Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
<< 七夕 | main | Argyle, July 2019 >>
羅(うすもの)
0

    全国的に曇天のところが多いようで、大阪の暑さもそれほどではありませんが、やはり夏、涼しげな浴衣姿には視線がくぎづけ?!

     

         羅や人悲します恋をして 

            ― 鈴木真砂女(1906~2003)―

     

    羅(うすもの)は、下着が透けて見えるほど薄い夏用の単衣の着物ですね。日本書紀にもその記述が見られるということですから、非常に古くからのもの。情や艶のイメージとして短歌や俳句に詠み込まれることも多いとか・・・鈴木真砂女の実家は老舗旅館で、現在の千葉・鴨川グランドホテル。彼女自身も一時期、実家で女将やってたのですね、、、俳人女将、そして、与謝野晶子にも負けない“恋の女”・・・・大恋愛の後に結婚し出産、しかし、夫が博打に狂って失踪。再婚したものの、旅館に宿泊した海軍士官と恋に落ち、家出・・・・上記の句はその時のものに違いないですね〜・・

    おおっ、羅(うすもの)で涼を感じるどころか、暑い夏がより熱くなる!

     

    さあ、今日もまたGreen Blue系のダイヤで涼を感じてください。

    UKI氏の筆はまるで違う方向に行きそうですけど〜

     

    誰でも自慢にならない特性の一つや二つは持っていることでありましょう。それが悩みであるか、特に気にしてはいないか、人それぞれでしょうが、それによって、多かれ少なかれ仕事にも差し障りがあることも確かですね。ウッキーの場合は、ある特定の名詞、固有名詞に関して、“文字を引っくり返して記憶してしまって”正確に覚えられないこと。

    What??

    多分、こういうのは珍しいと思いますね、皆さんの周囲にあまりいないのでは・・・ホント自慢にならないけど。

     

    UKI世代の少年時代、『あしたのジョー』という日本漫画史上に燦然と輝く“芸術作品とも言える大作”がございましたね。ウッキーは他の男子ほど熱心ではなかったけど、それなりにStoryの展開が気にはなっておりましたし、時には“作品”も読んでおりました。『ジョー』の‘見せ場’のひとつが、ライバル力石徹との試合だったですね。「少年マガジン」に連載されていた『ジョー』を毎回欠かさず読んでいた1学年上の子がいて、朝の登校時に一緒になることが多かったので、よく“今週のあらすじ”を聞いていたのですけども、、ウッキーはいつも『石力徹・・・』と言ってしまって、その都度、『力石や』と直されて、何回目かにはついに、『お前はアホか!』と叱られ・・・

     

    下らぬこととお思いでしょうが、ウッキーは大真面目、

    この種のことはその後も枚挙に暇がないのです、、

    中学生になって地理の勉強の時、“タクラマカン砂漠”か“タマクラカン砂漠”か、どちらが正しいのか分からんようになってね、それが今でも続いておりますよ。この部分を書く時に、しっかりと調べまして前者が正しいと認識いたしましたが、明日になるともう‘あやふや’になります。

     

    料理の“レピシ or レシピ”、

    さあ、どっち??

    またまた調べました、今・・・後者が正しい、、ウウッ、涙涙涙〜覚えられない、、

     

    まあ、この辺りまでですとまだまだカワイイもんですけどね、

    お客さんの名前も時々・・・・

    特に苦手なのが、“村松さんor 松村さん”。

    メールなら間違えても修正できる。しかし電話ではね。電話で1回間違えるともう何度も間違える。電話切った後、『あの村松さん or 松村さんの笑いはきっと、ウッキーがまた呼び間違えていたに違いない』と確信すること数度。

    ホント失礼しております、申し訳ございません、村松さん&松村さん。

     

    すぐ近所に、ウッキーが自宅のすぐ前にいるような時には、散歩の途中などにニコニコ笑って挨拶してくれる人がいるのですが、その同じ人と、車で数分行ったところにあるスーパーの売り場で偶然出会って、ウッキーが『こんちは』と言っても、まるで初対面のような感じで、“誰や、このオッサン??”みたいな反応をする、、、“顔が覚えられない症候群”とでも言いましょうか、、こういう人は少なからずいるようです。

     

    レピシかレシピかも分からんウッキーなんですけども、、

    これでも若かりし頃、、昭和の終わり頃、輸入卸やってた会社の莫大な量の在庫のほぼ全部が頭の中に入っておりましてね、在庫リストなんてほとんど不要でございました。そして、その在庫の半数くらいは、そのダイヤの“顔”までも思い浮かべることができたものです、、これは、ウッキーがその点特に優れていたということではなく、真剣に仕事やってる若い者は皆そうでした。若い頃っていうのは、ある面では“異能”を発揮できるものなのかもしれませんな。今は、当時と比べものにならないほど少ない在庫なのに、それらの正確な重量やグレードさえ定かではなくて、ダイヤの顔覚えているなんてね、とんでもない話。久しぶりにご対面したら、『えっ?! こんなにベッピンさんやったんか!』、と改めて感動したりで。

     

    人間が何かを記憶できない、あるいは、年齢とともに記憶力が衰える、、それらは仕方ないことだろうけど、どうしてそうなってしまうのだろうと、、考えても仕方ないことなのですけどね、しばし思考を巡らせてしまいます。

     

    どこか他府県に久しぶりに行って、

    知っているはずの街が、知っている時間帯でなかった時、、

    明るい昼間しか知らなかった街に夕刻訪れた時など、

    目的地は『こっちだったな』と歩き出したら、全く見当外れで、短くない時間彷徨った挙句、ようやく道を間違っていることに気が付いて、来た道を戻って見れば、いきなり良く知っている街路の風景に出くわして驚いた、というような経験は誰にもあるかと思います。

    そのような時、

    街が“身づくろい”して待ち構えていた、

    と感じますね。

     

    街が色を無くしていたから道を間違えたのか?

     

    いえ、それよりも、自分自身が“色”を失っていた、と考える方が理に適っているという気がする・・・街の中に埋没してしまっていた自分が見つけられないから、街のどこに自分が存在しているのか分からなくなって彷徨ったのでは・・・

     

    そう、そんなこと、どうだって良い。

     

    カラーダイヤの世界で彷徨った時、どうするのか?

     

    街に自分を見つけてもらったように、

    ダイヤに自分を見つけてもらうこともある。

    初対面であるはすのダイヤが、自分を見つけて方向を示してくれる。

     

    有り得ない、と思うかもしれない。

    当然です、

    ダイヤには生命はなく意思もない。

     

    しかし、これは厳然としてあるのです。

    微笑むのではなく、声を出すのでもないダイヤモンドが、

    人を覚えていると思える瞬間が、確かにあります。

     

    たくさんのダイヤモンドを見てきたからそう感じるのかと言うと、そうでもない。

    きっと誰にでもあります、その瞬間は。

     

    芝の中の雑草を1つ抜き取った瞬間、芝生全体が綺麗になった気がするように、

    指先に突き刺さった小さな棘(とげ)を取り除いた瞬間、生き返ったような気持ちになるように、、

    皆さんの心に付着した小さなシミをそっと拭い取った瞬間、

    カラーダイヤの彩度がワンランク上の物に見え、

    カラーダイヤとの出会いがまた新たな局面を迎えることになるに違いありません。

     

     

     

     

     

    | ukitama | - | 16:52 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2019/07/20 11:41 AM |
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2019/07/22 8:04 AM |









    http://blog2.colordiamond.co.jp/trackback/915
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031    
    << December 2019 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE