Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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ダイヤモンド今昔物語
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    先月から『今昔物語』に‘はまって’おります。

    正確には、『今昔物語集・本朝世俗篇』の上巻、現代語訳。

     

    『今昔物語』は、中高時代に学びましたね。しかし、何かインパクト不足と言いますか、授業以外で読んでみようとは思わなかったですな、「観音助けたまえ」と言って清水の舞台から飛び降りた話とかあったなぁ〜くらいにしか覚えてなかったのですけども、ふとしたはずみで上記のものを買って読み出しますと、内容が非常に多岐に渡っていて興味深いのですね〜・・・なんせ、冒頭が“大化の改新”のクーデタ顛末。『うへっ!』って感じ。後の宰相・藤原鎌足が蘇我入鹿に斬りつけて〜というやつなんです。ページをパラパラやっておりますと、平将門の乱やら藤原純友の乱の記述もあり、陰陽師・安倍清明やら百鬼夜行やら、この前ここに載せた大喰いの話、力自慢の女の話とかっていう全く下らぬものまでホント色々。時おり『アホくさ』、と思っても何故かまた読んでしまう〜・・という訳で離れられなくなっております。

     

    そこで?

    ウッキーも!

    と相成りまして〜

    『ダイヤモンド今昔物語集・超世俗篇』

    を書いてみたくなった―ということで、

    始まり始まり――

     

    なお、本編、『UKI版・ダイヤモンド今昔物語集』は、実話をもとにしておりますが、登場する個人名や団体名は全て架空のものです。

     

     

     《ベルギー国に於いて、10カラットのダイヤが紛失した語(こと)》

     

    今は昔、ダイヤモンドの都(みやこ)、アントワープというところにアラン・デクラークという者がいた。アランは貧しくとも働き者のユダヤ人の両親のもとに生まれ育ち、苦学して高校を卒業した後、ユーバルというダイヤモンド研磨販売会社に職を得た。アントワープのダイヤモンド街に通い始めた頃は仕事に馴染めなかったが、元々優れた頭脳を持つアランであったから1年もしないうちにダイヤモンドに関する知識をほぼ身につけた。知力に恵まれ正直で勤勉であった彼が、ユーバル社オーナーから大きな信頼を寄せられるまでに大して時間は掛からなかった。入社して10年後、アランはユーバルの海外販売会社の社長を任されるに至った。そしてそれから30年が経過し・・・

     

    ジャック・デクラークという者がいた。これはアラン・デクラークの次男であった。アランが独立して創業したダイヤモンド輸出入卸会社の2代目である。ジャックにはシモンという長兄がいたが、シモンの性格は商売人向きではなく、彼は卒業後も大学に残って訳の分からぬ研究に没頭している。ジャックは、『仕方ない』と家業を継いだのであった。ジャックは、さほど商才のある方ではなかったが、商売はなにひとつ不安なところはなかった。社長の席をジャックに譲ったとは言え、父親のアランはこれまで通りに仕入れを取り仕切り、アランが創業した時からの腹心が番頭として販売に睨みを利かせていたからだ。ジャックが何もせずとも会社は動いていた。

     

    そんなある日、いつものように時間を持て余しているジャックが、アントワープ・ダイヤモンド街の10階建てのビルの最上階にある社長室の窓を大きく開けて、遠く拡がる地平線の彼方を眺めていた時、社員が一人のブローカーを連れて入って来た。

     

    「社長、彼が買ってもらいたい商品があるそうで」

     

    「オヤジは?」

     

    「今日からイスラエルに出張で、既に空港から飛び立った時間ではないかと」

     

    「ああ、そうだったな。番頭さんもいないのか?」

     

    「昨日から販売プロモーションでアメリカに」

     

