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「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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ダイヤモンド今昔物語ーその12
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         ―前回の続き―

     

    196X年、アメリカ西海岸、片山敏郎はGIAのキャンパス入口付近にいた。のちに大阪で他に先駆け宝石鑑定会社を開業することになる片山であったが、この瞬間には全くそんなことに思いも及ばなかった。ひょっとしたら、、、とも感じていなかった、いや、感じるだけの知識がなかったのだった。バイト先の常連客であるサラ・エデルマンの好意に“軽いノリ”で応えたという感じだった。一方のサラは、GIAで勉強して宝石鑑定士の資格を獲得することを真剣に考えていたのだった。GIAに関して知識がない片山を一緒に連れてきたのは、何となく一人でGIAに向かう勇気が出ず、かと言って家族や友人に“弱気”なところを見せたくはなく、少年のような風貌の片山は“片時の相棒”としてちょうど良かったからだった。ふたりは道中、GIAのことを全く話題にしなかった。サラが一方的に自分や自分の家族のことを喋り続けていた。サラは両親から十分に愛されているようだったが、その愛を少し重荷に感じている節があった。また、何か不安を抱えていて、それが彼女のお喋りの原因なんだろうと片山は推測していた。

     

    ウェストコーストの青空のような色にペイントされたシボレー・ピックアップトラックを駐車スペースに停めながらサラは言った。

    「あんたまさか本当にGIAが自動車関連の学校なんて思ってないでしょうね」

    Oh, My God、信じてました! って言うのは冗談だけど、昨日まで全く何かも考えなかった」

    「あきれた。そんな風にして日本からNY経由で西海岸まで流れて来って訳ね」

    「ハハハッ、確かにそうかも。でも、GIAのパンフレットを見るサラさんの目が異様に力入ってたから、これは『きっと良いことある』と感じたんだ」

    「それで、今はちゃんと分かってるのね」

    「レストランの店長に、『GIAって何の学校ですか?』って聞いたら、『それは多分、宝石関係だろう』って言ってたけど、合ってる?」

    「ああ良かった。でも、あのゴリラみたいな店長が知ってたなんて、GIAも有名になったものね」

     

    『入学案内』と書かれた部屋で、片山はサラの横に座ってGIA職員の話を聞いていた。サラは出来るだけ早く入学したい旨を職員に告げ、必要な書類や入学金と授業料の支払い方法等を確認していた。サラと職員の話が一段落して、サラがにっこりと微笑んだのを見て、片山は職員に問うた。

    「日本人の私でも入学は可能なのでしょうか?」

    「はい、もちろん可能です。ただし、貴方が犯罪者ではなく、また、不法に日本から逃れてきたのではない、ということを証明できなければいけません」

    「どのようにして?」

    「一番シンプルな方法は、就学ビザの取得です」

    「それは、西海岸で取れるものなのですか?」

    「いえ、一度帰国して、東京のアメリカ大使館に行かなければなりません」

     

    入学金、授業料、1年以上になるかもしれない滞在の費用、就学ビザ、etc・・・、

    クリアしなければならない障壁が多過ぎて、片山にはとても現実的なこととは感じられなかった。ところが、GIA職員の次のひと言が片山を大きく揺さぶったのであった。

    「我々は世界中にネットワークを拡げてゆきたいと考えています。外国人の受け入れ態勢を整えて、ここから巣立った外国人卒業生たちが、母国でGIA鑑定士として仕事して生活出来るような環境作りを模索し始めました。数年後には東京にGIAの息のかかった宝石鑑定会社を設立する予定です、、、、」

     

    片山は、いきなり目の前に開けた大地が拡がっていることに気付いたのであった。

     

     

    198X129日、Antwerp、ダイヤモンド街に夕闇が迫っていた。冬至から1カ月以上経っても、緯度の高いベルギーやオランダでは一向に陽ざしの変化を感じられなかった。陰鬱と思うだけの日々がこれからまだ1カ月以上続き、そのあとようやく春の兆しが見えることとなるのだった。コディアム社のオフィスの窓際に立って、アルノンはいつものように地平線のはるか遠くを見ていた。何かの慰霊碑なのであろうか、高く細い尖塔の先に燃える炎が吹き出しているのをぼんやりと眺めていた。川島とのネゴは紆余曲折を経て何とかMazalに漕ぎ着け、アルノンは30万ドル近い資金を回収することに成功した。しかし、アルノンは今後この事業を継続して行くことに大きな不安を感じていた。これから、どのようなアイテムをメインにするべきなのか、全く見えてこなかったし考えもまとまらなかった。ずっと販売の柱にしてきたロシアもののCleanishを見切ったところだったから、それに対する“喪失感”も大きかったのだった。ミカエルが言うように、メレの販売アイテムを増やすこともひとつのアイデアだったが、それだけでは生きてゆけないことが明白だった。数日前のエリック・オースティンとの会話が甦った。エリックとはミカエルを介して知り合い、まだそんなに時間は経ってなかったが、妙に気が合い、何度も一緒にランチへ行くようになっていた。

