Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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ダイヤモンド今昔物語ーその14
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    198X23日、New York時間午前10時、原田商事NY駐在員の遠藤武史は、5番街47street付近にあるビルの27階にいた。いつものように目の前の高層ビル群は圧倒的な魅力で遠藤に迫ってくるのだった。取引先のオフィッスの1室、ここは全くの偶然なのであろうが、位置も角度もNYらしさの際立つ風景を見るのに抜群の場所だった。ここより良い場所を遠藤は知らなかったし、いつまでも見ていたいと思った。東京本社の連中からは『かぶれ』だの何だのと言われていたが、遠藤はNYが大好きだった。もし会社から帰国命令が出たら、自分はそれに素直に従えるのかどうか、全く分からなかった。そうなったら自分はどんな選択をするのだろうか、それは神様だけがご存知としか今は言えなかった。

     

    遠藤は、甲府のジュエリーメーカー経営者の長男として生まれた。遠藤の父親は堅実な無借金経営を続けていたから、従業員が20名足らずの小さな会社であっても厳しい競争を生き抜いて来られた。小さい頃から父の仕事ぶりをずっと見てきた遠藤だった。自分もこの工房に入って父の跡を継ぐのだろうと思っていたが、将来の展望は必ずしも明るいものではなかった。父親は、後継ぎの長男と会社の未来を考え、遠藤に様々な経験を積ませようと考えた。ファーストステップはアメリカへの留学だった。留学から戻った遠藤は、父親の期待通りに次のステップとして原田商事に入社した。自分が入社したことで、原田商事から安くて質の良いダイヤが買えるようになったと喜び、NY駐在が終わったら甲府に戻って来てくれるものと信じている父だった。しかし、東京本社にさえ戻りたくないと思っているのに、甲府の会社を継ぐことなんて問題外だと遠藤は思い始めていた。

     

    そんなことは今どうでも良かった。10日後Antwerpで開かれる駐在員会議が問題だった。4月からの新年度の数値的な目標と、それを達成するための具体的な業務内容を述べねばならなかった。社長が何としても上場を目指しているのであるから、現状維持なんて言うことは全く論外だった。

     

    日本の本支店の営業マンから遠藤への要望は、GIA付きDカラーIFなどの単にハイグレードな商品がメインではなくなって来ていた。以前は遠藤の買い付けで、原田商事の独壇場と言えたGIA付き商品であったが、他社もどんどんバイヤーをNYに送り込んできたせいで、旨味が少なくなってきたのであった。このところは、『AGTや中央宝石研究所に出し直してグレードアップする物』という指示が頻繁に送られてきていた。GIAのグレーディングは、グレーダーの数が多いせいで、バラつきが激しかった。鑑定書にはVS2と書いてあるものの、テーブル内部にあるインクルージョンはどうみてもSI2のものだったり、Gカラーのようにも見えるDカラーがあったりする一方、10倍のルーペで見てまるっきりインクルージョンの見えない物がVVS2となっていて、顕微鏡で確認してIFだろうと確信し、買って東京に送ったら見事に当りだったり、“Cカラー”と言えるようSuper clearEカラーと判定された物もあり、時にはColor & Clarityで合計3ランクアップという物もあったりで、そういう“間違い探し”には事欠かない毎日であった。為替レートが大きく円高に振れ出し、日本からの要望がどんどんエスカレートしてきた。2crts以上の物に対する注文が1crtを上回る週もあった。この調子なら、何も具体的な方策などは不要で、『自然増』という感じで事足りる、努力なしでも遠藤のノルマは達成可能ではないかと思われた。しかし、それは楽観的過ぎるし、社長に『自然増でOKです』なんて言ったら、『分かった、キミはもう日本に戻っていいよ』と言われるに違いなかった。

     

    New Yorkの街は3日後に迫ったNFLのスーパーボウルの話題で持ちきりだった。NYジャイアンツがリーグチャンピオンとなってスーパーボウル進出を決めていたからだった。相手はデンバー・ブロンコスで、ブックメーカーのシーズン開幕前の優勝予想オッズは、ジャイアンツが9.44、ブロンコスが31.50だったから、3日後の日曜の夜にはNYの街は大騒ぎになると予想する者が大多数だった。ダイヤモンドを生業とするNYのユダヤ人たちも例外なく皆、胸を躍らせて週末を楽しみにしていた。MVPは誰になるとか、両チームの合計得点とか、個人的に賭けをする者も多く、遠藤も何口か付き合わされていた。遠藤はスポーツに全く興味がなく、アメリカンフットボールはおろか野球のルールさえあまり知らなかった。遠藤は小さい頃から音楽に親しみ、ピアノも習っていた。高校に進学する少し前からはJJジョンソンに憧れ、入学と同時に軽音楽部に入って迷わずトロンボーンを始めたのだった。就活で原田商事の面接を受けた時、営業本部長から『尊敬する人は?』と聞かれ、迷うことなく、