    「仕方ない」

    と、ジャックは窓際のデスクに腰を下ろしてダイヤの裸石が入った紙包みを手に取った。ちゃんと座ってご覧になってください、と言う社員の言葉を無視し、ジャックは包みを開け、ダイヤを取り出し、ピンセットで摘まんでルーペで覗きこんだ。流石に10crtsとなると異次元の迫力、GIAの鑑定書付きのDカラーVVS1、しかもラウンド。VVS1だから、ルーペを使ってもインクルージョンが見える訳ではないが、包みの中に間違ったダイヤが入っている可能性もある、チェックは欠かせない。大丈夫のようだ。『安値で買って、オヤジの鼻を明かしてやろう』

     

    一人ほくそ笑んでいると、表の通りが何やら騒がしい。『そう言えば、日本のプリンセスが今日、アントワープに来るとニュースで言ってたな、、その一行に違いない』と、開いている窓に身を寄せた瞬間、

    な、な、なんと、

    10crts D VVS1がピンセットからこぼれて弾んで外に飛び出した!!

     

    ジャックが手を伸ばすも空を掴むばかり。直ぐに下を覗きこんでみても、ダイヤが落ちて行く先なんぞ見える訳がなく、道路にぶつかる衝撃音でも聞こえないかと思ったが、少し前から続く喧騒が聞こえてくるばかり。

     

    ジャックは大慌てで部屋から出てエレベーターに乗ることも忘れて非常階段を駆け下りた。しかし、ジャックの社長室の下あたりをちょうど“御一行様”が通過中、警備の警察官に遮られ、無理やり行列の中に割り込もうとして、ラグビー選手のように屈強なSPに羽交い絞めにされ、手錠掛けられパトカーに乗せられてしまったのであった・・・・

     

    ・・・・1時間後、アントワープ警察本部での取り調べ。

    銃や爆発物の類を所持せず、商品に関わった社員とブローカーが弁護士とともに面会に現れたことで直ぐに釈放となったが、10crtsは見つからない。イスラエルで話を聞いた父親のアラン、本来の10crtsの所有者の会社社長は、真赤になって怒鳴った後、怒りを通り越して青くなり、ダイヤモンド街全体を巻き込んでそれはもう大変な騒ぎとなった。

     

    これだけ騒げば拾った者が届けてくれそうなものだが・・・

     

    10crtsはどこに消えた、誰が掴み取ったのか?

    杳(よう)として消息は知れない。

     

    その後、アランはジャックを社長室から放り出し、インドのダイヤモンド市場に行かせ、メレのアソート(仕分け)作業から修行を始めさせた。

     

    また、この騒ぎのあと、アントワープのダイヤモンド街の会社経営者たちの多くは、オフィスの窓という窓全てを開放できぬように改修したと、こう語り伝えているということである。

     

     

     《ベルギー国に於いて、机ひとつから会社を興した語(こと)》

     

    今は昔、ダイヤモンドの都(みやこ)、アントワープというところに、ミカエル・ゴルコフスキーという者がいた。ミカエルはベルギー生まれであったが、ミカエルの父親はロシア移民の息子で、オランダ生まれだった。父親は飲んだくれの失業者で、ミカエルは学校にも行けず、母親はそんな夫に愛想尽かして、とうの昔にいなくなっていた。ミカエルは父親と二人、古いアパートの小さな部屋に住んでいた。父親は、きちんと家賃を支払ったことがなかった。けれど、支払いの督促をされる頃になると必ずどこかに行ってゼニを稼いできた。真っ当な仕事でないことは確かだった。父親は、家賃を払ってゼニが残っていても、ほとんど酒代に使ってしまい、ミカエルはいつも腹を減らした少年だった。空腹に耐えられなくなるとミカエルは、近所の家庭の小間使いをして小銭を稼いで凌いだ。ミカエルが13歳の時、父親は稼ぎに出掛けたまま戻って来なくなった。最初の1週間は残っていたパンを少しずつ食べた。パンがなくなって次の1週間は近所のおばさんたちの小間使いの稼ぎで何とか食べてゆけたが、その後は小間使いの仕事もなくなった。その界隈の家も皆、貧しく、ぎりぎりの生活をしていたのだった。そして、家賃の取りたて人がやってきた。ミカエルはもう少ししたら父親が帰って来るかもしれないと思って、10日待って欲しいと頼んだ。取立人は5日しかくれなかった。『5日後に家賃が払えなくば、とっとと出て行け』と言われた。5日経っても父親は戻らなかった。取りたて人がやってきて、ミカエルはホームレスになった。父親は事件に巻き込まれるかしてもう亡くなっていると確信した。

