Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
快勝!
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    欧米メディアが大絶賛

     

    衝撃の一撃

     

    完璧なサプライズ

     

    感動火花

     

    圧巻の出来

     

       (今朝のネットニュースの見出しより)

     

     

    や、や、やってくれました、侍たち!

    もう今朝は昨夜の大勝利のことばかり、

    興奮のあまり眠れなかった人も多かったのではと推測しております・・・

     

    誰や!

    10日ほど前にクソミソに言うてたんは!!

     

    “・・・日本国民の大多数は“侍Blue”に期待感皆無、出場する国々の中では異常なほどに一般的な盛り上がりを欠いている・・・“

    “・・『オッサンJapan』、『侍爺ャパン』なんて揶揄され・・・”

    “・・・個の力”なく、“組織”も機能せず、監督はチームを把握しているとは言い難い・・・・勝てる方がおかしい!“

     

    どこかにこんなこと書いてましたね。

     

    ・・・いやもうホンマに失礼いたしました〜昨夜からロシアの方に向かって何度も土下座して謝罪しております〜・・・どうかお許しを。

     

    ・・・・一転、絶賛の開始か?!

     

    それにしましても、

    開始3分の大迫の見事な反転シュート、

    それで決めとけよっていう話ではありますが、

    あれがキーパーに止められ、香川のシュートが“ハンド・ブロック”によってPK & Red Cardとなったことによる数的有利がなかったら、勝負の帰趨はもっと複雑なことになっていたに違いありませんね、何が幸いするか世の中ホント不思議の連続。

     

    決勝点は本田の正確なコーナーキックと、大迫のヘッド。大迫クンの攻守に渡る八面六臂の活躍が勲功No.1であることは間違いありませんけども、監督の的確な指示と交代選手を含めた全員の勝利と言えますね。

     

    勝ったからこそ言えるのかもしれない、、、絶対そうなんだけども、

    コロンビアは存外“大したことなかった観”がありますね。

    一昨日の夜、グループリーグで対戦する3か国のエース・ストライカーの特集をNHKでやっているのを見た人も多かったと思います。番組で紹介されたコロンビアのファルカオは凄かったね。コロンビアの若い娘たちから『間違いなくNo.1プレーヤー』と称賛され、『虎』の称号を貰っているのだとか。ウッキーは全く知らない選手だけど、彼のゴール決定率の高さを聞いて唖然といたしました・・・

    ・・・3割を超えている! 

    (通常は2割前後らしい)

    サッカーのゴールがプロ野球の一流打者の打率並み!!

    これって“野球に換算”したら、、『ホームラン率』が3割ということに匹敵するのではないのか、、ということに思い当たりまして、こんな難敵、とてもやないけど太刀打ちできないと、ゲームの始まる24時間前に既に達観モード〜

     

    ところがですな、ファルカオ君が見せた技は、“シュミレーション”としか言いようがない『奪ファウルアクション』だけ。酷かったのは、長谷部の背中をドンと押して自分が倒れ込んでファウル貰って、というシーン。そのFKがゴールのスミに決まって同点となって、いっとき嗚呼〜となりましたね。『なんや、コロンビアの虎は全く怖さがないなあ。猫やなあ。“関西の虎”と変わらん情けなさや』とのコメントがあちらこちらから聞こえてくる次第で〜

     

    後半途中から出てきたコロンビアの司令塔と言われるハメス君も(コロンビアにとっては)全く期待外れと言いますか、体調が悪いのかな、動きにキレがなかったですな。ちゃんと練習してんの?!という感じで。彼が入ったお蔭で目に見えて日本選手の動きが良くなりましたね。

     

    こうやって見てくると、コロンビアが11人でやっていても、日本は結構ええ勝負したんちゃうか〜とも思えてくる、、

     

    俄然、今後が楽しみーーー

    この凄まじき『掌返し』!

    またまた唖然!!

     

    次戦は?

    これまた番狂わせと言いますか、

    FIFAランクTop10に入っているのかいないのか微妙なところながら間違いなく強豪国の一つであるポーランドに勝ったセエガル。

     

    侍たち、勢いに乗って行って欲しいですね。

     

    昨夜の代表宿舎ではシェフの西さんが大粒の涙で選手たちの凱旋を迎えていたことでありましょう。

    今日も先日と同じお願いをすることといたしましょう〜

    西シェフをあと最低2度泣かせてやって!!

     

    ところで、これこそ世界中のメディアが大絶賛の風景、

    コロンビアとの一戦の後、いつもの通りにスタンドの日本人サポーターたちが大きなビニール袋を持ってゴミ拾いしたそうですな、『日本文化の一部』だと紹介した外国人記者もあったとか。

    そして、嬉しいことに、その風景に触発されたのか、セネガルサポーターもまたゲーム後に散らかっていたゴミを一カ所に集めてスタンドを綺麗にしたということです。

     

    小さなことから『Cool Japan』の拡がり、

    嬉しいことですね。

     

     

    さて、

    大阪北部地震、

    大きな余震や大雨による二次災害のないことを願うばかりです。

     

    亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

     

    こういうことを言ってはなんですが、

    ウッキーの住む南大阪は被害ほぼ皆無。

    元々、この界隈は大昔からの古い地層、しかも現在の大阪市内が海の底であった時からしっかりとした陸地、大阪市内から北とは全く地盤が異なっているようです。また、すぐ南、和歌山とのボーダーの少し南には、かの有名な『中央構造線』がありまして、これまたプレートが完全に違う、、ということで、大阪市以北、和歌山県以南で起こった地震にはほぼ大丈夫。今回も震度3ほどだったと思います、棚の物ひとつたりとも落ちたりしておりません。

    関東にお住いの方々を始めとして何人もの方からお見舞いのメールや電話を頂戴いたしました。お気遣い本当にありがとうございました。

     

    ・・・・・

     

    今月も早や20日、

    天気予報に雨マークが目立っておりますが、

    カラーダイヤはますますファンタスティク!

