Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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ダイヤモンド今昔物語ーその19
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    1995年1月18日午前11時、原田商事大阪支店の支店長、堂前は、機上の人となって関西空港から離陸した瞬間だった。機首を大きく上げながら上昇してゆくKLM機の右側には、大小数えきれないほどの噴煙が上がっていた。信じられない光景、神戸の街は一体どんな有様となっていることだろう、胸が張り裂けそうな思いであった。

     

    前日の早朝に神戸を襲った地震が、あたかも巨大な恐竜がのし歩いたかのような爪痕をつけていた。地震の直後に発生した火災は、消火活動が遅れるか全く不可能なものが大半で、完全に焼け落ちてしまって鎮火したところを除けば、ほとんどのところでまだ燃え続けていたのだった。堂前は、こんな折りに海外買い付けの予定が入っていて、なんとか出発できたことが果たして良かったのかどうか、まだ計りかねていた。震源地の神戸沖からは比較的距離のある大阪府南部に住む堂前の家でも大きな揺れを感じたが、幸いにして、仏壇の蝋燭立てが倒れて畳の上に落ちたくらいのもので、被害は全くなかった。しかしながら、その日の出勤はままならなかった。ところどころしか動いてない私鉄を乗り継ぎ、何とか大阪市内までたどり着いたものの、地下鉄が全く動かず、30分ほどの徒歩を余儀なくされた。大阪市内は、神戸のようなことはなかったが、全く無傷でもなかった。銀行の店舗の窓ガラスが割れて道に散らばっていて、ゆっくりと歩かないとケガしそうな箇所があったし、看板が落ちているところもあった。やっと原田商事大阪支店が入っているビルに着いたと思ったら、様子が変だった。明らかに中の照明が消えていた、こんなことは過去になかった。ビルの入口の自動ドアはピクリとも動かず、ひょっとしたら手動になっているのかなと思って横に引いたものの、完全にロック状態であった。ケイタイが鳴った。本社からだった。

     

    「はい、堂前です」

    「お疲れ様です、本部長におつなぎします」

    「堂前くん、ケガはないか」

    「はい、なんともありません」

    「良かった。無事でなにより、ホッとしたよ。今どこ?」

    「支店のビルの前です。入口のドアが開かなくて、入れないんです」

    「まさか傾いているとか、、、」

    「いえ、それは大丈夫です。多分、電気系統がおかしくなっているだけだと」

    「社員はキミの周囲にいるのか?」

    「いえ、誰も。私も今ここに到着したばかりで。地下鉄が全く動いてないんですよ」

    「そうか、それは大変だったな。キミのケイタイから社員の全てと連絡を取るのは大変だろうから、こちらで手分けして無事を確認しておくよ。キミはこれからどうするつもりなの?」

    「とりあえず、ビルのメンテしている会社を訪ねて、なんとか入れるように・・・」

    「そうだな、全てはそこからだ」

     

    10階建てだが、床面積60屬曚匹両さなビルだった。原田商事大阪支店は、その6階から8階までの3フロアを借りていた。なんとかビルのオーナーを探し出して連絡がつくまで1時間、そしてオーナー氏が駆けつけてくるまで更に1時間を要した。気分と同じように、どんよりと曇った空の下、しんしんと冷える空気の中、堂前はずっとその界隈に立っているしかなかった。気が付いたらもう午後2時になっていた。本社に電話したら社員全員の無事が確認されたということだった。非常階段を使って6階の部屋に入ると、いくつかの書類が床に散らばっていた。電子秤がデスクの端から落ちそうになっていた、テレビで見た高速道路の光景が重なった。7階に上がると、大きな金庫の位置が20僂曚疋坤譴討い拭C忙或佑かりでようやく少し動かして位置を変えたことがあったほどの重量だったのだ、思わずその場に立ち尽くした。8階の自分のデスク周囲がやはり一番荒れていた。元の場所にある物は皆無と言ってよかった。いずれにしても、電気系統が復旧しないうちは仕事にならない。それが済んでオフィスの片づけをやって、元の業務に戻るまでは3,4日かかるのであろう。その折りに不在となることは支店長として心苦しいことだったが、堂前は海外買い付けを優先することにした。老練な支店次長の世古がちゃんと後始末の指揮を執ってくれるだろう。買い付けに必要な書類やツールをカバンに入れ、堂前は混乱した頭でドアを閉め、カギを掛けたのだった。