     

    ほとんど何もない住居からミカエルは毛布一枚だけを持って歩き出した。行くあては全くなかった。アントワープ中央駅近くが何となく面白そうと思って線路沿いに歩いて行った。2時間ほど歩いて中央駅の手前まで来た。線路の高架下の煉瓦積みが少し壊れて窪みがあり、そこを仮の宿とした。翌日、中央駅の中を通って反対側に行った。賑やかで華やかな通りだった。ミカエルはダイヤモンドの指輪やネックレスが並んでいるショーウィンドウに目を奪われた。この世のものとは思えない光景だった。目を皿のようにして見ていたら、宝石屋の中から女が出て来て言った、『お客さんの邪魔になるから、どこかへ行きなさい』。しかたなくミカエルはショーウィンドウを離れて歩き出した。今度は目的が見つかったような気がした。ダイヤモンドをもう一度見たいと思った。ショッピングセンターの中に入ると、様ざまな店が並んでいた。ダイヤモンドを並べた店が何軒もあった。今度は追い立てられぬようにと気を使っていたが、やはり見咎められた。ミカエルは完全にダイヤモンドに魅入られてしまった。ダイヤモンドの世界で生きて行けたらどんなにか幸せだろうと思った。宝石屋の人に、どんな仕事でもするから雇ってくださいと頼んだが、『要らない』と断られた。他の店でも同様だった。ミカエルは肩を落としてショッピングセンターから出た。入った時とは別の、ほぼ反対側の出入り口だった。目の前に整然とした通りが延びていた。両サイドに隙間なく綺麗なビルが立ち並び、車が走っていない通りだった。黒のマントに黒のハット、長いヒゲを生やした男たちがたくさん歩いていた。皆、太い鎖を付けた黒革の鞄を持っていた。太い鎖はズボンのベルトと繋がっているようだった。ミカエルは、偶然にも自分がユダヤ人ダイヤモンド商たちの中にいることを悟った。神様に幸運を感謝した。ミカエルはアントワープ・ダイヤモンド街を歩く黒ずくめの男たちのマントを握ってお願いした、『私を雇ってください、何でもします』。

     

    誰も相手にしてくれなかった。ミカエルは、疲れと空腹で、ダイヤモンド街の端っこの石畳の上に座りこんでしまった。ウトウトと居眠りをして夢を見た。大きなダイヤモンドが空から降ってくる夢だった。拾おうとして目が覚めた。また眠って夢を見た。飛行機に乗って雲の上を飛んでいる夢だった。飛行機なんて全く縁がなかったから、ミカエルはついに自分も死んだのだと思った。その時、誰かに肩を叩かれて目が覚めた。黒いマントではなくて、普通のジャケットを着た小柄な男だった。男は、黒いマントの男たちに追いすがるミカエルを遠目に見ていて、何故か不憫に思ったのだった。

     

    「坊や、どうした。迷子になったのか?」

    と声を掛けた。

     

    ミカエルは意味が分からなかった、同時に腹が立って来た。

    「坊やでもないし、迷子でもありません」

    キッとなって男に言った。

     

    男は、そのミカエルの顔をどこかで見たような気がして、名前を聞いた。

     

    「ミカエル・ゴルコフスキー」

     

    姓を聞いて男は動転した。男の名はアルノン・ゴルダ。だが、以前はアンドレ・ゴルコフスキーだったのだ、ダイヤモンドの世界に入ると同時に姓名をユダヤ人風に変えたのだ。この子は、20年前に悪事を働いてオランダを去ってベルギーに逃れたと噂されていた兄の息子に違いない。しかし、ここでこの子から兄の名を聞いてしまったら、もうこの子と離れる訳には行かない。複雑な気持ちでアルノンは言った。