    JJジョンソンです」

    と答えた。本部長は『えっ? 誰??』という顔をしたが、社長が『ほう』という顔で大きく頷くのを見て黙った。きっと本部長には嫌われ、社長に救ってもらったに違いなかった。原田社長は、社内を自分の色に染めることを望まず、多彩な色に富んでいることを好んだ。社員の採用にあたっては、学歴やペーパーテストよりも、一芸に秀でた者を選抜するよう人事担当者に命じていた。遠藤は英語も達者だったが、原田は英語力よりも自分が長年にわたって音楽に取り組んで来たことの方を評価してくれたのではないかと感じていたし、それの方が遠藤には嬉しかったのだった。『NYに出張することがあったら、是非とも遠藤クンお気に入りのジャズが聞ける店に連れてってくれよ』、NY赴任前に社長から言われたひと言を思い出していた。

     

     

    同じ頃、Tel Avivは午後5時だった。1日の仕事が終わろうとしていた。明日は金曜、日没から始まるシャバット(安息日)のために、ほとんどのオフィスは午前で業務を終えなければいけなかった。シャバットは土曜の日没まで続き、その24時間、ユダヤ教の戒律が一番厳しい宗派に属する者は、食事のための煮炊きさえしてはならず、とにかく一切の労働をやめなければならなかった。旧約聖書の『創世記』に、“こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第7日にその作業を終えられた。すなわち、その全ての作業を終わって第7日に休まれた”とあり、また『モーゼの十戎』にも“安息日を守れ”という記述があるところから、ユダヤ人は、土曜を『安息日』、休日と“しなければいけなかった”のであった。AntwerpNew Yorkのユダヤ人たちは欧米の習慣に合わせて、金曜の日没近くまで働いて、土日がお休みとしている者が多かったが、“本家”のイスラエルでは、金曜の午後から休みで日曜は出勤、というのが普通だった。

     

    木曜の夕刻、実質的に一週間の仕事が終わりということで、泉はフっと気が抜けた状態だった。最近ではもう何を見ても驚かなくなっていたが、今日は久しぶりに驚愕した泉だった。3個の1crt、全てマーキースで、Blue, Pink, Green1個ずつ、大きなルースケースの中にメルセデス・ベンツのマークを形作っているかのように並べられていた。3つ全てが色濃く鮮やかだった。Proportionも美しく、大きさとシェイプも良く揃っていた。これこそ、何年か前にイランのパーレビ王朝に持って行けば直ぐに言い値で買ってもらえたであろう超逸品の輝きであった。

    How much?

    $100,000

    もちろん3個合計10万ドルではなくて、1crtあたりの価格だから、合計金額は約30万ドルということであった。もしこれを買って東京に送ったら、社長は何と言うのだろうと一瞬だけ想像してしまった。『狂ったか!』、『おもしろそうだな』、『お前はクビだ!』、『よくやった』、『自爆テロに等しいぞ!』、『素晴らしい、One More Set買え』、etc・・・、いや、どう考えても誉められることはなさそうだったし、もちろんこれを買うなんていうことは0.1%も有り得なかった。しかし夢のある商品だと強く感じた。原田商事の資金力からすれば問題なく買えるし、買って5年か10年、金庫に寝かせておけば、絶対に大きく利益に貢献するものと思われた。しかし、そういうことを言うのは憚られた。泉には“前科”があった。Tel Avivの経験が浅い“出張バイヤー”の時、ラウンドのPinkを買ったのだった。ピンクダイヤを見るのは初めてのことだった。淡い色味だったが、色性質スッキリで桜色の可憐な艶やかさであった。見せられたのは0.3crtから0.5crtまでの9個だった。一番良い色の物を選んで値段を聞いたら『$30,000 (/crt) と言われた。冗談だと思った。『$3,000』と言ったら、商品を片付けて帰りそうになった。『ちょっと待ってくれ』と言った。この時点で『負け』だった。もう一つ選んで『$5,000』と言ったら『$18,000』と返ってきた。もう一つ追加して『$7,500』と言ったら、『$15,000』まで下がった。初めて買うアイテムに出し過ぎだとは感じたが、頭の中がピンク色に染まり出していた。3個でも多過ぎるはずだったし、恐らく『$10,000』と言えばMazal(売買成立)になるのだろうと確信した。そこでちょっと醒めた感覚になった。『やっぱり止めておこう』という気になった。売り手のブローカーはそれを敏感に悟ったようだった。

    Let’s do business」「How much is your best?」「Tell me, Do not hesitate.