     

    当店の商品、

    あちらもこちらも、どうかご注目!!

     

     

     

     

     

    | ukitama | - | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    Singapore
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      初めて海外に行った時のことは誰しもしっかりと記憶に残っていることでありましょう。しかし、どういう訳かウッキーは、“初海外の画像”がほとんど脳の中に残ってなくてね、ただ単に『清潔な都市だったな』というイメージがあるだけ、、

      3日前くらいから『そう言えば、こんなような・・・』と回想の途につけたか、という感じで・・・

      ・・・そうなんです、ウッキー初の海外体験はSingapore

       

      でも当時はあんなに高層ビルが多かったはずもなく、ネット画像で見るところの現在のSingaporeは、もう完璧と言って良いほどの“未来都市空間”!

      ホント凄いですね。

       

      壮麗な未来都市に全く相応しくない結果のイベントでございましたな・・・

       

      世界中が注目の下、仰仰しく開催された米朝首脳会談、

      絵に描いたような“大山鳴動して鼠一匹”。

       

      あのような合意では北が核を早期に放棄するはずもなく、

      また、トランプが変に“お墨付き”を与えたことで、ひたすら“現状維持”しか頭にない中国韓国は、北への経済支援に支障がなくなり、北に対する経済制裁は全くの有名無実に!

      だいたいやねぇ、米朝首脳会談の結果を中国が『非常に有意義なものだった』と諸手を挙げて評価している、ということだけでも今回のイベントの‘胡散臭さ’が察せられるっちゅうもんですな。

       

      下手すりゃ日本は、アメリカに代わって北へ資金援助させられる、という懸念さえ出てきましたな、

      全くアホらしくってニュースなんぞ見ていられない!!

       

      そんなバカバカしいだけの米朝会談関連のニュース映像にも、確かに“見どころ”はございました〜・・北の坊っちゃんの服装と髪型。

      坊っちゃんのオヤジさんは作業着しか着なかったけど、坊っちゃんはちょっとした学生服ですな、襟が“違和感”やけどね。生地の良さが画面からも分かりますね〜オヤジ殿の作業着よりも随分と進化しているようです。学生服のズボンがまたお洒落ですな、相当に幅広で、日本の中学生や高校生たちが真似しないかと心配になるほど。それ以上に素敵なのが“黒電話”と評価の高いヘアスタイル、、昭和の半ばに我々世代が見て育った『じーこ、じ〜こ』とダイヤル回すアナログの電話機そのもの、、ホント懐かしくて涙が出そう〜此度は、坊っちゃん一世一代の晴れ舞台ということで一段と格調高くツヤ高くでございました・・・

       

      それにしましても、

      今回の北御一行様は中国機の送り迎え付きでSingapore御往復、

      高額ホテル代等の御滞在費用が払えないから全てSingapore政府持ち、

      こんな、ゼニもない航空機もない国が、なんで核兵器やねん! 

      そんな国の首領様を、アメリカ大統領ともあろう者が必要以上に“よいしょ”やからね、、トランプは、坊っちゃんのことを周囲に、『人柄が良く、極めて利口』と語ったのだとか。

      世の中の基準となるものが一体何なのか、もうサッパリ分からなくなってまいりましたよ。

      真面目に考えている人ほど頭が変になる。

       

      トランプというのは、一流のビジネスマンで、“帝国”を築いた男ですから、

      その言動には、ひょっとしたら深謀遠慮があるのかもしれない、、

      また、一般の商取引、ダイヤモンド買い付け現場のような短期決戦ではありませんから、何か結果が見えてくるのは来年になるのかもしれない、、

      果たしてトランプは老練な“Nego上手”なのか、

      それとも加齢による老視、ちゃんと見えているのか、

      色んなことを考えてしまいますね。

       

      さて、トランプがあまりに自身の“Nego上手”、Negotiation(交渉事)の達人ということを吹聴するものですから、“本当のNego上手”とはどういう人のことを言うのかちょっと考えておりました―

       

      思い出すのはもちろんダイヤモンドの“業界人”のこと。

      海外買い付けの現場においての“Nego始末記”みたいなものをこのページで何度か書いておりますけども、それは‘UKI 外国人’のことがメインであったと思います。

      今日は少し、ウッキーが見てきた日本人のことを〜

       

      大阪・南船場に事務所を持って輸入卸していた頃は、毎日毎日Nego nego NEGO neGO――って感じ。ホンマ大阪人は値段交渉がお好き。言い値を値切って安くならないと買ってくれないから、Best Priceに『Negoマージン』を上乗せして商談開始。他所の人から見たら『なんと効率の悪い、時間の無駄!』と感じるだけでありましょうね。仕方ないですな、これが‘大阪文化’。しかし、大阪人は、めったやたらに値切ったりはいたしません。『遠い、無理』と判断したら、その商品を誉めまくる、、『ええなあ、ホンマ綺麗や、よう見つけてきたな、大したもんや、流石や〜』って感じ。こちらが気分良くなったところで、別の物をしっかりと値切り出す。称賛した商品は全く買う気がない訳です。若い頃はこれが分からなくてね、誉めてもらった物と値切られた物、二つ一緒に買ってもらおうと思って思わず身を乗り出し、、、ってなことでまんまと“敵の術中に”。こんなことを何度も経験いたしましたよ。

      この手の大阪人こそが海外に行ってユダヤ人やインド人と対等に渡り合える。

       

      しかし、Nego上手は必ずはまる陥穽があるのですな。“はめられる”のではなくて、自分で“はまって行く”という〜

       

      ウッキーのかつての上司がまさにそれでございました。

      ほ〜んとNegoの達人でね、この上司と一緒に海外買い付けしたことが3度か4度ありますが、よくまあこんな下手くそな英語で自分の思い描いた金額で商品が買えるなあと、横にいて感心すること10度以上。そうなんですな、英語、というよりは英単語でしょうが、全く知らなかったら話にはならんけども、Nego上手に語学の達人である必要性は全くない。表情も豊かである必要はないし、また名優である必要も声優であることも全く関係ない。

      ならば一体!??