    「ここでお前を雇う者なんていないし、ここにいつまでも居られはしない。警官に追い払われる前にダイヤモンド街から出て行きなさい」

    と言ってアルノンは、ミカエルの手に23日分の食費に相当するお金を渡したのであった。

     

    翌日の昼ごろ、ダイヤモンド街の同じ場所に立つミカエルの姿があった。アルノンは少し離れたビルの7階のオフィスからミカエルを見ていた。少し心を動かされたが、仕事が溜まっていることを自分への言い訳にしてミカエルのところには行かなかった。夕刻になってまた見るとミカエルの姿は消えていた。追い払われたに違いなかった。その日は金曜だった。ダイヤモンド街は、金曜の夕方から月曜の朝までゴーストタウンになるのが普通であった。アルノンの中で、もうミカエルには会えないかもしれないという気持ちと、もう会いたくないと言うもう一人の自分が交差した。

     

    月曜の午前10時少し前、同じ場所に立っているミカエルの姿をアルノンは見た。ミカエルを放っておけないという気持ちが強くなった。アルノンは決断した。ミカエルの父親の名は聞くまい。ミカエルを用務員、雑用係として置いてやろう。しかし、それだけだ。情は一切掛けない。

     

    アルノンはミカエルのそばに行って命じた。

    「俺に付いて来い」

     

    アルノンがミカエルを連れて行ったのはダイヤモンド街から歩いて5分ほどのところにある小さなアパートの一室だった。アルノンはこの部屋を仮眠や書庫として借りていた。とりあえずミカエルをここに住まわせ、後日また適当な安い住居をあてがったら良いと考えた。アルノンは、薄汚れたミカエルに風呂に入るように言い、近くの古着屋に行ってミカエルに清潔な衣類を買い与えた。ミカエルが風呂から出て着替えを済ませると、アルノンは彼を連れてオフィスに戻った。

     

    アルノンは、ダイヤモンド仲買い人であった。極々小規模で、一人の従業員も雇っていなかったが、ダイヤモンド街に自分のオフィスを持っていた。ベルギーに来た当初の目的は、兄の消息が少しでもつかめるかもしれないと思ったからだった。犯罪者の兄ではあったが、アルノンには優しく、かけがえのない兄だった。大都会の首都・ブラッセルに行かずにアントワープに来たのは、ブラッセルの日常語はフランス語だからだ。兄はオランダ語とロシア語しか喋れなかった。アントワープは、オランダ語が日常語で、郊外の拡がりも大きな都市であった。また、ダイヤモンドの世界4大市場の一つであったから外国人も多く、よそ者にも住みやすい街だった。きっと兄はアントワープにいる。アルノンはそう確信していた。しかし、兄に関連するような話は全く聞けず、5年、10年と経過するうちにアルノンの兄に対する想いも薄くなってしまっていたのであった。

     

    アルノンのダイヤモンドの世界との出会いは、実に小説じみたものであった。アントワープに来て自活のため、アルノンは最初、食品の輸出入をしている会社に就職した。アルノンはオランダ語の他に、父親の影響でロシア語も自然に覚え、また、高校の授業でフランス語を完璧に習得していた。英語はBBCニュースをラジオで毎日聞いているうちに難なく使えるようになっていた。4か国語を自在に使えたから就職活動では全く苦労がなかったのだった。しかし、就職して4年目にその食品会社が倒産した。若く知的なアルノンは直ぐに働く場所を持った。ダイヤモンド街近くに位置するカールトンホテルのフロントマンになったのであった。カールトンには世界中から多くの人が訪れ、ダイヤモンド街の長期の休日以外は常に満室状態だった。カールトンと言ってもリッツ系列ではなく、ビジネスホテルに毛の生えたようなものだった。ダイヤモンド街に会社を持つユダヤ人がオーナーだった。ある日ホテルで、その会社の創立50周年記念パーティーが催された。500人あまりを招待した立食パーティーだった。狭い宴会場は一杯になり、バーラウンジにも大勢の人があふれた。けれど招待客は、ふんだんにある世界各国の酒類を楽しみ、このようなパーティーでは珍しいほどの美味しい料理を堪能した。パーティーは大成功だった。喜びで笑顔いっぱいのオーナーはホテルの支配人に聞いた。