    矢継ぎ早に言われ、泉は言ってしまった。

    $9,000

     

    OK, Mazal

    『やられた!』と観念した。

     

    泉が買ったのは、0.3crt1個と0.5crt2個だった。東京に帰ってAGTに出したら3つとも見事にLight Pink VS2だった。円換算の原価(Price/crt)は軽く100万円を越えていた。何軒もの卸先に見せて回ったが、『綺麗だね』と言ってくれるだけで、全く値段交渉にもならなかった。カラーグレードが良くないせいだろうと思って、マイナーな鑑定屋にソーティングを出した。Fancy Pinkになった。改めて営業に出たが、反応は同じだった。結局のところ、グレードは関係なく、ピンクの色そのものが見えてない人が多いということが分かったのだった。これらは一体いつまで売れずに残るのだろうと暗澹たる気持ちになった。他に“余計な商品”は買い付けていなかったし、他の物で利益出しているからと自分を慰めた。しかし、どうも居心地は良くなかった。そんな時、名古屋支店の“凄腕”営業が東京本社にやってきた。何か面白い物が金庫にないかと物色していたから、泉はすかさずPink3個を勧めた。『なんだ、買い付け失敗したのか』とズバリ言われてしまった。

    「そうなんです、すいません、よろしくお願いします」

    「来月にデパート催事が続くから、やってみるよ。高いけど、あまり見ない商品だからな」

     

    凄腕氏はまさに凄腕だった。原価の高い物なのに、しっかりと利益を乗せて、3つを完売したのだった。泉は安堵して、ピンクダイヤなんて2度と買うまいと強く誓ったのであった。しかし、喉元過ぎればなんとやら、また泉の軽率で楽観的な性格が時おり買い付け現場に出て来ることを抑えきれそうになかったのであった。

     

     

    同日の同じ頃、ベルギーはイスラエルより1時間遅れ、午後6時だった。原田商事Antwerp駐在員の高瀬は、ハイウェイを飛ばしてオランダとの国境に向かっていた。目的地はベルギーからほんの僅かにオランダに入ったところにある小さな街だった。単身だが仕事ではなかった。もう完全に夜と言っても良い暗さだった。高速道路の照明をまぶしく感じながら車を走らせていた。走行車線脇の電光掲示板が『マイナス2℃』を表示していた。形ばかりで全く使用されていない“国境ゲート”を横目で見ながら通り過ぎた。いつ来ても、日本の都道府県境を通過するよりも分かり難い気がした。日本の都道府県境は、海峡や峠やトンネルや川がその“印”となっていることが多いが、ベルギー・オランダの国境は全くと言っても良いほど何もなく、真っ直ぐな道路がずっと続いているだけだった。暗くて見えないが、周囲は平原か農地がどこまでも拡がっているはずだった。Bredaという町の名前が記されたボードを過ぎ、高瀬は車のスピードを落とした。昔は領主の館だったのか、それとも豪農の住む家だったのか、古くて大きな建物の前に車を停めた。いそいそとドアを開け、館の中に入った。時間が早いこともあって、まだ開店してないようだった。

    Good evening, Mr.

    How are you?

    Hi, everything OK?

    スタッフたちから愛想良く声を掛けられ、高瀬はバーカウンターの止り木に腰を下ろし、ビールを注文した。

     