       

      Negoする相手の言うことをよく聞いてあげること。よく聞いているような表情や姿勢を見せること。そして、タイミングですね。早過ぎず遅過ぎず、という絶妙の“間”を持って敵の言い値に対してこちらの価格を言うことが肝要!

      商品を見せて値段を言ってもそれに反応がなければ取引は成立しませんね。反応の有る無しと反応の強弱を売り手は注視しております。反応が早過ぎたり強かったりすると『欲しいのやな』と悟られる、遅過ぎる反応や感度の悪い反応は『良し悪しや価格が分かってないのか』とバカにされて、売り手の‘熱心度’が薄れてしまう。

       

      そして次の局面、、

      いずれにしても、1度や2度の価格の遣り取りで商談がまとまることはございません、これは過去に何度もお話している通り。何度も何度も値段を言い合って折り合いますが、高過ぎない価格を言いつつ、また、欲しい商品が逃げて行かない程度のリーズナブルな価格を提示しつつ、『売ろうか、やめとこか』と売り手が思案し得る場面を作り出す・・・、ここまで来たらほぼ成功。あとはファイナルステージへと双方が徐々に折り合いながらゆっくり歩んでゆくだけです。

       

      Nego上手の上司は、明らかに自分に酔っておりました・・・ひとつの商品に固執して、じっくりと時間を掛けて楽しむ、、

      まあ要するに『NegoのためのNego』であってね、ダイヤモンドの買い付けのためのNegoではなかったですな。

       

      そしてそのNego上手は、単に個々の“戦闘に強い”というだけのこと。戦術や戦略と言ったものが皆無。

       

      結果として、

      海外市場の売り手は、『してやられた感』を強く持って、“多分、次はない”or 強い警戒感を抱く、、『この男とはあまり商売したくない』と思われる訳です。

       

      ひとつのNegoに時間が掛かり過ぎ、嫌がる売り手が増えてゆき、

      上司の買い付け金額はどんどん減少、、、、当然ながら当初はこんなことなかったはず。場に慣れて、買い付けに行く度にNegoが上手くなって、思い通りに買えることが快感になって、商品よりもNego自体が重要になって行ったという訳ですな。

       

      ウッキーの下の者がバイヤーになって買い付けに赴く頃になりますと、この上司の口癖は『高い、買えない』になり、いつのまにやらその買い付け金額はウッキーの何分の1かに縮小しておりました・・・・

       

      よく言われることですが、

      スポーツではないのですから、

      Negoの相手とは『Win Win』であるのが大事、

      あるいは、『11敗』が無難、

      『今回は譲っておこう、次回は頼む』という関係、

      敵とそういう関係を築ける者が“本当のNego上手”。

       

      トランプの姿を見ておりますと、かつての上司と重なります、単なる“Nego好き”。そして性質が悪いことに、成功体験にドップリと浸かっているから周囲の視線が分からない、NegoのためにNegoをやっている。

      北の坊っちゃんと時間掛けて楽しいNegoやっているうちにアッと言う間に任期終了、引退。あんたはそれでも良いだろう、しっかり楽しんで自画自賛なんだから。

      けれど、ますます混迷を増すだけの東アジア。

      強い懸念が漂いますね。

       

      ところで、

      全く蛇足ながら、

      先月からの“日大騒動”や、今回の“米朝会談”におけるネットの論評の中に気になる表現があったので、付記したいと思います、、林先生も言ってたかもしれんけど―

       

      『うがった見方』

       

      正しいのはどっち?

      A 物事の本質をとらえた見方

      B 疑ってかかるような見方

       

       

      正解は、、、

       

       

       

       

      Aです。

       

       

       

      時事問題のネットでの論評を見ておりますと、

      『・・・うがった見方かもしれないが、』と前置きして、自身の考えを述べているケースに何度も出会います。

      これは文脈から明らかに、物事の本質を自信を持って捉えているとは言い難いですね。間違った『うがった』使用法です。

       

      ・・・偉そうなことを言っておりますが、恐らく、ウッキーも過去のこのページのどこかで間違った『うがった』を使用しているはず。そしてウッキーは、“物事の本質”でも“疑った”でもなく、『うがった見方』は‘ちょっと斜に構えて他人とは一線を画した物の見方’であると信じていたのであります〜、、

      アホやねぇ

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      | ukitama | - | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      World Cup開幕直前
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        今日の午後は気温が27℃前後、厚い雲に覆われていますが時々パラっと来る程度、しかし、蒸し暑いですね、典型的な梅雨の気候。土曜あたりから同じような感じで続いております、、、そんな鬱陶しい折りにまた気分がどんよりとなることが・・・・・

        ・・・・一昨日またデジカメが壊れましてね。何代目? いや、何台め? 2年前にレンズが動かなくなって取り替え、その1年前にカメラ本体を替えていまして、その前がまたその2年ほど前。使い方は決して荒っぽくはないはずなのに、多分やはり“酷使”のせいなのでしょうね、ほとんど毎日ですから。それに恐らくホンのちょっとしたこと。メモリーカードを認識してくれないので、カードが悪いのだろうとコンビニに走りまして取り換えたのですが結果は同じ。修理に出せばそんなに複雑なことでもないし、修理費用も大したことないと思われます。けれども、出したら出したで明日って訳には行かない、1週間10日は掛かる、その間に画像が撮れない、商品を展示、出品できない、となりますから仕方なくまた買うしかない!

        車で10分ほどのカメラ屋にGo!!