    「皆、口々に料理を誉めてくれた。私も鼻高々だ。今回の料理の材料は何か格別の物だったのか?」

     

    「それはですね、、」

    と支配人が報告を始めた。実は、今回のお酒や料理の材料は、支配人から相談を受けたアルノンが準備した物だったのだ。食品会社に在籍当時の‘つて’を駆使し、安くて質の良い物を厳選。そして早くから、遠く日本や中国からも物品を集めていたのだった。それを聞いてオーナーは直ぐに、アルノンを呼んだ。

    「キミが今夜のメニューの材料を揃えたと聞いたが、それは本当のことなのか?」

    アルノンは頷き、それが可能だった理由を説明した。オーナーは大いに満足して帰宅した。

     

    数日後、アルノンはホテルの支配人に呼ばれ、告げられた。

    「このホテルのオーナーのステファン・アレキシス氏が、ダイヤモンド輸出入の会社をやってるのを知ってるだろう。今朝、オーナーから直々に電話があって、キミをそっちへ貰い受けたいとおっしゃった。もちろん、Yes or Noはキミの自由だ。考えてくれたまえ。」

     

    自由と言われても、断るとホテルの職場の居心地も悪くなるに違いない。かと言って、ダイヤモンドなんてこれまで全く縁がなかった世界。自分がダイヤモンド街で働いている姿なんて想像もつかない。アルノンは大いに悩んだ。三日悩んだが良い考えは浮かばなかった。アレキシス氏に直接話を聞いて決めようとしてダイヤモンド街に足を向けた。折良くアレキシス氏は在室していた。自室に快くアルノンを迎え入れ、『来てくれるんだね』と言った。

     

    「いえ、実はどうして良いのか分からなくてここに来ました」

    アルノンは正直に言った。

     

    「なんだ。そういうことか。心配いらない。ホテルの方が良いのなら、キミにもっと相応しいポジションを用意してあげよう」

     

    アレキシス氏の優しい言葉と笑顔を見て、アルノンは瞬時に決めた。

    「ダイヤモンド街でお世話になります」

     

    それから6年、アルノンはアレキシス氏の傍らでダイヤを学び、“いっぱし”のダイヤ原石バイヤーとなった。ロンドンのDe Beersサイトに参加した後にロシアに買い付けに赴くこともあった。父の母国、アルノンのルーツであるロシアだったが、オランダ国籍のアルノンには冷たかった。ロシア語は全く分からないふりをしていた。それは大きな武器となった。ロシア人同士の会話を理解出来ない顔を装って聞き取り、商談に活かすことができたのであった。だから、アルノンの買い付けた原石は誰よりも安くて値打ちがあった。

     

    更に4年が経過し、アルノンはアレキシス氏の懐刀と見られるようになっていた。しかし、アルノンはアレキシス一族ではないし、ユダヤ人でさえもなかったから、会社の経営陣の中に入るのは難しいと思っていた。そんなアルノンのことを慮ってアレキシス氏は、アルノンに養子縁組の話を持ちかけた。アルノンは大いに戸惑った。義理とは言えアレキシス氏の息子になるということは即ちユダヤ人になることだった。それには大いに抵抗があった。ずっとダイヤモンド街で生きてゆく決心をしてユダヤ風に改名したアルノンであったが、ユダヤ人となれば様々な堅苦しい宗教的風習から逃れられないに違いない。それはいやだった。『はい』とも『いいえ』とも言わずに時間が過ぎた。アレキシス氏から養子縁組の話があって約ひと月経ったある日、アレキシス氏が急死した。心臓麻痺だった。高齢とは言え、杖もなしで元気に歩きまわっていたアレキシス氏だった。アレキシス氏とアルノンの養子縁組の話がダイヤモンド街に漏れ伝わって色々な憶測が巷間に飛び交った。会社の経営陣のひとりだったアレキシス氏の娘婿がアレキシス氏と不仲だった、というような不穏な噂も聞かれた。アルノンは何も言わずに自分が出て行くべきと悟った。新たに会社の代表者となったアレキシス氏の娘に、アルノンは退職願を提出した。慰留されたが、それは儀礼的なものだと分かった。アルノンは努めて笑顔を作って去って行った。1か月喪に服した後、アルノンはダイヤモンド街に戻ってオフィッスを持った。以前からの取引先は皆、アルノンの復帰を歓迎してくれた。小さいながらも自分の城を構え、瞬く間に月日が経過した。