     

    KLM機は水平飛行になり、シートベルト着用のサインが消えた。もう神戸の街は見えなかった。ここまで来たからには後戻り出来ない。全ての雑念を振り払って買い付けに集中すべきだった。やはり多くの人がフライトをキャンセルしたか延期したのであろう、ボーイング747の2階のビジネスクラスはガラガラだった。何気に斜め後方に目をやると、堂前とは反対側、左の窓際に“業界人”の板谷の顔が見えた。板谷は堂前よりも一回り上の世代で、板谷が経営する会社は大阪の老舗のひとつだった。堂前はすぐに立ち上がって挨拶に出向いた。

    「社長、お久しぶりです。社長もAntwerpですか?」

    「おお、誰かと思たら堂前クンやないか。相変わらず忙しいこっちゃな。わしはイスラエルや。せやけど、お互いホンマ商売熱心やな、こんな折りに」

    「そうですよね、普通なら買い付け行くの、やめますよね。悲しい性(さが)ですね、お互いに」

     

    板谷に、空いている通路側の席に座るように勧められ、堂前は従った。

    「しかし、こんな時でさえ買い付けに行ってダイヤしこたま見れるっちゅうのは幸せなことやで」

    「そうかもしれません、そういうことはあまり考えてませんでしたけど」

    「やろなぁ、若いからな。わしは学生の時からオヤジの仕事を手伝うてたのやけど、その頃はホンマにダイヤなんて少なかったでぇ。ちょうど二十歳の時にな、昭和41年やけども、心斎橋の‘そごう’で、『大蔵省放出ダイヤ』が売り出されたんや。オヤジに『お前、ちょっと見に行ってこい』って言われてな、行ったら、えらい人や。店に入られへんどころか、そごうの周囲を行列が二重取り巻きや。こんなもん並んで待っても、いつ入れるやら分からん。直ぐに諦めて帰ってきたわ。オヤジに『アカンわ、競争率高過ぎ』って言うたら、『アホか、お前!』って叱られたけど、どう考えても、買うどころか、ダイヤさえ見られへん人の方が多かったんちゃうか」

     

    大蔵省放出ダイヤ・・・・?!?

    第二次世界大戦中、航空機や兵器などの製造に必要だと言って、政府が民間に供出を求めたダイヤモンドのことである。昭和18年から翌年にかけて新聞などで国民に呼びかけ、な、な、なんと、合計約150万個、16万カラットにもなったと言われる。当時のダイヤモンドは、金(ゴールド)やプラチナとほぼ同じような存在、通貨よりも信頼の置ける物と国民に認識されていたのであろう。軍部は当初、大砲や戦闘機に不可欠な部品の代用品としてダイヤモンドを考えていたようだが、実際にはほとんど使われることなく終戦を迎えた。終戦後は、一時期、米軍に接収されたものの、その後返還され日銀の地下金庫に収蔵された。世の中が落ち着き、東京五輪も成功させ、一般大衆の多くが宝石に目が向きだした昭和41年に、個人向けの売り出しが始まったのであった。

     

    CAがカートを押してやってきた。

    「Would you like some drink?」

    「Beer, please」

    「Me, too」

     

