを言います』。完璧ですね〜、『ご寵愛』だけでは更なる質問を呼んでしまう可能性が高い、そうなると美しい古典の授業の品格を大いに損ねてしまうに違いない、、なんてことまで気遣ったと考えられます。

                     

                    難解と思われがちの源氏物語、しかし、実際のところは分かりやすい女性論や恋愛論であったりするわけで、そんなところをまた読み進めて皆さんとともに『あれやこれや』と言って楽しみたいと思っております・・・

                    ♂♀の話題もふんだんに・・・な〜んじゃそりゃ!?

                     

                    ♂♀と言えば、源氏物語に先立つものがありましたな、そうなんです、

                    『伊勢物語』、、

                    在原業平という男前を主人公にいたしまして、『むかし、をとこ・・・』で始まるお話の数々。これが何で『伊勢物語』というタイトルになったのか? UKI氏の郷里である三重県を舞台にしたお話の数々なのか、というと全くそんなことはないわけですな。誰も分かってないというのが事実、作者さえも不詳です。

                    一説によりますと、第69段で伊勢を舞台にしていて、その中で業平さんがですな、伊勢の斎王とやっちゃうわけなんですな、それがあまりに衝撃的―ということでタイトルとなったと。斎王というのは、伊勢の斎宮という御所で伊勢神宮に仕え奉仕する皇女なわけでして、もうホントとんでもないお話、そんなのアカンやろと、ウッキーでさえ思ってしまうのにね。

                     

                    とにもかくにも、この在原業平という男、光源氏の大先輩で、もう凄い鼻息で女めがけて“突進”している。歌さえも、既に着物脱ぎ掛けて“準備”に入っているのではないかというようなトーンですから、それはもう凄まじいものでありますね。それを、岡野弘彦氏という国学院大学の先生、“三重賢人”がですな、『いろごのみ』という言葉で、とっても真面目に語って解説しておられますから、これがまた二重三重のおかしさと言いましょうか、ホント笑える。

                     

                    『伊勢物語』は、あとに続く『源氏物語』の“原型”と言っても過言ではないのに、そういう評価っていうのは聞きませんね、どうしてだろう。恐らく、“物語”としての完成度があまりに差があり過ぎる、ということなんだろうと思います。源氏物語の現代語訳を目にすれば、多少の違和感を除いて直ぐに“入り込める”気がするのですけどね、伊勢物語はどうも『なにか違うぞ』という感覚があるし、他愛なさすぎるとも言えますな。

                     

                    それにしましても、日本の古典というのは、『色』にあふれている、のが特徴と言いますか、優れていると感じますね。『色』とは、男女の“いろごと”であるし、また実際の“カラー”、色味。

                    ぼんやりと読んでいても、“それ”を感じますから、その都度、想像力“たくましく”ならざるを得ないのですね。

                     

                    さあ、外出を控えておられる皆さん、

                    こんな機会は滅多とありませんよ〜

                    せいぜいこの機会に『色』とふれあいましょうよ。

                     

                     

                     

                     

                    | ukitama | - | 16:54 | comments(0) | - | - | - |
                    Market News
                    0

                      世界のダイヤモンド関連のニュースを少し。

                       

                      先ずはNew Yorkから。

                       

                       

                      この画像は何か分かりますか?

                       

                      6.21carats Fancy Intense Pink Purple,

                      なんだとか。

                      NYに本社を置くL. J. Westという宝石屋が、ロシアの有名な鉱山であるAlrosaから買ったという商品。

                       

                      This is a stone that’s so incredibly rare, it could be in a museum.

                       

                      『信じられなほど稀少で、博物館クラス』

                      ということですね。

                      『これまで見た中で最大のPurpleで、最も鮮明な紫』とL. J. Westの副社長が言うくらいですから、相当な物なのでありましょう。

                       

                      それでも、L. J. West社は、このIntensePurpleはまだ改善の余地があると考えており、再研磨することにより、Purpleの色を更に引き出し、Clarityグレードもアップするとしております。画像で見る限り、ちょっとPinkが強いのではないかと思われますが、これがもっと純色のPurpleに近づくということでしょうね。それに、画像でもインクルージョンは見えないほどCleanですから、ひょっとしたらVVS2以上、あるいはVVS1になる可能性も秘めているのかもしれません。

                      ただし、再研磨によって、重量は約1カラット減少するとのこと。

                       

                      さて、気になる価格ですが、

                      残念ながら、L. J. Westは、どのような価格も公開を拒んでいるとか〜・・・

                      肝が小さい!!

                       

                      まあ、どうでも良い話ですが、どうせ買えないですから、

                      ジュエリー加工して販売するそうです。

                       

                       

                      次は、問題山積の中国に代わって世界のダイヤ市場の牽引役となっているインドからのレポートです〜・・・

                       

                      Exhibitors at the IIJS Signature show in Mumbai expressed confidence India’s strong wedding tradition and enduring love of gold would help the nation’s jewelry industry overcome its current challenges.

