Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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ダイヤモンド今昔物語ーその13
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         ―前回の続き―

     

    198X21日、インド、Surat、西川は鉄道の駅舎から少し出たあたりで迎えの者が来るのを待っていた。午後1時を少し回ったところだった。Suratは、Bombayの北約200キロのところに位置するということで、日本人的な考え方からするとBombayよりも少し涼しく凌ぎ易いということになるが、実際は北緯21度、北回帰線の“内側”になり、Bombayと何ら変わりはなく厳しい暑さだった。それでも春分の1カ月半以上前ということで、日射しに角度があり、駅舎から少し出たところでも日陰の中に入っていることが出来た。列車の到着と出発が重なって、駅舎の中は凄まじいまでの混雑だった。インドに憧れ、念願叶ってBombay駐在員になったとは言え、これほどまでの人の多さと臭気は予想外だった。ほとんどのことには慣れてしまった西川であったが、疲れている時には耐えがたいことも多かった。『俺としたことが。2等車に乗ったのは大失敗だった。帰りは絶対に1等車の切符を取らないとダメだな』と強く思っていた。『しかしまあ、200キロの距離を5時間とは。新幹線なら1時間なのに。しかも1日に数本しかないんだからな』。23年前、東京にやってきたBombayのダイヤモンド業者が、社長や営業本部長と懇談の後、大阪の顧客を訪問したいと言うので、見送りに東京駅まで行ったことがあった。新幹線の切符売り場に並びながら彼は聞いてきた。

    「西川さん、大阪までの新幹線は何時の発車なの?」

    What time??」

    2時間とか3時間待たないといけないの?」

    No problem、大して待たなくても大丈夫。大阪までの新幹線が1日に何本あるかは知らないけど、So manyですよ。Every 5 minutesの出発と言えるほど」

    Every 5 minutes?!

    Yes

    Every 5 minutes!  Amazing!!

     

    大阪方面から東京に向かう新幹線が小田原を過ぎると、必ずなされるアナウンスがある、、、

    『列車はただ今、小田原駅を〇〇秒遅れで通過いたしました。次の新横浜には時刻通りの到着となります・・・』。

    〇〇の数字は常に30以内だったような気がする、15秒とか25秒とか。もし日本滞在が長くないインド人が、その車内アナウンスを英語で聞かされたなら、きっと日本人はバカなんじゃないかと思うに違いない、と思って西川は大笑いしそうになった。

     

    それにしても迎えの者が遅かった。もう30分以上も駅舎の前に立っていた。何人もの“白タク”運転手が声を掛けて来た。彼らにいちいち『No, thanks』と対応するのも面倒なことだった。Yesと言ってないにも関わらず勝手にスーツケースやバッグを運んで行って車へと“先導”する強引な奴もいたから、寸分たりとも気が抜けない。インドの白タクは多分、犯罪組織に属しているのであろう、実に巧妙な“遣り口”で外国人からゼニを巻き上げていた。西川も、2度目のBombay出張の折りに“やられて”しまっていた。今回のように迎えが来ないまま30分以上が過ぎ、イライラと不安が極限まで達しようかと思った時、白タクの誘いに乗ってしまったのであった。恐らく、“世間知らず日本人”丸出しの様子だったに違いない、彼らにしてみれば赤子の手を捻るより簡単だっただろう、、、西川に声を掛けて来たのは、若く“ナヨッ”とした人畜無害そうな男だった。『こいつなら問題なさそう』と付いて行って後部座席に乗った。スーツケースはトランクに入れられ、キッチリと鍵が掛けられたようだった。夜の10時だった。ドアを閉めようとして助手席に誰かがいることに気が付いた。何となく嫌な気がして、いったん車から出ようとしたが、素早くドアを閉められロックされてしまった。助手席の男が半身になって西川の方を見てきた。声を掛けてきたドライバーとは対極の強面(こわもて)だった。西川の方に太い腕を出してきて『ハロー』と言って握手を求めてきた。仕方なく握り返した。ねっとりとからみつくような手だった。『ちょっとヤバいかも』と思ったが、命まで取られることはないだろうと観念した。

     

    Where are you going?

    New Oberoi Hotel, please

    OK

    その後は無言で車は走り続けた。非常に荒っぽい運転で、西川は気分が悪くなってきた。2か月前に一度来ただけだったから、道が合ってるとか間違っているとかは論外で、皆目わからなかった。30分くらい経過した時、助手席の男が西川の方に顔を向けて言った。

