Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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比喩表現
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    カラーダイヤの美しさを語る時に欠かせないのが比喩表現。

     

    比喩は、読み手に必要な情報を正確に伝達して理解を助けるためのもの、

    でありますから比喩表現は、

    “出来るだけ多くの人とイメージの共有を図りやすいもの”、

    でないといけませんね。

     

    カラーダイヤ(Colored Diamond)は別名、Fancy Color Diamondと呼ばれ、その多くの商品には、鑑定屋の『Fancy・・・・・』というグレードが付けられております。この《fancy》という英単語の意味、皆さんの耳にタコがいっぱい出来るくらいに何度も何度も申し上げてきましたから良くご存知のことと思います、、、辞書を引きますと、、

    空想、想像、夢想、根拠のない考え、気まぐれ、思いつき、好み、愛好、嗜好、etc・・・

    ・・・の訳語が出てまいります。

    であります故、カラーダイヤの比喩表現は、

    UKI氏のような書き手(売り手)個人の“気儘(きまま)で、思いつくままの、好き勝手な”もの、であって、その表現がたまたま、読み手(消費者)の共感を呼ぶようなことが起きた時に限って、商品のイメージと特性を伝達することが可能になります。

     

    そうですね、小説家と同様に、UKI氏は、対象(商品)を‘どのようなイメージで伝えたいか’ということに主眼を置きますから、必ずしも多数の支持を受けているということはないし、多くの人たちと感覚の一致があるわけではありません。それでも比喩表現は欠かせない。“美”を誰かと共有したいし、共感できる人が必ず存在すると信じているから。

     

    さて、カラーダイヤの比喩表現は、本来その色味に関してあるべきなのですけども、どうも最近、“そうではない”という気もしております。

     

    カラーダイヤの美しさは“トータルなもの”であって、

    4Cよりも、

    4Cで表現できないsomethingの方がより重要なのではと感じております。

     

    そのような思いから、カラーダイヤを喩えるとしたら、花や木々や海や空などの自然よりも、都市の姿や街の風景の方がしっくりと来るのでは、と最近感じるようになりました。

     

    日本文学にある豊潤で渋い味わいのある都市の描写を、是非ともカラーダイヤに重ねていただければと思います・・・・

     

     

    『西陣の機屋町(はたやまち)、ことに横町を、一見しただけでも、わかる通りに、零細な家庭しごとの多い機屋・・・・・・古びた瓦屋根の、深いひさしの、小家が、伏しならんでいる。二階があっても、低い。露地のような横町は、さらにごたごたして、機(はた)の音まで、薄くらがりから、聞こえるようだ。自機ではなく、賃機屋もあるのだろう。』

         ―川端康成『古都』より―

     

    昭和30年代の京都を描いたであろう『古都』。美しい反物が織られてゆく西陣の、本当の姿なのか、それとも裏の姿なのか。昔ながらの機(はた)が織り成す見事な模様が、古びた露地の薄くらがりの中でいっそう多彩な艶を放っているような気がしますね。最初は仄かに見えて、徐々に彩度をましてゆく光沢は、その一瞬一瞬が貴重な時間に感じられます。“零細な家庭しごと”、“賃機屋もある”、というような表現からは、決して裕福ではない織り手の姿が思い浮かび、同時にそこから織られた高価な着物や帯を身に着ける華やかな女性たちの姿も。人によって“紡がれる美”のStoryを今更ながらに感じますね。

     

     

    『街は紫色の幕に覆われて冷たく静まり返っていた・・・・うなだれたまま夜明けの歓楽街を歩き始めた。』

         ―宮本輝『道頓堀川』より―

     

    東の空が明るくなってきたものの、太陽が昇り始めるにはまだ少し間があるような時なのでしょうね。夜を染めていた様々な色あいがほぼ消えかかって、何種類かの明暗があるだけの世界、紫の幕というのはエンディングのテーマみたいなものでありましょうか。多くの男たちが経験しているであろう‘うなだれた夜明けの歓楽街’。爽快な空気や芳しい香りとは全く無縁の場末。昨夜の出来事は一体何だったのだろう、きっと夢。いや、現実のこと。

    こんなに落ち込んでいるのに、酒が抜けてしっかりと目が覚めたらまたきっと同じところに向かいたくなるに違いない、、それが自分にとって一番のFancyなのだから。

     

     

    『角々の料理屋では、植木鉢を置いた戸口から、往来傍までテーブルを据え並べ、明るい電燈の光の中をば、黒い衣服を着た給仕人が皿を持って飛廻っている、と、其処此処(そこここ)のカフェからは、ビオロンの調べや、女の歌う声が聞こえ、往来の人の雑沓に交っては、目のさめるような装いをして、媚(こび)を売る女の行きつ戻りつしている有様・・・』

         ―永井荷風『ふらんす物語』より―

     

    レストランの外にテーブルが並んでいる風景があるのは西ヨーロッパでは5月くらいから9月くらいまでの間でしょうか、現代ではSummer Time(夏時間)の時。明るい電燈の光、という描写がありますから、夜も相当に遅い時間でありましょうね、ひょっとしたら深夜近く。

    そんな時間にウェイターが皿を持って飛びまわっている?