         

        まあしかし、世の中進歩していると言われているけど、進歩しているのは科学技術だけで、完全に人間の方の都合と言いますか、使う人の“便、不便”を全く考えずに‘人間を置き去りにしている観’がありますな、、、壊れたカメラをそのまま持って行きまして、『同じやつを』と言ったのですけども、アっと言う間にバージョンアップですからね、23年前の物なんて“絶対”にない!

        若い人なら、こういうのが楽しみで楽しみで、、というところでありましょうが、オッサンにはもう苦痛でしかない。

        仕方なく、似た機種を買って、その場で色々と教えてもらって、、、と思いきや、ホンマよう分からん。どうせ試行錯誤の連続、『習うより慣れろ、やな!』と店員に言って元気良く店を出たのはよかったけれど、戻って使い始めて1時間もたたないうちに『アレレ??』となって急いで店にカンバック! 

        買った時の販売員がちょうどヒマにしている時で幸い、『ゴメン、ホンマ申し訳ない』を連発して再び教えを請うてやっと問題解決!

        今日に至っております〜

         

        全く笑い話にもならん恥ずかしいことなのですが、

        前のカメラの撮影モード、『これで撮ってた』と店員に言いましたら、

        『それは動画モードですよ』って!

         

        でもね、色々とモードを変えて撮影して一番綺麗な画像と言いますか、この2年ほど皆さんにご覧いただいてきた画像のほとんどはこの“動画モード”の撮影なのですよ。

        ひょっとしたら、これは皆さんが言うところの『裏ワザ』というもの?!

         

        はい、今日のヤフオクの画像も“動画モード”によります、

        色味の反射の微妙な動きが見える??

        綺麗でしょ。

         

         

        さあ、いよいよサッカーWorld Cup開幕!

        日本時間で3日後の深夜に開催国ロシア対サウジアラビアの一戦で幕を切って落とされますね。

         

        ドイツの連覇はあるのか、

        それとも、前回の自国開催で屈辱的な敗戦を経験した“王国ブラジル”の復活はあるのか、

        はたまた、華麗なサッカーが再び注目されているスペインの巻き返し? 

        あるいはフランス??

        メッシのアルゼンチンやクリロナのポルトガルの可能性は?!

        ベルギーも気になる!

         

        大手オンライン・ブックメーカーによる優勝予想オッズは、

        1, ブラジル、2, ドイツ、3, スペイン、4, フランス、

        5, アルゼンチン、6, ベルギー、7, イングランド、8, ポルトガル

        の順なのだとか。

        この8チームの実力はそんなに差がないのかと思っておりましたら、単純なものではないようですな、、オッズの倍率を見ますと、

        1位予想のブラジルから4位予想のフランスは“紙一重”ながら、5位以下の実力は“4強”にかなり水を開けられているとみられます。

        しかし、何が起こるか分からないのがWorld Cup

        ホント興味が尽きませんね〜

         

        アレレ、、

        何かをお忘れ〜、ってね、わざとらしい・・・

         

        熱心なサッカーファンの方々には誠に申し訳ないことながら、日本国民の大多数は“侍Blue”に期待感皆無、出場する国々の中では異常なほどに一般的な盛り上がりを欠いている、と言わざるをえないですね。

         

        ちょうど20年前の初出場の時ならば、どんなに弱かろうが、何とも表現しようのない高揚感がありましたが、もうそんな“幼児期”は終わりました、待たれる“成熟期”。

        成熟しているのは出場選手たちの年齢だけ!

        GKの川島や、日本の顔とも言える本田、長友なんてね、

        “何回目”??

        口の悪い人たちには『オッサンJapan』、『侍爺ャパン』なんて揶揄される始末で。

        日本が属するグループ・リーグの最強と目されるコロンビアなんかは、日本との戦いは全く眼中にないようで、日本以外の3チームが全て日本に勝って21敗で得失点差による決勝トーナメント進出決定になることを危惧しているとか・・・

        嗚呼〜

         

        これまでも強いと言われたことは一度もなかったけども、

        初出場の時でさえ、んなに弱くはなかったような気がしますよね。

         

        どうしてこんなことに?!?

         

        あの監督交代劇はどうだったのだろうと思わずにはいられませんね。けれど、終わったこと、言うてもしゃあない。

         

        そうですな、あの選手を選ばなかったのはおかしい、攻撃力不足など等、全て終わったこと、今さら言うても虚しいだけ。

         

        ならばどうしたら?

         

        ウッキーは、野球のことならあれこれ言えるけども、サッカーは本当に難しいと感じております。どうやったら点獲れるのか、どうやれば失点を防げるのか、自分なりの答すら見いだせておりません。これらの点についてはアメリカンフットボールやラグビーの方がまだ分かりやすいのではないのかなぁ。

         

        このあたりのところを明確に指摘できる解説者がいない!

        解説者がサッカーする訳ではないけれど、

        プロ野球のように“分かりやすい解説者”“理論派”と言われるサッカー解説者がテレビに登場するようになって初めて日本のサッカーは国際レベルの入り口に立ったと言えるのではないでしょうか。

        『う〜ん、ほう、チャンスですね〜』としか言わない木村某がNHKの解説やっているうちはFIFAランクの50位以内に入らんでしょう。

         

        さて、分からんままに、今回のW杯、ウッキーの大胆予想・・・

        優勝はスペイン、

        日本は、、、

        “個の力”なく、“組織”も機能せず、監督はチームを把握しているとは言い難い・・・・勝てる方がおかしい!

        神頼みしか残ってないようですな〜・・愕然!!

         

        ・・・ということで、World Cupの日本代表そのものに期待、言及することはやめておきます・・・ガックリ、、

        でも、せっかくのW杯、他に何か話題は? 

