Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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いろごと
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    3月ですね、5日は二十四節気『啓蟄』、虫たちも穴から出て来る頃となります。

    暖冬でしたから、3月が待ち遠しかったというほどでもないのですけども、

    なんとなく3月というのは嬉しい気がするものです。

     

    今年は閏年で、先月は29日までありましたから、一瞬『アレ?!』っと感じてはおりました。けれど、1日増えたところで2月の短さを思ったのはいつも通りで、『早いな、もう3月やなぁ』と何気に呟きましたら、家内から『毎月そんなことばっかり』と揶揄され、、、いけませんねぇ〜これはひょっとしたら、、毎日何となく過ごしているだけで、あまり充実してない証拠?! もっと時間を大切にしたいと思います。

     

    ところで、日本ではことさら取り上げませんけども、229日の誕生日の人って、一体どれくらい存在しているのか少し興味ありますね。我々が生まれた当時は、“ゆるかった”と言いましょうか、結構“誕生日を変えている”者がおります。ウッキーの同級生なんて何人もおりますよ、当然ながら1週間以上ズラすのはかなり無理がありますから、出生届を出さないといけないですからね、皆、2日〜5日の“変更”なんですけども、年末に生まれて元旦の誕生日なんていうのはかなり多いのではないですかな。ちょっと酷いと言うか、可哀想なのは、せっかく43日とかに生まれているのに、3月末の出生にされている者。無理やり『早行き』にさせられて、それはもう小学生の最初の頃はさぞやシンドかったでありましょうね、容易に想像つきます。そういうことで、229日の誕生日の人というのは知らないですね、自分からは言わないだろうしね。最近は産婦人科医が厳しいらしですから、平成生まれの229日の誕生日を持つ者は普通にいるのでありましょう。先月末、英国BBCのニュースを見ておりましたら、英国にはかなり“その日”が誕生日って公言して平気な人が多いのですね、何人もインタビューに答えておりました。8歳の少年が、『僕は2回目の誕生日を迎えたんだ』なんて言っているのを聞きますと微笑ましくもあり、何となく可哀想でもありで、ちょっと複雑な気分。40歳の女性が、『私は今年10歳ですよ、まだまだ若い若い』とかって割りと嬉しそうにしているのも英国ならではでありましょうか。『閏年でない年に誕生日を祝ってもらうの?』というような意地の悪い質問には、『228日か、31日にね』って言う真面目な回答ながら、『それって、ホントのところはどうなのかな?!』と考えてしまいますね、嬉しいのか嬉しくないのか、かなり微妙なんだろうと。

    と思いますと、誕生日に限らず、毎年巡ってくる個人的な〇〇の日、記念日、もっと気を使って然るべき〜、もっともっと意識すべしと感じます。

    自分自身の誕生日だけではなく、大事な人の誕生日、そして〇〇記念日、何かの形で“花を添える”ことをやっていただればと切に願います。

    とりあえず今月は14日、ホワイトデーか、

    ちょっと釈然といたしませんが、

    これも大事やねぇ、諸兄。

     

    さてまあ、外出を控える人が多く、デパートでは土日でさえも客より店員の方が多いーーなんていうのはよく聞く話で、それだったらかえって安心だろうってね、サービスもこれまでよりは良いだろうから、デパート行くのなら今や!って意気込んでいる人もいるとか〜

    ウッキーはどうかと申しますと、

    日ごろから出不精なもので、いっそうそれに拍車が掛かりまして、もう1週間、電車やバスに乗っていない! もう完璧に“PC前”に張り付いておりますよ。

    運動不足だろって?

    それがですな、ここは田舎ですから、人や車がまばらなジョギングコースには事欠かない。恩恵を被っております。

    まあでも、四六時中ジョギングしていられませんからね、いわゆる“余暇”は?

    そう、読書ですな、これにも拍車が掛かってまいりました・・・今年は久しぶりに年間100冊に挑戦!

    そう、久しぶりに。

    年に6回7回と海外買い付けに行っておりました頃は、年間100冊以上が当たり前だったのですけどね、専ら時代小説やらハードボイルドやら、行きのフライトだけで2冊読めてしまうような内容極薄が圧倒的に多くて、あまり意味があるとは思えなかったですから、今年はちょっとアカデミックでもないけど、人から聞かれたら『へー』と言われそうな著書を、と思っておりまして、

    な、な、なんと、数日前から『源氏物語』(与謝野晶子訳)を開いております、、(どや顔)。それ、わざわざ買ったのか?