     

    アルノンが独立して3年の時が流れていた。

     

    ミカエルのダイヤモンド街での日々が始まった。オフィスの鍵は持たせてもらえなかったから、出勤時間はアルノンとほぼ同時か少し遅くて構わなかった。それでもミカエルはアルノンがオフィスに来る数分前には必ずドアの前で待っていた。アルノンから古い懐中時計を貰って大事に使った。時計を手に持つのも初めてだった。ただしそれは、1日に15分以上も遅れるので、帰宅の際には必ず中央駅の時計台の前で時刻を修正しなければならなかった。最初の頃の仕事は非常に退屈だった。掃除が終わったら何もすることがなく、用事を言いつけられるまで部屋の隅にずっと立っていなくてはならなかった。立っているだけだと眠ってしまいそうだったから、常に耳をそばだて、目を皿のようにして来訪者とアルノンの商談を理解しようとしたり、アルノンの電話の会話はどんな話なのか想像していた。アルノンは語学の天才のようで、アントワープの言語(オランダ語の方言)の他、英語、フランス語、ヘブライを自在に使いこなし、日本語も多少は理解できるようであった。顧客との電話を切った後、アルノンが小さな声で何か独り言を言っているのを聞いた時は少し驚いた。ミカエルの父親がロシア語で毒づいていたのに凄く似ていたからだ。ハッとなってアルノンを見ると、アルノンはミカエルの顔を見て何故か『しまった』という表情をした。それ以後、アルノンはロシア語の独り言を言わなくなった。ミカエルは、日雇い労務者の時給ほどの日給をもらっていた。家賃取りたて人がやって来ない清潔な住まいもあるし、それで十分だった。

     

    5年の月日が流れた。ミカエルは18歳になり、晴れてダイヤモンド街のIDカードとアルノンのオフィスの鍵を貰った。天にも昇る気持ちだった。髭は生えてきたが、背はあまり伸びなかった。それでも、小柄なアルノンとほぼ同じ背丈になった。何となくアルノンと顔が似てきたようにも思った。ミカエルを5年前から知っている来訪者は、ミカエルはアルノンの親族だろうと推測していたし、新しい外国人顧客には『Your Son?』とアルノンに聞く人も珍しくはなかった。仕事も色々やらせてもらえるようになった。15歳になった時から、アルノンが外出時の電話番を任されるようになった。アルノンの電話には常に聞き耳を立てていたから、電話の応対はほぼ完璧だった。アルノンのように電話を取って、声も似ていたから、アルノンだと思って一方的に用件を喋り出す人もいた。16歳の誕生日が過ぎて初めてピンセットとルーペを渡され、ダイヤに触れることが出来た。手が震えて仕方がなかった。ダイヤは絶対に落さなかった。アルノンは何も教えてくれなかったが、ずっと来訪者とアルノンがダイヤを取り扱う様子を観察していたので、その通りに真似した。特にどうと言うことはなかった。30分も続けてやって問題なく扱うことが可能になった。小さなデスクと椅子を貰って、ずっと座っていることを許された。部屋の中で立っていることが普通だったので変な感じがした。ある時、メレダイヤのパーセル(紙包み)を渡された。パーセルには、『1/30 RB White SI 5.03ct』と書かれていた。アルノンから『程度によって上中下の3つに分けろ』と言われた。30個で1カラットの大きさの物、即ち1個当たり約0.033カラットが約5カラット、合計約150個のパーセルだ。色は無色透明で、インクルージョンが多少あるSIクラスの物を、インクルージョンの良し悪しで3等分しろ、という命令だった。簡単だと思って始めたが、なかなか捗らなかった。30分くらい経過してもまだ出来ていなかった。アルノンに、『能無し。帰れ!』と怒鳴られた。ダイヤはパーセルの中に戻されてピンセットとルーペも取り上げられた。ミカエルは泣きながら『もう1度だけやらせて下さい』と懇願した。アルノンは何も言わなかった。ミカエルは部屋の隅に立っていた。夕刻になってミカエルは部屋から追い出された。また涙があふれた。