    堂前はビールを喉に流し込んだ途端に疲れを感じた。それは、まだ買い付けのための移動が始まったばかりというのに、長い長い旅の後、やっと家に戻った旅人の疲れのようでもあった。板谷は屈託なくビールと機上の時を楽しんでいるようだった。『そう言えば、この人はシワイ(吝い、けち)ことで有名やったな、只なら何でも嬉しい、みたいなこと言うてたな』、堂前は業界人の噂を思い出して少し笑えてきた。板谷の会社の営業マンは、どんなに大口の顧客であっても会社経費による夜の接待は許されず、接待として許可されているのはランチの一人1,500円までということだった。板谷の社員にランチを誘われ、『昼は忙しいから』と断ると、『それではモーニングを一緒に』と言われ閉口した〜というような笑い話も伝わっていた。『ホンマになあ、何が悲しゅうて男と一緒に朝のコーヒーをともにせなアカンねん』と、また笑えてきた。

     

    「なに笑ろてんねん?」

    「いえ、あの、その〜・・うちの社員がね、昭和の終わり頃ですけども、海外出張に出発する時に、成田で弁当と缶ビール買うて、こういうタイミングで食べだしたら、CAに見つかって叱られて、弁当と缶ビールを取り上げられた、っていう話を思い出しましてね」

    板谷に、心の中を見透かされたのかと堂前はヒヤリとしたが、なんとか切り抜けた。

    「それって、ひょっとしたら、矢沢クンのことちゃうか?」

    「ご存じでしたか、本人が言うてましたか?」

    「いや、初耳やけどな、なんや矢沢クンと直ぐに重なったわ」

     

    4年前の湾岸危機の折り、かなりヤバくなるまでTel Avivで買い付けしていたのは矢沢だけではなかった、板谷もその一人だった。板谷とはTel Aviv、Ramat-Ganのレストランでよく顔を合わせていたことは矢沢から聞いていた。

     

    「矢沢クンは元気なんかな?」

    「あいつが元気なくなるようやったら他のもん皆ICUに入ってますわ。そのへんは板谷社長と同じちゃいますか」

    「また人を野犬みたいに」

    「いやいや、その通りでしょう」

     

    機体が右旋回のあと左旋回になった。板谷の顔の横の窓からは能登半島がクッキリと見えた。この飛行コースは初めてのような気がした。

    「地図と一緒やな」

    板谷も堂前と同じことを思っていたようだ。

     

    「ところで、社長は大学卒業した後、すぐに家業に入らはったんですか?」

    「そのつもりやってんけどな、オヤジが『この商売も先行き読めんから、ワシが元気なうちに、よそのメシ食うてこい』言うから、商社に入ったんや、、よりによって安宅産業にな」

    「それって、倒産した総合商社ですよね」

     

    安宅産業は、昭和の半ばから50年代にかけて、“物産”“商事”を始めとする10大商社の一角を占めていたが、1975年、カナダにおける石油精製事業の失敗により巨額の損失を出し、資金繰りが悪化、自転車操業となって、ついに1977年、伊藤忠に吸収されて消滅したのであった。

     

    「ワシが安宅に入ったのは昭和43年(1968年)やけど、そのころ既に腐りかけとったんや。そんなことも知らんとなぁ、ホンマにアホやったわ」

    「安宅には何年?」

    「丸5年。よう我慢したわ、5年も。今で言う“Black”や、しかも超が付く」

     「どんな部署で仕事してはったんですか?」

    「地下資源関係や。入社して半年も経たんうちに、『天然ガス開発事業を監督してこい』と言われてな、インドネシアに飛ばされて、訳の分からんままに8ヵ月もおったわ、ジャカルタから船で何時間もかかるクソ暑いところやった、まるで南方戦線の出征兵士やな」

    「まさか、ヘルメット被ってツルハシ持って、ドカチンやってたとか??」

    「そう、全くその通り」

    「そんな、アホな!」

    「冗談みたいなホンマの話や。当時の商社マンには、その種の作業も当たり前のように思われてたけどな。ワシの場合は、ガス田開発したのに、天然ガスを積み出す港湾までのパイプラインが未整備で、パイプライン敷設作業に関係する諸事の調整が主な仕事やってんけど、いつの間にやら現場の最前線に立たされとった。立ってるだけならええけども、重機が入らん箇所がいくつもあってな、その都度ドカチンやで。現地で雇った土木作業員は、日本人の現場監督が動かんことには仕事せんのや、ホンマ難儀した」