        と探していたら、“裏方”さんの良いお話がありました。

         

        日本代表の大事な‘胃袋’を支えるシェフ・西さん、

        代表の遠征同行は100回を超え、今回は4度目のW杯なんだそうですね。

        西さんは、福島にあるJビレッジ(サッカーのナショナル・トレセン)の総料理長であり、震災の半年後に福島原発近くに店を開いて、『戦場』とも言えるエリアで原発作業員たちに食と楽しみを提供したという凄い人。

        そういう‘男気’ある一本筋の通った人ですから、“侍”たちからの信頼度は抜群。西シェフあっての侍ボディー、、

        こら、老いも若きも侍ども、もっと頑張らんかい!

         

        西シェフは、W杯の試合前夜は必ず“うな丼”を出すのだとか、、なんでや??

        『カツ丼』ちゃうの?!

        と突っ込みを入れたくなりますが、まあいいでしょう〜

         

        代表チームが負けると『料理が悪かった』と落ち込み、

        勝った日に選手から『西さんのお蔭』と言われ、涙が流れる・・・・

        侍諸君、

        どうか西さんを最低2回は泣かせてやってくれ!!

         

        ・・・西さんほどレベルの高いことは全くやってないけど、

        ウッキーも、皆さんからの“ひとこと”(もちろんメールのひとことですが)に大いに感激することがあります。

        金額の多寡に関係なく、こう言われるともうホント涙がこぼれそうに・・・

        『大事にします。』

         

         

         

         

        | ukitama | - | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        レインコート
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          北海道、東北、沖縄を除いて雨のようですね。

          久しぶりの雨も良い、なんて言っておりますと、そのうちにウンザリするほどの雨になります。

          しかし、梅雨どきに雨が少ないと真夏になって水不足の心配もしないといけないし、ホント雨との付き合いは難しい!

           

          ウッキーは三重県の山間部の日本でも有数の多雨エリアで生まれ育っておりますから、雨の思い出は豊富、、、

          雨の思い出に『豊富』という言葉を使うのが適当なことなのか、ちょっと考えてしまいますけども、まあ色々ありますよ、ホ〜ント。

          一番強烈なのが、小学校1年生の時のズブ濡れ・・・

          当時の田舎道は舗装されてないところが多くてね、雨が降りますと、穴ぼこだらけの道路には水溜りが一杯で、大雨の後なんかには数メートルにもわたって大きな水溜り〜なんてことも珍しくなかったですな。そんな或る雨の午後、、

          ディック・ミネの歌に『或る雨の午後』ってありましたな、古〜〜〜〜、

          全くそんな良いもんじゃない!

          重いランドセル背負った幼いウッキー、下校途中で一人とぼとぼ歩いて、大きな水溜りのそばに来た時、背後から大型ダンプが!

          もう一瞬のことで何が何やら、

          悪路にも関わらず全く速度を落とさず突っ込んで来たダンプが水溜りの泥水をほぼ全部跳ね飛ばし、幼いウッキーはそれを全身に浴びたのでございます、嗚呼―

          全くね、なんというクソな運転手!

           

          そのあと数分間の記憶が飛んでおりますが、メソメソと泣きながら歩いていたら同級生が後ろから追いついてきまして、『どうしたん?』と優しく声を掛けてくれました、、あいつは今頃どうしてるだろう〜

           

          昔はそういうアホなことが起こりがちでしたから、田舎ほど、大人の女性はレインコートが必需品でね、現代では見られないようなお洒落なレインコートの記憶があります〜・・“夜目、傘の下、レインコート”なんてね、三重県では言われておりましたよ、ホンマか?!

          いやまあこれはウッキーの作でありますが、

          お洒落なレインコート着た若い女性が魅力的に見えたことは事実。

          雨がシトシト降っている時に、傘さしてレインコート着て軽い足取りで水溜り避けながら歩いているから、どんなベッピンさんかと覗き込んだら良く知っている姉さんで、『な〜んや、、』とガッカリ!?したことも。

          今日びは、そんなこと感じませんよね。

           

          雨の日、梅雨どきの記憶って、何か鮮烈な色のものが一つあって、それ以外はGrayなんですよね。薄暗い雨の中の紫陽花であったり、青梅の緑であったり。

          また、“それ”を見ていないにも関わらず感じる色も非常に‘鮮’なことも・・・・

          ・・・梅雨どきになるとIntenseなカラーとともに真っ先に思い出すのは、自分が経験したことではなくて、叔母から聞いた話、というのは何か妙なことですが、“現物”を見ていないが故にいっそう想像をかきたてられるのかもしれません、、、

          いえ、そんな大そうな話ではありません。

          7年前に鬼籍入りしたオヤジが二十歳過ぎの頃、大戦が終結して間もない頃、オヤジが働き始めた頃のこと。

          平和な世の中になったとは言うものの、物資が全く不足、いえ、無いということの方が多かった時代ですね、いくら当時のことを聞いても我々から下の世代ではあまりピンとは来ないですね、ちょっと可哀想と思う程度でありましょうか、、そんな物のない折りに、、オヤジより十歳ほど年下の妹であった叔母は、オヤジから梅雨どきに“黄色のレインシューズ”を買ってもらったそうな・・・・

           

          今の若い人たちは昔のレインシューズを想像できないでしょうね、片方に両足が入りそうなブカブカで、デザインも何もあったものではない“ズン胴”。

           

          それでも、その時の叔母の弾けるように喜ぶさまがすぐ前で展開されているシーンのようにVividに目に浮かびます。黄色と言っても当時のこと、冴えた高彩度Yellowではなくて、ちょっと“くすんだ”ようなクリーム色がかった浅い黄色だったに違いありません。しかし、何度もその話を思い出しているうちに、ウッキーの頭の中では極めて“ピュア度”の高いFancy Intense Yellowでしか有り得ない! なんてね、思えてくるのですよ。

           

