Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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名文への誘い
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    「名文」が人の話題にならない昨今です。

    「名文」「美文」が明らかに存在しているのに、それが友人や知人との話題にならない、会話の話題とするに相応しくないとも思われるような、ちょっと悲しい現実がある・・・

     

    しかし、「名文」が尊ばれなくなった訳ではないだろうし、喜ばれないということは絶対にない。ただ、何が「名文」「美文」なのか、自信を持って発信できる人が激減したということではないのか、、

    そのように考えまして、若干、見高とも感じられますが、自称「名文家」わたくしUKIが、「名文」のいくつかを皆さまにご紹介いたしましょう〜

     

    我々は若い頃から割と読書してきた世代だと思っております。ウッキーが高校生になった時、同級生が持っている文庫本がやたら気になったものでした。たいていは書店のカバー付き、タイトルと著者名が見えませんから、『何を?』と聞くのですけども、素直に言ってくれる者は稀で、ほとんどが『何でもええやろ』みたいな返事。仕方ないから、話のネタに『五木寛之、読んだ?』とかって聞きますと、知らないタイトル名が5つも6つも出てきて、慌てて退散、ということも。

    同級生がどんな本を読んでいるのか気になるのに、真似もしたくない。“独自の路線”でもないけども、『こんな本、知らんやろ〜』とかって友人に自慢したいという意識も旺盛で、そんな思いにピッタリとハマったのが三島由紀夫の遺作『豊饒の海』全4巻。新刊の分厚くて大きくて重い本。オヤジの書棚から盗むように取ってきて読み始め、、・・・・・しかしまあ、何とも難解! 

    まず、旧仮名遣いの上に漢字表記もまた旧タイプ、

    “学”が“學”くらいなら読めるけども、“恋”が“戀”とかってなっている。とても芸術性に触れるようなレベルの話ではありません・・・♂♀エッチのシーンが出てきて興奮しながらも、‘詳細’がイマイチ良く把握できないしね。それでも、ストーリーの動きが大きく多かった第1巻と第2巻は何とか読み終えましたが、動きの少ない第3巻の『暁の寺』は、もうサッパリ、とてもやないけどウッキーの頭の程度では太刀打ちできず、『豊饒の海』を“読み終えた”とは言えるようなものではございませんでしたね。

    しかし、三島由紀夫というような日本を代表する『名美文作家』に挑んだ後には、ウッキーと言えども、なにがしかのものは残るという訳で〜・・

     

    当時の記憶を遡りますと、そのころの“いっぱしの”作家は皆それなりに「名文」と言われる文章を書いていたような気がいたします。

     

    平成になってからは、昭和の時代ほど本が売れないようで、馴染みの書店が次々と閉店してゆくという寂しさ。

    にも関わらず書籍は実に多種多様、

    小説の分野には、訳の分からん文章や展開、理解に苦しむもの、稚拙なStoryなど等、なんでもアリの情況で、「名文」を意識せずに読書することが当たり前なのかもしれませんね。

     

    であるが故にまたいっそう、本当の「名文」も価値が上がるのではないかとも思っております。

     

     

    幸田文 『季節のかたみ』より

     

    ―長く逢えずにいたひとを訪ねたとき、相手が昔よりも打上がった人柄になっているのは、なんともいえずうれしいものです。

    年賀と暑中見舞いがほそいたよりで、それもこちらからはご無沙汰がち、あとは又聞きのうわさに、まずは健康にも日常にも障りなく、平安にいると知るくらいです。特別に親しいつきあいというのではないけれど、娘のころからなので、年数かけて知っており、物の考え方、身辺諸事の処理の手なみ、才能、容色、それに雰囲気など、趣きあるひとでした。

    私はほかの人にこのひとが悪くいわれる点で、いつもおもしろ味を感じていました。特別に親しいというのでもなく、しかもふだんはごぶさたしているにも拘らず、風のたよりに平安だときけば、いっときその笑顔を思いうかべたりするのは、どこか虫が好くせいでしょうか―

     

    ―幸田文の文章はいつもいくつかの小さな衝撃を感じます。この短い文章の中にも3箇所もの軽いインパクト・・・・

    ひとつは『打ち上がった』という表現、

    ふたつめは、『このひとが悪くいわれる点で、いつもおもしろ味を感じ』と言うこと、

    みっつめは、『虫が好く』なんて言うところ。

     

    『打上がった』なんて聞きますと、花火かなと思いますね。人に対しての用例は初めてのような。ところが、ネットの辞書で「打ち上がる」を調べてみますと、江戸時代の小説、『浮世草子』等で確かに人に対して使われております。“地位が上がった”というような意味でありますね。『季節のかたみ』の場合は恐らく、『高尚』ということ。もともと知性も品格も備わっていた人であったのが、そのレベルがまたアップしたと感じたのでありましょう。

     

    好意を持って接している人が巷で悪く言われて『おもしろ味』を感じる、、

    どんなケースなんだろうと、かなり考え込んでしまいます。友人や知人が誰かから悪口を言われたらやはりちょっと嫌な気持ちになるのが普通ではないでしょうか、言われた友人知人に対しても、悪口を言った誰かに対しても。

    ところが、『おもしろ味』・・・・・

    これは『虫が好く』と連動しているようですね。

     

    『虫が好く』という表現は正しい用法でしょうか?

    “虫”は『好かない』のが通常の表現ですね。

    そして、虫→短所、と考えるのが普通だと思います。

    欠点さえも好ましく思える。

     

    幸田文の言う“長く逢えずにいたひと”に凄く興味が湧きますね。推測するに、そこそこの淑玲さと人間臭さを同時に感じさせる“さばけた”人。そう、確かに、いそうでいない、時おり会いたくなる存在です。

     

    それにしても、この文章の全体から醸し出される芳香と雰囲気、

    “さりげなくハイタッチ”で、肌ざわりの良いもの。

    何度も読み返したくなります。

     

    さて、最近、入荷してくるカラーダイヤの色味と雰囲気を見ておりますと、

    高彩度の美しい艶の物がいくつか。

    また、実にSharpでキレがあって、誠に“好ましい”物もいくつか。

     

    高彩度の豊艶なPinkは、やはり欠点がないように見えますね、美しい光沢が全てをコントロールしている観があります。

     

    Sharpでキレのある好ましさのBlueやらGreenは、上質感がシンプルに伝わってきて、身体のどこそこと言わずピーンと響いてくる感じが魅力で、これも短所はほぼ感じません。

     

    しかし、“虫が好く”ほどの『おもしろ味』があるカラーダイヤとの出会いがありません。

     

    そこそこの彩度と色香を備えながら、

    ちょっとキッチリとしていない感じ、

    若干ながらテリが甘いとか、色むらがあるように感じるとか、インクルージョンの箇所に色溜まりがあるとか、その色溜まりが綺麗なのかと言うとそれほどでもないのに何故か気になって、、それはシンメトリーの悪いせいだろうと思って見ても逆にシンメトリーが良ければ魅力は感じないのかもしれないとかって思えるような・・・・

    そういうカラーダイヤ、

    きっと皆さんも逢えば嬉しく感じるに違いありません。

     

     ― 続く ―

     

     

     

     

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