     

    翌朝、ミカエルは、アルノンが出勤する1時間以上前からオフィスの前で立って待っていた。アルノンがやってきた。『おはようございます』と挨拶しても無視されたが、アルノンに続いて事務所に入ろうとしても拒まれはしなかった。以前のように部屋の隅に立った。アルノンが金庫からパーセルを取り出し、『やってみろ』と言った。昨日のパーセルだった。目の前に光明が見えた。昨夜は眠れず、再度チャンスを貰ったらどうやるべきか一晩中考え続けていたから、15分くらいで3等分することが出来た。しかし、アルノンがチェックして、それらをバサッと元のように混ぜ合わせてしまった。『やり直し』と言われた。今度やり損なったら本当にここから放り出されるに違いないと思った。ミカエルは必死の形相でメレに立ち向かった。先ほどより少し時間を掛けて、20分ほどでアソートを完了した。アルノンはチェックを終えて、3つの小さなメレの山をそれぞれ別のビニールパックに入れ、´↓とナンバーを書き込んだ。ミカエルは安堵の溜息を洩らした。アルノンはそれから直ぐに別のパーセルを取り出し、ミカエルのデスクの白いパッドの上に置いて言った。

    「カラーで4つに分けろ」

     

    パーセルには『1/50 RB LC VS 6.55ct』と書かれていた。パーセルを開けると、薄い黄色に輝いていた。50個で1カラットのサイズ、合計約330個だ。数は最初のパーセルの倍以上になったが、ルーペを使う必要がなかったから、10分くらいで完了した。出来栄えには自信があり、アルノンも何も言わずにそれらを4つの小さなビニールパックに入れた。このような日々が1年以上続いた。時には0.3crtほどの大きさの美しい‘ロシアもの’のアソートもやった。DEFカラーのVVSVSだった。相当量のメレをアソートさせられていたから意外に簡単だった。ミカエルは、どんなダイヤモンドの会社でもやって行けるほどのアソート技術を身に付けたが、自分自身ではそのようなことを知る由もなかった。あんなに憧れて入ったダイヤモンドの世界なのに、時おり夢の中で大量のメレを目の前にして‘うなされ’たりした。それだけに、ダイヤモンド街のIDカードを手にしてミカエルは生き返った心地がしたのだった。

     

    15歳になった時から誕生日を迎える度に、アルノンから新たに何かを命じられてきたから、18歳の誕生日も期待と不安を同時に抱いた。“それ”は、なかなかやってこなかった。18歳の誕生日から2カ月以上経過したある日、アルノンはミカエルに言った。

    「お前の給料をベルギーの大卒並みにしてやる。その代り、自分で住居を見つけて支払もするように」

     

    ミカエルは面喰った。大卒並みと言われてもピンと来なかった。15歳の時からは、日雇い労務者並みの日給を貰えるようになり、相変わらずアルノンの契約したアパートに一人暮らしだったから、普通のベルギー人と変わらぬ生活が送れ、何も不満はなかったのだった。

     

    アルノンの話はそれで終わりではなかった。

    「今日からセールスをやってもらう。」

     

    青天の霹靂だった。全く迂闊なことに、そこまで考えが及んでいなかった。

     

     ―続く―

     

     

     

     

     

     

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