Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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枯淡
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    涼しくなって秋本番。

    〇〇の秋〜・・・

    〇〇の中にはどんな漢字が入るのでありましょうか?!

    UKI氏はもちろん『読書の秋』でございますね、常にアカデミックなUKI家ですから、秋になりますと、いっそう“アカデミックレベル”がアップいたします・・・

     

    はい、ウソです、すいません、

    『減量の秋』を目指しまして直ぐに挫折、

    皆さん同様に、

    『食欲の秋』へとまっしぐら!

     

    ところがですな、

    今月24日の誕生日、

    『さあ、何を食べに出掛けようか』、あるいは家で『どんなメニューを家内にお願いしようか』、と考えましても、具体的に何も思い浮かばないのですね。

    少し前までは、是非とも今年は兵庫県の日本海側の漁港、香住にカニを食べに行こう――なんて思っていたのに、いざネットで“カニ宿”を探してみますと、これが普通の温泉旅館なんかより格段に高い! 写真で見るに標準レベルよりも下の部屋のような気がするのに、12食、カニのフルコース〜みたいなプランが1人3万円とかですよ。2万円前後だったら民宿やないですか。なんや結局のところカニ代に2万も3万も払うっちゅうこっちゃ、、どう考えても、これはあまりにコストパフォーマンスが悪すぎる。1人3万とかだったら、シティーホテルのかなり良い部屋だよなぁ〜とかって考えているうちに、“カニへの想い”はすっかりと萎えてしまいました―

     

    数字と理屈で“食欲の秋”を満たそうなんて考えるのは正しくない、

    というのは頭では分かってはいるけど、

    いったん気持ちが萎えてしまいますと、どうしようもないものですな。6日後の誕生日は“食”よりも“酒”、スコッチのシングルモルトと大好きなブルーチーズで一人お祝いいたしましょう・・・家内はブルーチーズの匂いが大嫌いでね、ブルーチーズの半径5m以内には近寄らないのです〜・・・

     

    皆さんの『食欲の秋』、

    またお聞かせください。

     

    『今昔物語集』に載っていた話のひとつ・・・

    平安中期に、藤原朝成(ふじわらのあさひら)という賢明で胆力があり、知識に優れて音楽の才能にも恵まれているという多くの人から羨ましがられるような公卿がいたそうですな。ところがこの朝成氏、実際のところは全く羨ましがられてはおりませんでした、Why?

    相撲取りを超えるような超肥満だったから。

    本人も、もっと姿が良かったら女にもてるのに、、、と気に掛けること尋常ではなく、ある日、医者を呼んで相談したそうな〜

    医者は、

    『冬には湯漬け飯、夏には水漬け飯だけを食せよ』と言う。

    ところが、半年経過しても全く効果が現れない。

    朝成氏が、『何も効きめないぞ!』と言うものですから、医者はこっそりと朝成氏の食事風景を覗きに出掛けたのですな、、、

    すると、な、な、なんと、

    瓜を10個に、鮎鮨(あゆずし)30尾をおかずに、大きな椀にメシを盛って少し水を掛けて喰らい出す、、メシはアッと言う間に腹の中に! 

    そして、家来の給仕係に『代わりを盛れ』と。

    医者は呆れかえって見放した〜

     

    これはもう“壮絶”というほどの食欲ですな、ここまでしなくとも、という気がします。

     

    しかし、平安期は藤原氏一族と言えども、メシの他は鮎やら瓜やらしか食えないのか?

     

    そう言えば、

    『源氏物語』には食のシーンがホント少ない、とかって誰かが言うておりましたな。

    光源氏は、ひたすら専ら♂♀ばかり、三度のメシよりもスケベが好き、

    ではありますけども、実際、貴族であっても貧相な食事、いかに紫式部の文章能力が卓越していても、貧相な食は書けないということでありましょう〜特に海のない京は酷かったに違いない、、、、ご飯に魚の干物、そして野菜。極まれに鴨や鶴の肉。

    獣肉なんか食ってると繊細な感性が損なわれて優れた歌が詠めない?!

     

    ひょっとしたら、

    日本の優れた文学は貧しい食生活のお蔭?

     

    そうですね、私たちもやはり“食”よりも叙情。

    というところで?

    今日もまた、名著の中に日本の美を見つけてみましょう〜

     

    漱石の『硝子戸の中』より・・・

     

    「時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合―これらから脱却する事は、如何に枯淡な生活を送っている私にも六(む)ずかしいのである・・・」

     

    “枯淡”、

    人のありようということでは、富や名声と言った俗世の価値観から離れたところにある趣きのある様子、

    絵画や文章などでは、俗気がなく、一見あっさりとしている中に深い趣きがあること。

     

    『枯淡』をカラーダイヤとシンクロさせるのはやはり無理がある?!?

     

    はて、

    俗気を含まないダイヤなんて存在しているのだろうか、

    と考えてしまいますね。

     

    ダイヤモンドが宝石の一種である以上、

    “宝”という字が付いている以上、俗気とは縁が切れない。

     

    しかしそれでも、あえて、カラーダイヤに『枯淡』を求めたい。

    カラーダイヤの‘ある部分’っていうのは、『枯淡』であるべきだし、実際に『枯淡』なのだと、感じたいですね。

     

    我々は単に宝石を求めているのではなく、

    単にダイヤモンドを欲しているのではなく、

    言うなれば、

    カラーダイヤによって“昇華”したい、、、

     

    そんなふうに感じていたい秋になりました。

     

     

     

    | ukitama | - | 16:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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