     

    堂前は、吝い(しわい)とばかり思っていた板谷を少し見直した。戦後の日本の復興と発展は総合商社の活躍なくしては有り得なかった。板谷は、“株式会社日本”の尖兵として世界中に送り込まれた“戦士”の一人だったのだ。

     

    「しかし、石油ショックがあったとは言え、総合商社がそんなに簡単に消えてなくなるものなんですか?」

    「そこや。創業者のアホな長男が世襲したのが全ての間違いやな。あんなボケ、カス、あんまりおらんでぇ。大卒の初任給が4万や5万や言われてる時に、年商1兆円超えてる企業動かしてたんやから、そりゃまあ勘違いしても無理はないけどな。それにしても、どアホの2代目は、会社のゼニで美術品買いまくって、、、キミもちょっとは聞いたことがあるやろ、安宅コレクション」

    「あ〜そうでしたね、中之島の中央公会堂の隣の」

    「そうそう、それそれ。東洋陶磁器美術館。膨大な安宅コレクションを展示するために大阪市が建てたんや」

    「呆れて言葉もおまへん」

    「その息子、3代目も負けんくらいアホでな、親父が陶磁器なら俺は車や、言うて、クラシックカーを数十台買い漁った」

    「うっ、へっー」

    堂前はビールのグラスをひっくり返しそうになった。

    「諫言する番頭さんとか、いてなかったんですかーー」

    「そこやがな。普通の大企業なら銀行が入って来てトップの首をすげ替えて資金援助して立ち直らせる。けどな、安宅のバカ殿の周囲には、その数300とも500とも言われた“家臣団”がおってな、そいつらがまた利権集団に成り下がってたということや。こんな会社、銀行が支援すると思うか」

    「なるほど、よう分かります。どうせなら、世界中から超弩級のダイヤを買ってコレクションして欲しかったですよね、市立美術館が盗賊に狙われるほどの」

    「買うとったやろ。ダイヤや宝石類はどうせクソ親子の懐(ふところ)にしっかりと確保されとるに違いない」

    「そりゃそうですよね」

     

    CAがまたカートを押してやって来るのが見えた。食事の時間が来たようだ。堂前は、『それではまた』と板谷に言って自分の席に戻った。支店長に昇格して初めての買い付けだった。板谷と話して、かなり平静を取り戻したものの、神戸の街がやはり脳裏から離れなかった。震災に動揺して買い付けに失敗するなど有り得なかったが、出鼻をくじかれたというようなものではなかった、暗闇でいきなり殴りつけられたような気分だった。こういう折りに、原田社長や松岡本部長と何か仕事の話でもできれば少しは気持ちがリセット出来るのではないかと思った。しかし、そんなことを思う自分は、かなり甘えた存在なのだろうとも感じた。改めて自分が大阪支店長に抜擢されたことの意味を噛みしめた。堂前は37歳になったばかりだった。アッと驚く人事が多い原田商事の中でも、かなり“驚愕度”の高い抜擢だった。支店長になるまで、堂前は管理職ですらなかったのだ。

     

    お互い全く何も知らされることなく、支店次長に昇格することになる世古とともに呼び出され、新幹線に乗って東京本社に向かったのは2か月前、11月半ばだった。大阪支店長の吉田は、体調を崩したままひと月以上出社できず、ついに12月15日をもって退職することになったのだった。支店次長は長らく空席で、世古がその代理を務めていた。世古は、転職してきた元銀行員の経理マンだった。原田に入社したのは堂前とほぼ同時期で、今年55歳のはずだった。大阪支店の経理を一手に任され、仕事は手堅く、細かい経費諸々の管理から得意先の信用調査や与信管理まで広い守備範囲を任されていた。東京に向かう新幹線の中で堂前は、『世古さん、支店長就任おめでとうございます』と言ったら、世古は真剣に嫌がっていた。『ちょっと待ってくれよ、なんでワシやねん、経理マンがトップになったら営業マンたちの‘やる気’を削いでしまうでぇ』と言って心配していた。いつも冷静沈着な世古でさえ、堂前が支店長になるとは夢にも思ってなかったようだった。『ところで、堂前クンは何用で本社に?』と聞かれ、『ひょっとしたら、どこかの駐在員に飛ばされるのかもしれないですね。僕もイヤですよ、嫁はんも子供もいてるのにインドやイスラエルに行かされるのは。そんなとこ、単身で行かなアカンやろし』、、、などと言っていたのだった。本社に着くなり社長室に通された。ドアを閉めて前を見ると、社長と本部長、そして何人かの役員が揃っていた。『これは一体、何事?!?』と急に緊張してきた。本部長が一歩前に出て言った。

    「それでは辞令を交付します。名前を呼ばれたら、社長の前まで進んでください」

    「堂前清」

    「はい」

    「大阪支店、支店長を命ず」

    「えー?! なんですって??! まさか、、ウソ、でしょ???!」

    「ホンマや」

    と原田が言って、役員たちから笑い声が漏れた。

     

    そのまま会議室に移動して、濃密なミーティングが始まった。

    「堂前クンにとっては青天の霹靂以外の何物でもないと言うか、そんなありふれた表現では全く足りない不測の事態だろうが、不思議なことに、役員の反対は全くなかった。いや、反対だ、ほとんどの者が積極的な賛成だった。だが、この人事の発案者は私ではない、全く珍しいことに松岡本部長だ。では、本部長、人事の要諦を言ってやってくれ」

    松岡が大きく咳払いした。

    「全く珍しいとは大いに気に障る表現ではありますが、、、確かに私は頭が固いことで有名で、社内がアッと驚くような抜擢人事は常に社長からの発案でした・・・、今回、堂前クンを・・・」

     

    とかく“まとまり”に欠け、チームプレーが苦手、個人プレーに走り過ぎと言われている大阪支店だった。吉田支店長が病を得て出勤が遅れがちになると、それはいっそう顕著になったのであった。

    「支店の約半分が堂前クンよりも年上の社員だから、堂前クンに上からの強い指導力を発揮してもらうことを望んでいる訳ではない。バランス感覚に優れ、周囲が良く見えているサッカーやラグビーの背番号10番の役割を担って欲しいと思っている・・・・・・

    ・・・そう、支店をOne Teamとして機能させることが出来るのは堂前クンだけだと判断した」

    「松岡、“One Team”なんて、そんな斬新な言葉、誰が言ってたんだ?」

    原田の横槍に松岡は一瞬、ムッとなった。

    「私のオリジナルです」

    「それこそ、ウソやろ」

    「まあ、いいでしょう、21世紀になったら小学生でも言うようになりますよ」

     

    何度か寝て覚めてを繰り返しているうちに、いつの間にやらKLM機は下降体勢に入っていた。フラットな大地を縦横に延びる運河がカチンコチンに凍結しているのが見えた。『Amsterdamの気温は氷点下10℃・・・』という機長のアナウンスに思わず身震いしてしまった。スムーズにTouchdownして駐機場に移動するまであまり時間を要しなかった。二階席から下り、到着ロビーに出てきたところで、現地のマスコミであろう男に呼び止められた。『地震の話を聞かせてくれ』と言ってきた。『神戸の街が燃えていた』と言うと、『そんなことはテレビで見て知っている。個人的な体験を』と言われ、『そんなこと急に言われてもなあ』と考えていたら、『OK, Have a nice day』と、他の者のところに行ってしまった。Tel Avivへ向かう板谷と別れ、堂前はEU域内の乗り継ぎ便発着エリアに向かった。欧州大陸時間午後3時だった。緯度の低い真冬のオランダは、もう十分に夕刻だった。あまり明るいとは言えない長い連絡通路に、光が平たい板のような形に射し込んできていた。皮肉なことにその光景は、海の底のように静かで平和であった。

     

        ― 続く ―

     

     

     

     

     

     

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