          しかし、ひとしきり喜んだあと、叔母も11歳か12歳でしょうし、ある程度の常識は持っている、、ちょっと心配になってきて、オヤジに『兄さん、ホンマにええの?』みたいなことを言ったらしい。

          オヤジは、それに対して笑って『靴屋が職場に売りに来た。安かったから』と照れて言ったそうな。

          オヤジがどのようにして叔母のレインシューズを手に入れたのか、それはオヤジだけしか知らない秘密。オヤジの性格からして不正なことは絶対にしていないことだけは確かだけど、少ない給料で物資のない時のこと。手に入れるのは簡単ではなかったでありましょうね。しかし、オヤジは可愛い妹のために買ってきた・・・きっとそこには、やっと平和な時代がやってきて小さな幸せを感じたいというオヤジの気持ちがあったことだろうと容易に想像できます。

          “妹の黄色のレインシューズは幸福のしるし”みたいなね。

           

          そのレインシューズ、叔母は雨の日にしっかりと履いたのかな?

          勿体無くて履けなかった〜なんてことが最初の頃にあったに違いないですね、

          これも容易に想像できます、、

          今度、叔母に会ったら聞いてみよう〜

           

          6月は、5月よりもカラーが“鮮”であるような気がします。

          それはきっと雨のせい・・・

          6月の雨は目に優しい!?

           

           

           

           

          | ukitama | - | 17:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          Fancy Yellow Green
          0

            今日、65日の誕生色は『ペールフレッシュグリーン(Pale Fresh Green)、

            “淡く冴えた黄緑”ということで、

            ちょうどこれなのかなと思いますね。

             

             

            Fancy Yellow Green

             

            65日生まれの人の“人格を解くキーワード”は、

            『規則正しい生活』『正確な仕事』『逆境への強さ』

            なんだとか・・・

            どうですか、当たってますか?

             

            久しぶりに『誕生色事典』を眺めておりましたら、カラーダイヤに存在する色が多いなということに気が付きました。もちろん、冴えた赤や、強烈なまでのピュアGreen、忘れな草の花の色のようなBlue等は不可能という気がしますけども、それ以外の‘ちょっと微妙な色’のほとんどがカラーダイヤの世界にあると感じます。

             

            6月の誕生色だけで見ておりましても、

            以下のようなカラーが直ぐにカラーダイヤの色味と結びつきます。

             

            66日 ― Melon Yellow にぶい緑味の黄色(Fancy Light Greenish Yellow)

            68日 ― Olive Drab くすんだオリーブ色(Fancy Gray Yellowish Green)

            610日 ― Lemonイエロー (Fancy Intense Yellow

            611日 ― 黄水仙 (Fancy Orangy Yellow

            614日 ― Ivory アイボリー(Light Orangy Yellow)

            615日 ― Light Apricot Fancy Light Orangy Pink

            616日 ― 黄土色(Fancy Light Yellow Brown

            621日 ― 金茶 (Fancy Deep Yellow Brown

            623日 ― 海老茶 (Fancy Dark Reddish Brown

            624日 ― Light Orchid Pink Fancy Light Purplish Pink

             

            色濃い赤みや可憐なピンク系は、いつでも誰にでも魅力的。

            けれども、Yellow系やBrown系はそうでもないことが多いですね。

            Yellow系、Brown系は綺麗ではないの??

             

            そんなことは絶対ないと強く感じます。

            テリの良いYellow & Brownは、非常にコストパフォーマンスが良いと感じますし、最近のYellow & Brownは以前の物とは全く原石の質が違う、かつての物を遥かに圧倒する美しさということも強く感じております。

             

            366の誕生色を圧倒する色数があるカラーダイヤ、

            その全てを皆さんと共有したいと思っております。

            それにはやはりYellow系、Brown系を皆さんに好きになってもらわないことには始まらない・・・・

             

            情緒的、情熱的にPinkや赤系を語ることは誰にでも出来るでありましょう。しかし、同じように熱を籠めてYellowBrownを語れるのかと。結局、そういうことなのかもしれませんね。

             

            YellowBrownについて述べる時、Pink系に比べると、客観的な姿勢が大きいのではないかと思います。たとえば、淡いYellowを紹介する時、見目の良さや優れた品格に言及しているかと言うと、あまりそんなことはないでありましょう。それができればもっと違ったアプローチがあるに違いないですね。

             

            また、逆に受ける皆さんの側も、“受ける準備”があれば、かなり違ったイメージを持っていただけるのではないかと思っております。

             

            皆さんの中には誕生色がYellow系やBrown系である人も多いはず。

            ですからどうか、

            Yellow系、Brown系を端から無視したり軽視したりする姿勢だけは持たないように、偏見やら先入観の類は是非ともお捨ていただきますと幸いですし、

            また、それらの誕生色をお持ちの方だけでも積極的な美しいYellow & Brownを味わっていただきたいですね。

             

             

             

            | ukitama | - | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            紅娘
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              六月六日は二十四節気『芒種』、

              稲などの穀物の“種まき時”という意味なんですね。

              現代では一歩進んで、種まきと言うよりも田植えのシーズン、

              そして、稲田の横にある麦畑は収穫の“秋(とき)”。

              『芒種』の15日後は、『夏至』ですね。

               

               

              「名文」の続きです。

               

              節子・クロソフスカ・ド・ローラ 『見る美 聞く美 思う美』より

               

              ―西洋には、説明する美しさがあり、日本語には説明しないところに美しさがあります。

              国土が生んだ感受性なのです。日本語では漢字それぞれ自体が本来持っている意味に、日本古来の和語を組み合わせて趣意を加える妙味があります。

              細石(さざれいし)、紅娘(てんとうむし)、雪洞(ぼんぼり)など、漢字の厳粛な作りと柔和な日本語音の組み合わせは、説明しない部分を形象化させ、補う文章を生み出しているのです―

               

