Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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秋暁
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    秋暁(しゅうぎょう)、

    明け方の冷気、目覚めた時の清爽感に、秋の深まりを感じる頃となりましたね。

    まだ暗いうちから起床して“秋暁”をしっかりと感じておられる方は少ないでしょうが、この10月半ばの朝は、どんな人にとっても一日一日が‘全く別の日’、今朝は昨日の朝とは全然違うものを視覚や肌で感じ取っていることではないでしょうか。

    秋の季語の漢字ひとつひとつから、移ろいゆく季節の温度が感じられるような気がいたします。

     

    ところで、皆さんは、朝起きてまず何をしますか?

    軽い体操、新鮮な空気の中で背筋をしっかりと伸ばす、新聞に目を通す、スマホやケイタイを見る、テレビをつける、ラジオをつける、音楽を聞く、、、さまざまでありましょうが、

    ウッキーは、まず洗面、顔を水で洗います。

    真冬でも水。

    そして目も洗います。

    これでかなり目が覚めますね、ホント気持ち良いことです。

     

    最近、知ったのですが、

    驚くべきことに、日本人が朝に“顔を洗う”という習慣は鎌倉時代までなかった!

     

    道元禅師(1200 – 1253)の仏教思想書である『正法眼蔵』の「洗面」という巻があるのですね、そこに以下のような記述があります〜

     

    『天竺國、震旦國者、國王王子、大臣百官、在家出家、朝野男女、百姓萬民、みな洗面す。家宅の調度にも面桶あり、あるいは銀、あるいは鑞なり。天祠神廟にも、毎朝に洗面を供ず。佛祖の搭頭にも洗面をたてまつる。(中略)いまは農夫田夫、漁樵翁までも洗面わするることなし、しかあれども嚼楊枝なし。日本國は、國王大臣、老少朝野、在家出家の貴賤、ともに嚼楊枝、漱口の法をわすれず、しかあれども洗面せず。』

     

    道元さんは、『洗面は、西天竺国よりつたはれて、東震旦国に流布せり』、、、洗面の習慣がインドから中国に伝わり、国王から百姓まで皆が洗面するが、日本では、貴賤に関係なく洗面の習慣なく、代わりに(インドや中国にない)楊枝と漱口の法がある―歯磨きとウガイの習慣がある、、と述べているのです。

     

    そして、洗面の方法について極めて詳細な教えが・・・

     

    つぎにまさしく洗面す。兩手に面桶の湯を掬して、額より兩眉毛、兩目、鼻孔、耳中、顱頬、あまねくあらふ。まづよくよく湯をすくひかけて、しかうしてのち摩沐すべし。涕唾鼻涕を面桶の湯におとしいるることなかれ。かくのごとくあらふとき、湯を無度につひやして、面桶のほかにもらしおとしちらして、はやくうしなふことなかれ。あかおち、あぶらのぞこほりぬるまであらふなり。耳裏あらふべし、著水不得なるがゆゑに。眼裏あらふべし、著沙不得なるがゆゑに。あるいは頭髪頂までもあらふ』

     

    ウッキーのように水ではなく『湯』なんですな、、桶の湯を手ですくって額から両方の眉、両目、鼻の穴、耳の中、頬を“あまねく”洗う! (各部)に湯を掛けた後にしっかりと擦って洗う。鼻水やヨダレを桶の湯の中に落とさぬこと。湯をやたら大量に使うことは慎むべき。垢や脂を完全に取ること。耳の裏や目の裏、頭髪や頭頂も洗う。

     

    道元さんは何故に、ここまで洗面に拘ったのか?

    やはり、鎌倉時代初期の頃の日本人の顔は薄汚れていたのでしょうねぇ〜、、、道元さんは、当時の先進国、中国の南宋に留学して学問すると同時に南宋の人々と接し、日本人との違いを色々と考えたことでありましょう、、、南宋の人たちが精神的に当時の日本人よりも優れていたとは思えないけど、やはり顔は見た目に清潔な方が良いと痛感したのでしょう。

     

    『洗面は仏祖の命脈なり』、と言っておりますね。

    即ち、顔は宇宙からいただいた命の姿であるから、顔を綺麗に洗うことが、まずもって仏教の大事な修行の第一歩であると。

     

    なんでも良いのですけども、、顔を見ていると良く分かります・・・目の位置、鼻の位置、口の位置、耳の位置、、これらは定められている位置にあることで機能している、目と口の位置が反対だったらどうなるか考えたことはありませんか。人間が生きてゆくことに最も適切な位置に造ってくれた宇宙の力に感謝・・・

     

    さて、道元さんが顔を清潔にするということを述べながら本当に言いたかった“宇宙の力と法則”、

    極論すればこれ・・・

    『人身得ること難し』〜・・・人としての身体を授かったことは得難いことであったと、、猫ではなく蛇でもなくラクダでもなくバッタでもなく蜂でもなく人であったということ。

    そして、人が人として生きるためには人との出会いがないといけませんね。人が生きるということは、常に誰かの助けがあってこそ。人間がひとりで生きて行くことは可能です、しかしそれは『人』として生きているのではありませんね、単に生物としての人間、野獣と変わらぬ生き方。人が生きているのは誰かとの縁があるから〜・・・

     

    ダイヤモンドとの出会いも人として生きているからですね。

    何気なく見たWEBサイトのページから拡がる世界、単にカラーダイヤだけの画像であったらなら、あなたはウッキーの文章を読まなかったに違いない。また、ひょっとしたら商品を買わなかったかもしれない。このページがあってこそのご縁。このページの下らない文章を読んだという結果、あなたの指に輝いているカラーダイヤと言えるかもしれない、、、

    そんなことを思いつつ、ちょっとした幸福感を味わうのが秋の日の楽しみなのかもしれません。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    | ukitama | - | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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