Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
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海に消えた?ダイヤモンド
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    34日前に産経新聞の朝刊に載っておりました『水中考古学へのいざない ― 井上たかひこ』、

    お読みになった方もいらっしゃると思います。

    江戸時代初期の日本でこんなことがあったのかと、初めて知ってちょっと驚きました〜

     

    ― 16099月、スペインの貿易船「サン・フランシスコ号」(乗組員373人)が千葉県沖で沈没、数十人が溺死、300人余りが岸まで泳いで助かった。付近の住民たちは彼らに衣類と食物を惜しみなく与えて救済。事の次第の報告を受けた家康は、一行を丁重に駿府城に連れて来るように命じ、手厚くもてなした。家康は、側近の三浦按針(ウィリアム・アダムス)に命じて彼らのために洋式帆船を建造させ、一行は早くも翌年、浦賀を出港、無事にメキシコのアカプルコに到着の後、最終的にスペインに帰国したそうな〜・・・デメタシデメタシ〜 ―

     

    日本人の行動はいつの時でも立派でありますね、ホント感動的。

    そして、この出来事は、“大坂冬夏の陣”のほんの少し前というのに、家康のこの余裕の対応ね、まあホンマに憎たらしくなるほどですな。

     

    さて、日本人の美徳、美談はまた別の機会にいたしまして、

    このStoryの未決の部分、

    勘の良い方ならもうお分かりになっていることでありましょう〜

    そう、そうなんですな、

    当時のスペインは、衰退に向かう途上ながらまだ欧州の強国、

    そして、アジアとアメリカ大陸を結ぶ定期航路を持ち、太平洋におけるアジア交易を独占していたのですな。

    ですから、貿易船の積荷と言えば・・・・

    ダイヤモンドを始めとする宝石類、金の延べ板、麝香、香辛料、生糸など等、もうとにかく当時のお値打ち品オンパレード!

    サン・フランシスコ号の積荷の評価額は、今の円貨に換算して約200億円と言われているのですな、ワオッ!!

     

    そのほとんどがサン・フランシスコ号と運命をともにした〜

    となっているそうですが、、

    その“史実”、ホンマかいな?!

     

    サン・フランシスコ号は、マニラからアカプルコに向けて出港したものの、途中に5度も台風に遭遇して、メインマストを切り倒して漂流すること60日、やっとの思いで陸地を見つけ、近づいたのが現千葉県御宿町(おんじゅくまち)の田尻海岸。しかし、船体は岩礁に激突して大破したということです。

     

    いきなり嵐で沈没した訳ではない。60日間も漂流しておるわけでしてね、その間に、船長始め上級乗組員は当然“何がしらの準備”をしたと考えるのが普通でありましょう・・・食糧を節約することに始まって、積荷の点検と保守はもちろんですな。そして、、財宝をどうするか??!

     

    サン・フランシスコ号の積荷をもう一度振り返ってみましょう。

    船は最後にマニラを出航しております、ということは、インドでダイヤモンドをしこたま運び入れ、ビルマやタイでルビー等のカラーストーンを仕入れているに違いないですな。それらを、むざむざと海の藻屑としてしまうだろうか??

    そんなことは有り得ないと思います。

     

    メインマストを切り倒したということは、本国どころかメキシコまでさえも行き着ける訳がない。もう既に船も積荷も諦めていると言いますか、頭の中にあるのは自分たちが生き延びることだけ。まず何とか船を陸地の見えるところまで運ばないといけない。そしてそれが出来たら、あとは貴重な積荷の保全をどう図るか。香辛料や生糸などは海水に浸かってしまってはもう商品価値がなくなるけども、宝石貴金属類は海底に沈まなければ大丈夫。自分たちが上陸するにあたって、最悪の場合は岸に泳ぎ着くことになるけども、宝石貴金属類も沈まぬように工夫して梱包しておけば、運が良ければ自分たちが辿り着いた地点の近くに漂流してくるかもしれない、、、そのように考えるのが普通ですよね。それに、船長や上級乗組員が財宝を黙って見ていたとは思えまへんな。絶対に彼らは遭難する前に“山分け”している。確信いたします。

     

    20年前、御宿町の役場が中心になってサン・フランシスコ号の引き上げ計画が立案されたそうですな。その折、ひとりの学者が付近の海女さんたちとともに田尻海岸の海底に潜って調査したのですけども、

    「何も見つからず、具体的な成果はあがらなかった」

    とのこと。

     

    当たり前や!

     

    ウッキーは単純に考えます。

    あの家康が、単なる善意と異国への興味だけで遭難者一行を救済した上に帰国の手配まで完璧に行った、とは思えまへん、これにはきっと何かがある・・・

     

    時代は既に徳川のものとは言え、堅牢巨大な大坂城に豊臣勢が意気盛ん、家康としては天下獲りの最後の仕上げをしないといけないというのに、本当に目障りな存在。5年後に始まる『大坂の陣』を控えて準備に余念がない時。いえ、準備に忙しい折り、家康にとってまたのない朗報だったのではないかと思いますね。

     

    1614年の『大坂冬の陣』の両軍の装備を少し見てみたいと思います。

    徳川の兵力は約20万、大筒が100門以上に加え、英国製のカルバン砲が4門、セーカー砲1門、オランダ製の大砲が12門など等。

    これに対しての豊臣方は、兵力約9万で、主な火器は火縄銃だったとか。

     

    この圧倒的な装備の差、財力の差はどこから来たのか??

     

    言うまでもありませんな、サン・フランシスコ号の財宝によります。

    スペイン船遭難の一報を聞いた家康はさぞや小躍りしたことでありましょう〜

    該当エリアを治める大名に命じて、付近一帯を捜索せしめ、また異国の物と思われる物品を拾得や受取している者には何がしかの褒美を与えてそれらを収奪したに違いありませんな。『万が一、隠し持っていることが露見したならば・・・』等と御触れ書きを各所に立てたに相違なく、また遭難者の救済に関わった住民たち一人一人に面接して“事の有無”をしっかりと確認したことに相違ありません。

     

    そして、乗組員たちを駿府まで呼んで手厚くもてなしたのは、

    『ええもん持ってたら出した方がええでぇ〜。家に帰りたいやろ。帰れるんやで。』と硬軟織り交ぜながらの恫喝をするため。決して“余裕の対応”ではなかった。

     

    かくして、ダイヤモンド、カラーストーン、金の延べ板という当時の“国際通貨”とも言える物品を大量に保有することになった家康は、英蘭から最新の大型兵器、武器を買いつけ、準備万端整えて『大坂の陣』へと向かった訳です。

     

    いやはや、『大坂の陣』の勝敗を決したのがスペインの遭難船だったとは・・・

     

    もし、サン・フランシスコ号が和歌山の沖、潮岬あたりで沈んでいたとしたならば、、

    そしてその財宝が豊臣方の物となっていたならば、、、

    歴史にifは禁物ながら、またまた色んな想像をしてしまいますね。

     

    ダイヤモンドは過去においてしばしば、戦争を決めてしまう要因になってきた、、

    歴史学者の皆さんは絶対にそういうふうには言わないけども、

    ウッキーはそう強く信じております。

     

    ダイヤモンドと戦争、

    そんな観点からまた歴史を眺めるのも面白いことではないかと思っております。

     

     

     

     

     

     

     

     

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