              さざれいし、てんとうむし、ぼんぼり、

              それぞれの漢字を書け、

              と言われて全て書ける人は少ないのではないでしょうか。

              ウッキーは悲しいことに“0点”です。

              細石と雪洞は読めるけどね、紅の娘と書いて‘てんとうむし’は知らなかったなぁ〜こんなお洒落な漢字の名前が付いていたとはね。

              それぞれを、“さいせき”、“こうじょう”、“せつどう”と音読みしてしまうと全く美しくないというか、風情がありませんな。

              漱石の『虞美人草』は、漢字が多いけども漢語は少ないですな。川端康成の『古都』は、漢字も熟語も少ないです。このあたりがやはり“美文”の条件なんですね。

               

              ところで、Fancy Vivid PinkFancy Intense Pinkの美しさを“鮮烈(せんれつ)”とか“豊麗(ほうれい)”と表現するのと、“あでやか”や“きらびやか”と言うのと、どちらが‘格上’に聞こえますか?

              まあこれは、色味の感じ方と同じで人それぞれなんでありましょうね。

              しかし、漢語的表現の方がよりストレートに感じますね、“鮮烈”と言われた瞬間からsharpな勢いある強くインパクトのある発色が想像されますし、“豊麗”という漢字からは誠に艶のある色香が漂ってきます。

              一方、“あでやか”“きらびやか”から受ける印象は、よりマイルドでありながら、奥深く情緒ある美しさであり、徐々にその魅力が強くなり色艶(いろつや)が増してゆく感じ。まさに‘説明しない美しさ’が沁み通ってくる感じですよね。

              実際、ハイレベルのPinkダイヤを見ておりますと、

              漢語的魅力の物と、和語的美の物、ふた通りあるという気がいたします。

              それらふた通りの魅力を、それぞれしっかりと『識別』して魅力をお伝えできているのか?

              この点が為されるならば、もっと皆さんにカラーダイヤの魅力を正確にご理解いただけるのだろうと思っております。

               

               

              「名文」シリーズ、最後はこれ。

               

              浅田次郎 『絶対幸福主義』より

               

              ―幸福論を語るときに、お金を否定する人たちがいます。幸福はお金なんかじゃない。お金で幸せは買えないと。私はそれは違うと思う。幸福は金で買えると明言しています。ただし、ブランド品が買えるとか、海外旅行に行けるとか、そういうことではない。金があれば、お米が買えるということです。

              私は売れない時代に、どん底の貧乏も経験している。米が買えないことが、どれほど不幸なことかも知っています。だからこそ言えることなのです。

              お金なんかなくても幸せになれると言う人たちは、本当の貧乏を経験したことのない人です。もちろん貧乏など経験しないに越したことはないでしょうが。

              貧乏は人の心を歪めます。正しいものの考え方ができなくなる。これだけは事実です。そしてそれは、決して幸福な姿ではありません。何も不必要に金に執着することはない。ただ、心を歪めないだけのお金は必要なのです。大きな意味で貧乏は、やはり罪なことだと私は思っています。

              人間らしい生活ができるだけのお金があって、心と時間にも余裕がある。そこで初めて、人は幸福の確認作業ができるです―

               

              『カラーダイヤのない生活は人の心を歪めます。カラーダイヤなしでは正しいものの考え方ができなくなる。これだけは事実です。』

              なんてね、言うてみたい!

               

              このページをお読みくださっている極めてヒマ人の皆さんがお金に困っているはずはありません。これだけはハッキリとしております。

              読者の皆さんが幸せかどうか、そんなことウッキーは知ったことではありません。しかし、かなり高い確率で幸せなんだろうと確信しております、何故か―

              カラーダイヤっていうのは、幸せな人しか綺麗に見えないのですよ。

              カラーダイヤのある生活、

              これは究極の人間らしい生活だと思っております。

               

              だったら・・・・

               

              このようなPinkハートを持てば、幸せも最高潮!

               

               

               

               

               

               

              | ukitama | - | 16:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              水無月
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                今日から6月、

                今日の大阪は予想に反して午後から非常に爽やかな天候で、部屋の中から見ているとまだ5月なかばという感じなんですけども、

                さきほど軽くジョギングに出掛けましたら、日射しの強さに驚きました。帽子を被っているにも関わらず頭が熱い!

                いやはや、もう既にしっかり夏ですね。

                 

                先日の続きです。

                名文への誘い、その2〜・・

                 

                 

                林望 『リンボウ先生、イギリスへ帰る』より

                 

                ―夏の休暇に、私はよく山中の茅屋(ぼうおく)に身を隠して、ひそかに書見や瞑想(いやあるいは妄想?)に時を消すことがある。周囲には、だれもいない。そういうときは家族からも離れて、ほとんど一人で茫然と暮らすのが常だからである。

                朝起きて、飯を喰って、少しく散策なぞ試みて、それから気が向けば机に向かい、またはコンピューターのキーボードを打ち、とするうちに、時は速やかに流れてたちまち昼食の時間になる。しょうがないから、また昼食を拵えて、喰って、日の高いうちは、寝ころんでもっぱら本を読む。気が付くと、あっという間に夕方の光が、庭の面に満ちている。ああ、また一日が無為に暮れていくか・・・・・、私は立って厨房に赴き、夕食の支度に励むのだ。かくて、一人寂しい夕餉の膳に向い、窓の外を見いだせば、はや日は西の山に落ちて、黄昏の蒼白な空気が林間に降りているのである。

