Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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小鳥の巣
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    もう2週間ほど前になりましょうか、

    家内が何やら興奮気味に、『ちょっと、ちょっと、これ、見て〜』とウキ邸の木立の中で叫んでいる、、

    クエスチョンマークを飛び散らせながら馳せ参じまして家内の指差す方を見ますと、な、な、なんと、小さな鳥の巣、しかもですな、小さな卵が4つも!

    低木の中ほど、地面から1m20cmほどのところに、どこからか取って来た枯草を幾重にも組み合わせて巣を作っているのですよ。それがまた綺麗でね、まるで人の手によるほど巧妙なんですな。

    家内が言うには、何も知らずにその木の近くを通り過ぎようとしたら、いきなり小鳥が飛び去って、その飛び立ったところを見たら巣があったとのこと。親鳥がまた後で戻って来るに違いない・・・

    ・・・というところで、我々ふたりは急いでその場から立ち去りまして、家の中に入り、サッシ越しに様子を眺めることにいたしました。10分ほど観察して、何も変化なく、もうキリがなさそうなんで、それっきりにしたのですが、翌早朝、今度はウッキーが巣に近づいて、そーっと覗き込むようにいたしましたら、鼻先をかすめるように親鳥が逃げ出しましてね、思わず『ワーッ!』と叫んでしまいました〜アホやねぇ。

    家内からさんざんに叱られまして、『絶対に近づいたらアカン!』と強―いご達し。と言いつつも、家内も毎日すごく気になるようで、34メートルの距離をとっては首を伸ばしたりしゃがみこんだり〜

    ところで、この鳥は一体何なんやねん??

    ウッキーは、Grayのような薄いBrownのような、と見えましたから、『雀やろ』なんて言っておりましたが、卵が珍しい色、非常に色濃いBrownでね、これをネットで検索してみましたら、、またまた驚き!

    鶯(うぐいす)!!

     

    鶯が庭に巣を!

     

    順調なら今ごろちょうど雛になっていたのだと思われます・・・

    残念ながら、数日前、なんとなく変に思って“禁を破って”覗き込みますと、巣は空っぽ、、、卵そのものが全部消えてしまっておりました。

    厳しい自然の摂理としか言いようがありません。

    しかし、束の間ではありますが、Happyな気持ち、小鳥のような気分になったことも事実。

    小さな命を近くで見るというのは本当に嬉しく、また切ないものですね。

     

    オーストリアの詩人、リルケ(1875-1926)は、知人にあてた手紙の中で次のように語っているとか、、

    「・・・鳥でも虫でもいいが、彼らの卵というものは直接野外に生みつけられるので、彼らにとって自然とはさながら母胎・・・鳥や虫には、自然と生命との合体的な仕合せな状態がはじめから予定されている・・・彼らは一生涯、いわば母胎の中にいるのも同然なのです。」

     

    今も巣だけはそのまま残っております、

    見れば見るほど非情なまでに無防備。

    このような状態で卵が孵化するまで約2週間も何ごとも起こらず無事に過ごせるはずはない、単純にそのように感じましたし、また実際そのようになってしまいました。

    しかしそれでも、鳥にとっては母胎なのですね。自然という母胎でずっと過ごしている。鳥や虫には“外界”は存在いたしません。

     

    小学生の頃、生家が山に囲まれたところにありましたから、一人でよく山に入って時を過ごしておりました。78歳の時には祖父と一緒に行ったあたりまで、910歳と年を経るごとに自分なりの“未開の地”へと足を伸ばし、中学生になる直前には『家の近くの山はほとんど‘制覇’した』なんてね、ちょっとした冒険家の気分で。

    山と言っても800メートルにも届かぬ低いものばかり。とても登山とか冒険などと言えたものではなかったけど、“新たなエリア”に足を踏み入れる度に感じた何とも言えぬ“怖れ”、あるいは“畏敬”。

    歩いているそばからいきなり大きな山鳥が飛び立ってドキリとしたり、

    神域でもないのに、目に見えぬ特別な境界線の存在を感じて、『ここから先は行かん方がええのかな』とも思ったり。山に入ることは常に“外界”と隣り合わせであり、山が外界そのものであったり、常に見えない何かを意識している状態であったという記憶があります。

     

    現在のウッキーは、人嫌いと言うほどではないにしろ、人付き合いの良い方とは決して言えません。仕事の性質上、望む望まないに関係なく、いつの間にやらこんな風なオッサンになってしまった訳ですけども、こういう日々を送っておりますと、『無為』、『無為自然』を至上と観じ、小鳥のような日常を過ごすことが理想とも感じておりました。

    しかし、この鶯の巣のような厳しい現実を目の当たりにし、小学生の時に山で経験した不思議な感覚の数々を思い出しますと、“あらゆる生物が自然との幸福な調和の下に生きていた人類原初の状態”が全く空想であり、人間は常に外界に孤立しているという本能的な不安と精神的な恐怖を乗り越えるため、自然と語らい自然の声を聴き肌で感じ取る努力をしているのであると気づきます。

     

    姿なく存在しているものの気配を察し、それと言葉を交わすことによって感じるものの大切なこと、それはあなたが語らいかけるダイヤモンドの中にも確かに存在しているのではないでしょうか。

     

     

     

    | ukitama | - | 09:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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