                       

                      Mumbaiで開催されたジュエリー展示会の出展者は、インドの強い伝統的な結婚式と永続的な金(Gold)への愛着は、国内のジュエリー業界が現在の課題を克服することに役立つと表明した。

                       

                      Economic uncertainty, high gold prices, tight regulation and the outbreak of the coronavirus in China have created difficulties for the Indian jewelry sector. Gold prices have always gone up. Gold is a form of investment for Indian people. People trust in gold prices.”

                       

                      経済の不確実性、高い金価格、厳しい既成、コロナウィルスの発生など、インドのジュエリー業界は困難に直面しているが、金価格は常に上昇している。金(Gold)は、インド人の投資の一形態であり、人々は金価格に信頼を置いている。

                       

                      The yellow metal has gained around 20% in value over the past year as investors view the commodity as a safe haven during global economic uncertainty. While that has dampened Indians’ ability to buy, many consumers still see it as a strong investment and even as a currency, with the price growth sometimes boosting their willingness to splurge before the rate increases further.

                       

                      黄色の金属は、世界経済が不確実性を増す中で、資金の安全な逃避場所となり、過去1年間で約20%も値を上げた。それは、インド人の金(Gold)の購買能力を低下させたが、依然として金は有望な投資の対象であり、彼らはそれを通過とさえ見ている。それどこか、金価格の上昇は、さらなる投資の意欲に繋がっているとも言える。

                       

                      However, a shift by consumers toward pieces with less gold content and thinner profit margins for jewelers have offset the rise in gold demand over the past year, exhibitors said. India’s 12.5% import duty on the precious material has intensified the problem, Shah added. The government’s decision to maintain that rate — as well as a 7.5% levy on polished diamonds — in its annual budget earlier this month disappointed the trade, which had been campaigning for a reduction.

                       

                      しかし金価格の上昇は、消費者の、より軽いめのゴールド・ジュエリーの選択へと導かれたせいで、金の需要の増加は相殺された。また、貴金属に対する12.5%の関税と、研磨済みダイヤに対する7.5%の輸入税は、貿易業者を失望させた。

                       

                      But while Indian nuptials continue to feature bold displays of expensive jewelry, making it a constant source of demand, wedding budgets have decreased due to the sluggish economy. Diamond consumption has suffered as Indians opt for smaller jewelry, with the average Indian bride now wearing around 15 carats in total weight on her big day, compared with 30 carats two years ago, estimated Hardik Shah, the executive director of BR Designs, a Surat-based jewelry manufacturer and retailer.

                       

                      インドの結婚式は高価なジュエリーの展示場であり続け、それによってある程度の需要は期待できるが、不景気のせいで結婚式の予算は縮小されている。現在の平均的なインド人の花嫁は、合計15crts(地金と合わせた重量、約3グラム)のダイヤリングを身に付けている。それは2年前に比べると約半分の重量になっている。

                       

                      Consumers there are shifting to lower gold weights and fewer diamonds in their wedding jewelry, but aren’t compromising on color and clarity, according to Nilesh Soni, head of marketing for the southern region at Mumbai-based jewelry manufacturer Neo Diamonds. They’re still insisting on D-to-F, VVS diamonds, he observed, noting that his company’s sales at the show were mainly of mid-range wedding necklaces with those specifications, Soni reported.

                       

                      インドの消費者は、ウェディング・ジュエリーの金地金の重量を減らしてはいるが、ダイヤモンドの質に関しては妥協していない。結婚するカップルは、相変わらずDからFVVSのダイヤモンドを求めている。』

                       

                      ダイヤモンドの世界で、インドの強みは圧倒的なものがあります。

                      なんせ、世界のダイヤ研磨のかなりの割合を握ってしまっているし、それとともに、ダイヤモンドの一大消費地であるということ。かつて、インドは貧しい、しかし、インド人のたったの5%がダイヤを1個ずつ買うだけでその数は数千万個、それだけの日本人がダイヤを買いますか?と聞かれ、ぐうの音も出ませんでしたが、今や5%ではないですからね、一体、日本の何倍の消費量があるのだろうと思ってしまいます。

                       

                      そして、インドの強みは、アメリカとの関係が良好なこと。

                      インド系のダイヤモンド屋さんがアメリカで販売網を築くことに何ら問題がない。インドとアメリカ、2つの大消費地に恵まれ、インドのダイヤモンド産業はますます興隆して行くのではないですかな。多少の不景気は全く関係ないという気がしております。

                       

                       

                       

                       

                      | ukitama | - | 15:50 | comments(0) | - | - | - |
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