    もちろん。

    欧州人に現地で夕食に誘われると大変。大たいが9時ごろのスタートで、メインディッシュが出て来る頃には腹が減って会話もままならないし、既に一度は白川夜船になりかけ。『コーヒーでも』と言われてハッと気が付けば日付が変わってる!ということも珍しくなかったですな。

    『こいつら、なんでこんなに元気やねん!?』

    早寝早起きの農耕民族には全く理解不能の奴ら。

    しかし、あの妖しげな色艶、媚を売る女の姿がなければ、欧州の夏の夜はさぞやつまらないだろうと思えてくるのですね。

     

     

    『輪郭のはっきりしない、何となくわんわん吠えている様な大阪駅』

         ―内田百痢愼段粍に捨鷦屐戮茲蝓

     

    内田百里蓮⌒石門下の作家。ですが、百里鰺名にしたのは恐らく、彼が日本で最初の“鉄道オタク”であること。『特別阿房列車』は、昭和25年に百里東京から大阪まで列車に乗るだけのための旅をした、という時の作品。新幹線で2時間半じゃないですよ、特急や急行なんて東海道には走ってないだろうし、片道十数時間でしょうか、それを単に行って帰ってきただけという。この時が初めてだったのかどうか知らないけど、とにかく、やっと着いた大阪駅が犬のようだったと。大好きな鉄道でも、長い時間乗り続けてちょっと嫌になりかけたのか?それとも、列車から降りて大阪駅の喧騒が我慢ならなかったのか?しかし“輪郭のはっきりしない”とは面白い表現ですよね。人間だろうが犬だろうが駅だろうが列車だろうが、そこにあるのに輪郭がはっきりしないなんて有り得るのか?きっと‘とらえどころのない’ということだろうと思いますね。そう、鳴くも吠えもしないのに、わんわん言ってる声が聞こえてくるような気がする、、きっと都市の喧騒のことではないのでしょう。そう言えば、そう、確かに感じることがあります、自分の中でどうにもイメージがキッチリと確定しないダイヤがある、、『キミは何や?』と問うたところで返事が戻ってくることはないし、ホント『わんわん』言うてるのですけどね、何を言ってるのだか理解不能。日本語が“乗らない”カラーダイヤと言えるのかもしれませんね。ところで、ウッキーは大阪駅が非常に苦手。行く度に迷って、ダイレクトに目的のところに行きついたことがありません。東京駅の方がまだ数段分かりやすく思います。東京の人、是非とも新大阪で降りた後は大阪駅まで来てぶらついてみて下さい、大阪人の案内なしで。きっと良い体験ができるはずですし、何か得体のしれないものに出くわすかも?!大阪駅が犬に思えたら最高??

     

     

    『あまりに整いすぎたあたりの美しさに、何かお菓子の中にでも住んでいるような、迂闊に身動きもできぬようなあやうさを感ずるのである。』

         ―森田たま『続もめん随筆』より―

     

    この著書は読んだ訳ではなくて、この部分が取り上げられているのを見かけただけなのですが、たったこれだけの文章でありながら強く惹かれるものがあります。これはとある街の描写、その街は関西ということです。それがどこなのかはサッパリ分かりません。そんな綺麗に整ったところがあるのかな?ほんの一角、ワンブロックなのでしょうけど、ちょっと想像がつきません。また、どうして‘お菓子’なんだろうってね、思いませんか?ダイヤではダメなのか??整い過ぎて美しいのはジュエリーでしょう、ってね、言いたくなりますね。まあでも、著者の言わんとすることは分かりますね、身動きできぬような“あやうさ”、これは白眉の表現。ウッキーも時おり感じておりましたが、このような表現で“それ”を言い表すことが出来てなかったと言う。整い過ぎた美しさ、そして、あやうさ、それはラウンドよりも、変形物の世界という気がしております。そんなダイヤと出会ったならば、、お菓子の中に住んでいる気分になるのか?いや、有り得ない!

     

     

    『線路の沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取り払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城址のような趣をなしている。』

         ―永井荷風『墨東奇譚』より―

     

    これは間違いなく東京か、その周辺なんでしょうね、関西人のウッキーにはまるで見当もつかんけどね。墨東ですから、隅田川の東側。これだけは分かります。荷風の戦前の作。今の東京とその周辺は大きく様変わりしていることでしょうから、このような跡を探しても恐らくは見つからないのではと推測いたしますが、ふとした誘いと言いましょうか、もののはずみで、こんなような場所に“出てしまった”という経験は誰しもお持ちではないかと。遺物を見ているのに、ひょっとしたら自分が遺物なのかもしれない、なんてね、思ったりもする。こういう場所で長く立ち止まると、色んな事が頭の中を駆け巡りますね。そんなこと今さら考えてもどうなるものでもない、ということが分かっていながらまた考える。こんな時に、カラーダイヤの一つでも手元にあれば・・・と思える瞬間ですね。過去と未来と現在のどこにも帰属していない空間のような場所、そういうところでカラーダイヤの輝きを見てみたいものですね。

     

     

     

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