    「俺は、通貨の両替もやってるんだよ。ドルがあったらインドの通貨と交換してやってもいいけど」

    これは要するに、『ドルを持ってたら出せよ』 ということに他ならないと悟った。手が震えそうになるのを何とかこらえ、西川は財布から10ドル紙幣を取り出し渡した。

    「悪いなあ、うちは100ドル以上じゃないと交換出来ないシステムになってるんだ」

    周囲は明らかに貧民街だった、夜も遅い時間だというのに、祭りの晩のような人だかりだった。彼らは国際空港から市街へと向かう外国人から何か“おこぼれ”を頂戴しようと待ち構えているに違いなかった。ヤクザの要求する100ドルに対して、もしNoと言えば、この右も左も分からない貧民街に放り出されるのだろうと確信した。それだったらまだ100ドル失う方がマシだった。追加の90ドルを渡すと、いくらかのインド・ルピーが返ってきた。数えたところで『足りない』なんて言える訳がない。黙ってバッグにしまった。それからまた30分ほど走ってようやく見覚えのある海岸通りに来た。200メートルほど先にホテルが見えてきた。『やれやれ』と思った時、いきなり車が側道に寄って停まった。

    「あんたももう分かっていると思うけど、俺たちゃ政府公認のタクシーじゃない。ここで支払を済ませてくれるかな」

    How much?

    「さっき交換したインド・ルピーをそのまま渡してくれたら済むよ」

    なるほど、結局100ドルのタクシー代だった訳だ。翌日、買い付けするオフィスで聞いたら通常の15倍ということだった。

     

    再び発車した白タクはそれまでの運転がウソのような穏やかな動きになり、New Oberoi Hotelの正面玄関に静かに到着した。ターバンを巻いて伝統的な兵士の衣裳を着たガードマンが車のドアを開けてくれて言った。

    Good evening, Sir

    優男の運転手が急いで出てきて、西川のスーツケースをトランクから出して言った。

    Good night, Sir

     

    『情けないSirがあったもんだ』と思ったが、100ドルで済んで良かったと心底思った西川だった。

     

    隙間が見えないほど混雑していたSurat駅付近もようやく落ち着きを取り戻してきたようだった。白タクのドライバーたちも西川に近寄って来なくなった。しかし、西川も我慢の限界に来ていた。“正規タクシー”のチケットを買いに行こうと思って駅舎の方へ歩きかけたら、何のことはない、『Mr. Ryosuke Nishikawa』と書かれたボードを持ったインド人の男が立っていた。

    「おーい、どこ見てんだよ、ホントにもう」

    Oh, Mr. Nishikawaですね、やっと会えました」

    1時間近くも待っていたんだけど」

    Sorry、出がけにね、カミさんから買い物たのまれたのを忘れていて、寄り道してたら道に迷ってしまったんですよ」

    「あのなあ、オッサン!」

     

    『そう、こういうのも含めてインドなんだ』、西川は“インドの魅力”をまたしっかりと噛みしめていたのだった。

     

     

    同時刻のベルギー、アルノンとミカエルは、Brussels国際空港の出発ロビーにいた。二人は、Frankfurtへ向かうSABENAベルギー航空機の出発準備が完了するのを待っていた。ドイツに用事があるのではなかった。二人の最終目的地はインドのSuratだった。流石に『よし、行く!』と決めた後のアルノンの行動は電光石火だった。129日の夕刻に決断し、翌30日には早朝からパスポートを持ってBrusselsのインド大使館の門前に並び、開門と同時にインド入国のビザを申請し、31日の午後にまた取りに行ったのであった。こんな時のために前もってミカエルもパスポートを取得していたのが功を奏した。最初、アルノンは一人で行くつもりだったが、少し考えてミカエルも連れて行くことにしたのだった。ミカエルを一人ダイヤモンド街に置いていくのは少し酷だと思ったし、Suratが仕入れ先として魅力的なのであれば、ミカエルを定期的に行かせるべきと判断したからだった。Suratへ行けと言ってくれたエリック・オースティンとは一昨日のお昼にまた一緒にランチに行って報告したのだった。

     

    「しかしエリック、どうして自分の会社でやらないんだ?」

    「誰が仕入れに行けるんだよ。兄貴は月の半分以上アメリカで、弟はずっとイスラエル、オヤジ一人でAntwerpのオフィスやっていけないしな。お蔭さまで毎週バイヤーが来てるし、これ以上仕事増やせないし、やる必要もない」

    「羨ましい限りだ」

    「ところでアルノン、Suratに知り合いはいなかっただろ、取引先は確保したんだろうな、キミのことだから抜かりないとは思うが」

    Surat行きを決める3日前に、どうであれ準備だけは怠りなくと思ってね、アレキシス氏の下で働いている時に原石を売ったことのあるインド人のことを思い出して、連絡してみたんだ。そしたら、そいつはSuratに研磨工場を持っていて、甥に任せていると言うんだ。でも、100%の信用はできないし、行って見ても全然ダメということもあるし、出来たら、エリック、キミのコネクションも利用させてくれるとありがたい。もともと、キミにコネがあったから俺に『行け』と言ってくれたのだと思うし。もちろん、それなりのことはさせてもらうよ」