     

    「アルノン、皆が羨ましがるほど美しい商品を扱いたいという気持ちは良く分かるけど、それにこだわって“つまづいた”のが最近のお前さんだろ。幻想を捨てないと駄目だ」

    「わかった、わかった、分ったから、もう勘弁してくれ。しかし、それだけしつこく言うのだから、キミには何か良いアイデアがあるんだろうな」

    「インドに仕入れに行ったらどうだ、アルノン」

    「ちょっと待ってくれ。それこそ勘弁してください、だぞ。俺はまだ肝炎になりたくはない」

    Backpackerみたいな貧乏旅行しなけりゃ病気になんかならないよ」

    「そうは言ってもなァ、そこまでしないとダメなのかという気持ちもあるし」

    「ステファン・アレキシス氏の懐刀と言われた男のプライドが邪魔をして、素直になれない、ということだな」

    「エリック、キミも嫌なことをズバッと言うなあ」

    「アルノン・ゴルダに適切な意見できる唯一の業界人だ」

    「確かにそうかもしれない。今の俺はホント“一匹狼”だからな」

    「これまで生き残ってきたのが不思議なくらいだ」

    「今日は言いたい放題、言われっぱなしだ」

    「さっさとインドへ行ってこい」

    「キミがそこまで言うのなら、少しは考える価値があるんだろうけど、行く行かないは別にして、Antwerpでインドものの需要があるのか?」

    「何を寝ぼけたことを言ってるんだ。当たり前だろう」

    「当たり前じゃないだろ」

    「そうだな、当たり前という言い方はおかしい。既に何度も大きな商売を目にしているし、いくつも話を聞いている、ということだ」

    「マジかよ!?」

    長年、Antwerpでロシアものや、他では売ってないような質の高いメレを扱ってきたアルノンには信じ難い話だった。Antwerpに来るバイヤーたちは、ロシアものの0.2crtから0.5crtや、Makeがピシッと決まった1crt以上の“Cut & Polished in Belgium”を求めているのだどばかり思っていた。

     

    「アルノン、俺も最近やっと分かったんだけど、バイヤーってのはな、1種類じゃないんだよ」

    「何が?」

    「彼らの嗜好の話さ」

    「嗜好もなにも、バイヤーってのは売れる商品を買ってゆけば良いのだろう、違うのか?」

    「そう、その通りだ。だからAntwerpでインドものが売れるのさ」

    「なるほど。Makeや生地に凄くこだわって、ロシアものやMade in Belgiumしか買わないバイヤーがいる一方、全くこだわりのないバイヤーも多いということなんだな」

    「そういうことだ。うちに来るバイヤーの何人かは、インドものをインドものと意識せずに買っている。いや、ひょっとしたら、Antwerpで売ってる商品は全部Made in Belgiumと思ってる者もいるかもしれない」

    「インドに行かなくて済んで喜んでいる者もいるだろうしな」

    「そうそう、全くそういうことなんだよ」

     

    「キミのオフィスに来ていた客は“アルノンスペシャル”とも言うべき超美品を求めて来る者ばかりだった。だからキミには見えてない部分が多かった、ということだ」

    そうか、自分は本当に世間知らずなんだと、アルノンは何とも居心地の悪さを感じていた。

    「でもなあ、Bombayだろ、なんとも‘都落ち’の気分だなあ」

    「まだそんなこと言ってる。もうしっかりと都落ちしてるぞ、アルノン」

    「最後のトドメを刺しやがった」

    「なんなら、トドメのダメ押しもしてやろうか。俺がインドって言ってるのはな、Bombayじゃなくて、Suratだよ」

    「なんだと!?」

     

    198X21日、原田商事Bombay駐在員の西川はSuratに来ていた。社長に命じられた課題の回答がここにあるはずだった。SuratBombayの北約200キロに位置する人口400万人の大都市だった。インドのダイヤモンドと言えばBombayだと信じられていたが、実は、そのBombayの商品の研磨を一手に引き受けているのがSuratであったのだ。Bombayのダイヤ市場、Opera Houseの規模を縮小したようなところと言っても良かった。400万のSurat市民のうち約50万人がダイヤ関連で食っているとも言われていた。BombayからSuratまでは極わずかな時間のフライトだったが、西川は鉄道を選んだ。インドの国内便だけは絶対に乗りたくはなかった。インドの鉄道も安全とは言いがたかったが、飛行機よりもマシだろうと思った。しかし、若い西川にも列車の混雑による肉体的苦痛は耐えがたいものだった。“苦行”、“修行”とも言えそうな5時間を耐え抜き、ようやく列車はSuratに到着した。

     

        ―続く―

     

     

     

     

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