    何か月か前から始まってしまった“手慰み”だった。良くない事と分っていながら、“ハマり込んで行く”自分を止めることができなかった。これまでここで“すって”しまったお金は1カ月の給料分ほどにもなったから、決して少額とは言えなかったが、高瀬は『まだ大丈夫』と思っていた。負けの日が3回続いたらやめようと思っていたが、どういう訳か2回の負けの後、3度目は必ずと言って良いほど勝ったのだった。カジノのスタッフの巧妙な“遣り口”ということを薄々感じてはいたが、自分で自分を誤魔化した。そのうちに、1度の負けの後に2度の勝ちが来るようになると信じて疑わななくなっていた。オランダではカジノが違法ではないどころか、公営のところもあり、ホテルによっては様々な賭け事を用意しているところがあった。ここは、Bredaの中心部からかなり南の国境付近にある“村”としか言えないような集落にある小さなカジノだった。ルーレットの台とブラックジャックの卓がひとつ置かれているだけだった。それでも、Antwerpから車で約30分の距離だったから、週末の夜はベルギー人の客で賑わった。ベルギーではカジノは違法で、時おり“手入れ”が行われ、なんと、高瀬は、3か月前にAntwerpの違法カジノにいたところに折り悪く“ガサいれ”があり、‘開帳’していたヤクザたちと一緒に検挙されていたのだった。Antwerpの日本料理店で知り合った兵頭という日本人の男と一緒だった。兵頭は、Antwerpの隣町のMechelen(メヘレン)に工場を持つ日本の大手電機メーカーの管理職だった。“手慰み”の一切合切は兵頭から教えてもらったのであった。Antwerp警察の捜査員に踏み込まれた時は当然ながら“賭場”が一番盛り上がった時であった。ルーレットの球が“0”に落ち、そこにかなりのチップを掛けていた兵頭が大勝ちした瞬間だった。Antwerpの日常語であるFlemish(フラマン語)の大きな声が聞こえて、賭場が一瞬で静まり返った。ヤクザたちがホールドアップした。高瀬と兵頭も思わず両手を上げた。ほんの数秒の間に周囲が武器を持った警察官で満たされた。ヤクザたちから順に外に連れ出されて行った。行先は聞くまでもなかった。高瀬と兵頭も、銃を突きつけられることはなかったが、『さあ、行くんだ!』と英語で言われ、背中を押された。高瀬は少額をすってしまって、この先どうしようかと逡巡していたところだった。兵頭が獲得したであろう大金は水泡に帰した。兵頭は『お、お、俺の金!』と日本語で叫んでいた。なんとかなるはずはなかった。高瀬は不安で心臓が凍り付きそうになりながら、また、大笑いを堪えるのに大変だった。

     

    留置場に入れられるのだろうと投げやりな気分に浸っていたが、直ぐに取り調べ室に入れられた。国籍と名前と滞在目的を聞かれた。ベルギーに1年以上住んで働いていると言うと、就労ビザを確認された。日本なら警部か警部補なんだろうと思われる男が言った。

    OK、日本人の貴方たちは今回が初めての検挙ということで、罪に問われることはありません。しかし、次回またこの場所に来るようなことになると、ベルギーから強制退去になります」

    「わかりました。二度としません」

    心底ほっとした。高瀬も兵頭も頭を垂れ、神妙な顔を作った。写真を撮られ、指紋を採取された。『やれやれ』と思って帰ろうとしたら、『その前に』と呼び止められた。参考人としてヤクザたちの“面通し”をさせられたのであった。

    「マジックミラーの向こう側にヤクザたちを一人一人連れて来るから、そいつらが賭場でどんな働きをしていたのか教えろ」

    と言われた。代貸(だいがし)らしき者とルーレットのディーラーだけはハッキリとしていたが、明るい場所ではなかったから他の連中は何をやっていたか良く分からなかった。『しっかりと思い出せ』と取調官に言われたが、なんだかヤクザたちに悪いような気がして気分も乗らず、『すいません、わかりません』と何度も言って謝って、ようやく解放してもらった。アパートに戻ったのは午前1時過ぎだった。

     

    そのような経験をすれば、多くの者は『神様からの警告に違いない』と感じ、博打を極力控えようとするものだが、高瀬は全く懲りなかった。『二度としません』はベルギーの中での話だと開き直った。翌週にはもう兵頭を誘って国境を越えていたのであった。毎月、必ず一人か二人の社員が原田の本支店から買い付けに来た。彼らの滞在中は、誰であろうと必ず1回は賭場に連れて行った。嫌がる者はいなかった。男に生まれてきたからには『打つ』ことも必要悪、いや、必要不可欠なんだと感じていた。勝ってたくさんのチップをもらえることが嬉しい訳ではなかった。負けた時は、舌を這い登って来る苦い感触と、手足から血が引いてゆくような心地がしたが、自分が選んだ数字に球が落ちて大勝ちした瞬間、自分の掌(てのひら)に世の中が乗っかっている気がするのがたまらなかったのだった。

     

    見覚えある常連客が三々五々と集まって来た。ディーラーが位置に付いたようだった。高瀬はビールを飲み干し、止り木を降りた。

     

        ―続く―

     

     

     

     

     

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