    いえ、実家で見つけたのです、かなり前に。オヤジが使っていたデスクの横の本棚にありましたから、オヤジ自らガラにもなく買ったってことでありましょう。でも全く綺麗なもので、恐らく早くにGive upしていることに違いない! 偉そうに言うなってね、まだ読み始めのくせにね・・・角川文庫でございます、上中下の3巻で、平成3年の第49刷、若干黄ばんでいる以外にはホント乱れもなくて、十分すぎるほど。

     

    この与謝野晶子が現代語訳した源氏物語、角川文庫になったのが昭和46年ですから、オヤジのように読まない人も多かったのだろうけど、かなりの発行部数になりますね。それでも、晶子さんが訳した当時は全く売れなかったらしい。どうしてなんだろうね、ちょっと不思議な気がする。谷崎潤一郎訳の物が有名だから、源氏物語を読もうとする人は圧倒的に“谷崎本”を選んだのかもしれませんな、晶子さんは歌人、と思われているということもあるのでしょうね。

     

    これを読み始めるとですな、非常に面白いことに気がついたのでありますね〜第2章?第2段?、どう言えば良いのかな、とにかく『桐壷』の次の『帚木(ははきぎ)』においてですな、女性論が展開されている訳なんですよ〜ちなみにこんな感じ――

    『・・・なよなよとして優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります・・・・妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりも構わないで、額髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません、理解のある妻に話さないではつまりません・・・そんな時に何ですかとつっけんどんに言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか・・・』

     

    へ〜、ですよね、現代と何ら変わらぬ世界がある、と言いますか、男の感じ方、妻の有り方、千年経っても同じ。そして、男の気持ちを女の紫式部が書いているという、、、ある意味、感動的でさえありますね。

     

    高校の古文の授業で源氏物語を勉強したことがございました。でも冒頭の部分だけでした〜・・誰でも良く知っている文章、、、『いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり・・・』、、

     

    もうン十年前のことですが、この授業の折り、ある男子が先生に質問したのですね、『時めきたまふ』とはどういうことですか、と。おいおい、そんなこと分かり切ってるやろーってね、『わざわざ聞くな』ってヤジが飛びそうなものでありますけども、意外に教室は静かでした。そしてその時の先生の微妙な表情が忘れられません。ちょっと困ったようなね。でも、今から考えると、ベテランの先生でありましたから、何度もそういう質問は受けていたはずで、慣れていたに違いない。あの微妙な、ちょっと困った表情さえも質問に対する答えの一部だったという気がいたします。絶妙とも言える“間”の後、先生はおっしゃった、、『帝(みかど)のご寵愛を受けて、寝所にお仕えすることが多いことを言います』。完璧ですね〜、『ご寵愛』だけでは更なる質問を呼んでしまう可能性が高い、そうなると美しい古典の授業の品格を大いに損ねてしまうに違いない、、なんてことまで気遣ったと考えられます。

     

    難解と思われがちの源氏物語、しかし、実際のところは分かりやすい女性論や恋愛論であったりするわけで、そんなところをまた読み進めて皆さんとともに『あれやこれや』と言って楽しみたいと思っております・・・

    ♂♀の話題もふんだんに・・・な〜んじゃそりゃ!?

     

    ♂♀と言えば、源氏物語に先立つものがありましたな、そうなんです、

    『伊勢物語』、、

    在原業平という男前を主人公にいたしまして、『むかし、をとこ・・・』で始まるお話の数々。これが何で『伊勢物語』というタイトルになったのか? UKI氏の郷里である三重県を舞台にしたお話の数々なのか、というと全くそんなことはないわけですな。誰も分かってないというのが事実、作者さえも不詳です。

    一説によりますと、第69段で伊勢を舞台にしていて、その中で業平さんがですな、伊勢の斎王とやっちゃうわけなんですな、それがあまりに衝撃的―ということでタイトルとなったと。斎王というのは、伊勢の斎宮という御所で伊勢神宮に仕え奉仕する皇女なわけでして、もうホントとんでもないお話、そんなのアカンやろと、ウッキーでさえ思ってしまうのにね。

     

    とにもかくにも、この在原業平という男、光源氏の大先輩で、もう凄い鼻息で女めがけて“突進”している。歌さえも、既に着物脱ぎ掛けて“準備”に入っているのではないかというようなトーンですから、それはもう凄まじいものでありますね。それを、岡野弘彦氏という国学院大学の先生、“三重賢人”がですな、『いろごのみ』という言葉で、とっても真面目に語って解説しておられますから、これがまた二重三重のおかしさと言いましょうか、ホント笑える。

     

    『伊勢物語』は、あとに続く『源氏物語』の“原型”と言っても過言ではないのに、そういう評価っていうのは聞きませんね、どうしてだろう。恐らく、“物語”としての完成度があまりに差があり過ぎる、ということなんだろうと思います。源氏物語の現代語訳を目にすれば、多少の違和感を除いて直ぐに“入り込める”気がするのですけどね、伊勢物語はどうも『なにか違うぞ』という感覚があるし、他愛なさすぎるとも言えますな。

     

    それにしましても、日本の古典というのは、『色』にあふれている、のが特徴と言いますか、優れていると感じますね。『色』とは、男女の“いろごと”であるし、また実際の“カラー”、色味。

    ぼんやりと読んでいても、“それ”を感じますから、その都度、想像力“たくましく”ならざるを得ないのですね。

     

    さあ、外出を控えておられる皆さん、

    こんな機会は滅多とありませんよ〜

    せいぜいこの機会に『色』とふれあいましょうよ。

     

     

     

     

    | ukitama | - | 16:54 | comments(0) | - | - | - |









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