    エリックはポケットからメモを取り出し、アルノンに手渡した。

    「うちの親父は若いときEnglandに居たんだ。そこで、この会社のオーナーの親父さんと知り合って、ふたりでかなり悪さして遊んだらしい。俺も詳しいところは知らないんだが、毎年、インドの新年になるとGreeting Cardが届いてね、『これ何だ?』ってオヤジに聞いたら、『若い頃の親友だ。Suratでダイヤの研磨工場やってる』、『お前、行きたけりゃ直ぐにでも電話してやるぞ』って。残念なことに、半年くらい前にその親父さんが亡くなったって、息子さんから電話があって、うちのオヤジはガックリ来てたよ。でも、キミが行く気あるのなら、オヤジに電話して頼んでもらうよ」

    「そのコネは強く太そうで頼り甲斐ありそうだなあ。是非是非」

    「その代り、アルノン、Suratで良い物見つけたら直ぐにウチに来るバイヤーに見せに来るんだぞ」

    「分かってるよ、そういう流れになるのは十分織り込み済みだ」

     

    ミカエルは、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。23年前まで自分が飛行機に乗れるなんて夢にも思っていなかったから、行先がインドであろうと全く気にもならなかった。目の前に駐機している多くの旅客機に対して興奮を隠すことが出来なかった。じっとしていることが不可能で、歩ける範囲内を動き回っていた。アルノンのCoolな視線を感じなくはなかったが、今日だけは許してもらおうと思った。こんなに楽しいことがあるのなら、この先どんなことがあっても我慢して行けそうな気がした。アルノンとミカエルは、BrusselsからFrankfurtに移動し、午後のルフトハンザ機で約9時間のフライトの後、インドDelhiに午前2時着、そこからまた国内線に乗り換えてSuratに向かう長い旅程だった。Delhi3時間以上の待ち時間があり、2時間ほどのフライトで、Suratには22日、午前7時過ぎになる予定だった。

     

     

    21日、午後5時過ぎ、Suratでの短い初日の仕事が終わろうとしていた。何も買わなかったが、西川は十分な手応えを感じていた。面白いアイテムが多く、ホテルにチェックインした後にしっかりと戦略を立てなければならないと感じていた。好事魔多しと言うし、また、調子に乗ってダイヤを見誤るということもよくあることだった。西川の直属の上司は、3年ほど前、Bombay1crtのブルーダイヤを買って喜んでいたが、AGTにソーティングに出したらFancy Blue Grayと判定されてしまった。実際、確かに青というよりも鉄紺、Steel Grayという感じだった。安ければどうと言うことはなかったが、2万ドルだった。1985年の“プラザ合意”前であったから、為替レートは1ドル220円を越えていた。原価は約450万円だった。売れば確実に損失が出たから、誰も売ろうとはしなかった。未だに金庫の奥に眠っているはずだった。当然それは社長の目にも触れることとなった。原田は何も言わなかった。ひとつのミスを厳しく指摘するのは簡単だったが、それによって社員が委縮することを恐れていた。エラーはファインプレーやタイムリーヒットで取り戻せば良いというのが原田の考え方だった。西川は、上司がその後、何本もタイムリーを打ったのを見てきたが、毎年必ずエラーしていた。『あの人は、野球で喩えるのではなく、ゴルフだな』という結論に達した。バーディーとボギーが交互に来て、パープレーがほとんどなく、たまにダブルボギーで、その直後にイーグルで、結局イーブンパーでホールアウト、常に注目を浴びている“お騒がせ氏”と言えた。

     

    西川にSuratの存在を教えたのは大阪のバイヤーの大和慧(やまとさとし)だった。Bombayのバイヤーと言えば34年前から、東の坂東舜二、西の大和慧と言われていた。Bombay市場に長く関係していたいと思っていた西川だったから、Bombay駐在になる直前、彼ら東西の“横綱”とも言える二人に挨拶に出向いていた。Bombayでは、坂東は常に冗談を言っているような男で、いつも周囲に誰か取り巻きの日本人バイヤーがいた。大和は反対に、口数が少なく、“ひとことで決める”タイプで、Bombayに来る日本人のバイヤーたちとはほとんど付き合いはせず、夕食は常にインド人の誰かとだった。西川は、そういう大和に直ぐに惹かれてしまった。大和がBombayに買い付けに来ることを楽しみにして、来たら必ず夕餉を共にしていた。大和も毎回、西川が毎日のように来ているスター・ブルー社で1日か2日は仕事していたから、取りたてて連絡を取る必要はなかったのだった。10日ほど前、待ちに待った大和がようやくBombayにやってきた。教えを請うた。躊躇うでも勿体ぶるでもなく、いくつかのことを語ってくれた。そんなことまで言ってくれても良いのかと言うと、

    「そんなもん、聞いてきたら誰にでも言うたるでぇ。誰もわしのところへ来よれへんからな、キミだけや」

    「大和さんはここで日本人のバイヤーとは付き合いませんからね。でも、何かそれに理由があるのですか?」

    「特にないけども、ひと口で言えば鬱陶しい、ちゅうこっちゃな。日本人バイヤーが海外で口ひらけば、『商品ない、安くない、買えない』、そんな話ばっかりや。年がら年中『ない、ない、ない』言うてる奴らと飯食っても美味いことないやろ。それだけや」

     

       ―続く―

     

     

     

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