                こんな生活は、何の屈託もなく、この世の天国のように思えるかも知れないけれど、いざ実際にやってみると、なかなか、それほど単純なことではない。

                まずは、「さびしさ」という怪物と闘わなくてはならぬ。この怪物は、昔から多くの世捨て人などを苦しめてきた“しれ者”でそこに幾多の文学が生まれたと言ってもよい。

                そういう一人居ることのさびしさを、癒してくれるなによりのことは、私の場合、「買物」なのだった。

                なんでもない町のスーパーへ、買物に行く。そうして、大根や人参、鰺の開きだの、豚のロース肉だのと、日常の買物をする。ついでに本屋によって、買いもしない雑誌や単行本を冷やかし、たぶん読まないだろうなぁと思いながら、妙に難しい哲学の本なんかを買い込んでみたりする。そうして、実際には、やっぱり読まずに棚の肥やしになるのである。

                文房具屋、道具屋、骨董屋、佃煮屋、家具屋、洋服屋・・・・・、私の買物好きの魂は、神出鬼没そのとどまるところを知らない。といっても、金には限りがあることゆえ、いちいち買物を重ねるわけではない。その多くは冷やかしなのだが、それでも、ふいと思いついて、風流な飯茶碗を買ってみたりすると、それで心がふんわりとした嬉しさにつつまれる。一日のささやかな幸福、であるかもしれぬ―

                 

                “茅屋(ぼうおく)”というのは、『かやぶき屋根の家』のこと。最近、外国人観光客で賑わっている京都府北部の美山町などは、この『かやぶき屋根の家』、昔ながらの百姓屋がたくさん残っていることが人気の大きな要因ですね。茅屋には“あばらや”という意味もありますが、お洒落なリンボウ先生のこと、「身を隠して」いるのはきっと風情ある“かやぶきの家”に違いないと思いますね。

                しかし、山中のそんな古民家に電気が来ているのか?

                それは問題ないです、以前に三重の旧友からこんな話を聞いたことがあります・・・

                彼は祖父さんの代から続く写真館の経営者なんですが、休日にはちょっとした芸術写真を撮るために“秘境”めいたところに出掛けることあるそうで、そうしたある日、三重の山中で時代物のドラマに出て来るような修験者風の男に出会ったのだそうですな。最初は非常に驚いたものの、異形ながら常識ある男であるし、少し会話しただけで我々が知っている普通の生活とはかけ離れた経験談、いやもうこれは滅茶オモロイとなって、それから何度も会う友人になったのだとか、、、その男とはどのようにアポイントを取っているのかは聞かなかったけども、まあとにかく、ウッキーの旧友がその修験者風に、いくつもの“秘境中の秘境”に案内してもらっているということ。旧友曰く『俺が案内してもらったエリアで写真を撮っている間、そいつは何時間でも岩の上で坐禅してピクリとも動かんのや』。その修験者氏が一体どうやって食べているのかは旧友に謎なのだそうですけども、いつのことか、修験者氏が三重の山中に、それこそ“あばらや”を建てたとか。もちろん、電気、ガス、水道、電話、なんていうものは引いてはおりません、、、しかし、ある日いきなり、中部電力の作業員がやってきて、電線を引っ張って来てその“あばらや”に取り付けた!

                もちろん、お金を払わないと電気は来ません。しかし、全ての国民が文化的な生活の権利を有する、という憲法の精神に基づいて、とにかく家があったらそこに電線を引かねばならないという義務が電力会社にはあるのだとか・・・

                修験者氏にとっては全く大きなお世話と言ったところでありましょうねぇ〜

                 

                山中の隠遁生活となりますと、やろうと思えば自給自足も可能。猪や鹿を撃って食糧に出来たら最高ですけども、まあそこまでやらなくても、渓流で岩魚(いわな)を釣って刺身で食べたり囲炉裏端で焼いたり〜というのもいいですな、想像しただけでお腹が鳴ってきます。ところがですな、この岩魚という魚は偏在が激しくて、同じエリアでもたくさん生息する渓流と全くいない渓流があるのだとか。そして、面白いことに、この偏在をなくすべく努力している者がいる・・・

                 

                人ではなくて、、ヤマセミ!

                 

                ヤマセミは山中に生息する鳥で、翡翠(かわせみ)の仲間。写真を見ますと、漫画チックでユーモラスと言いますか、“イケイケ兄ちゃん”のような風貌です。このヤマセミが渓流でどんな努力をしているのかと言いますと、、

                小さな岩魚を獲っては岩魚のいない渓流に運んで落している!

                何でや?

                自らの餌場を増やすという作業をやっているのだそうです、凄いね・・・

                 

                ・・・・と、キリがなく色んなことが思い浮かび、推測、想像してしまっております、

                リンボウ先生のような生活に対する強い憧れ、そして想像の範囲内という“共感”、

                という意味で名文。

                 

                そして、最後の数行、『文房具屋、道具屋・・・』以下の文を少し“編集”したくなりますね〜・・・

                 

                「ピンクダイヤ、ブルーダイヤ、DカラーのVVS1、ルビーのペンダント、プラチナのネックレス、ホワイトゴールドのバングル・・・・・私のジュエリー好きはとどまるところを知らない。といっても、金には限りがあることゆえ、ジュエリーの全てのアイテムを揃えられるわけではない。その多くは画像を楽しむだけなのだが、それでも、ふいと思いついて、趣きあるカラーダイヤを買ってみたりすると、それで心がふんわりとした嬉しさにつつまれる。今日の買物、ハート型の小粒、Fancy Intense Pinkの艶やかさに見惚れる一日のささやかな幸福である。」

                 

                 ― 続く ―

                 

                 

                 

                 

                | ukitama | - | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                名文への誘い
                0

                  「名文」が人の話題にならない昨今です。

                  「名文」「美文」が明らかに存在しているのに、それが友人や知人との話題にならない、会話の話題とするに相応しくないとも思われるような、ちょっと悲しい現実がある・・・

                   

                  しかし、「名文」が尊ばれなくなった訳ではないだろうし、喜ばれないということは絶対にない。ただ、何が「名文」「美文」なのか、自信を持って発信できる人が激減したということではないのか、、

                  そのように考えまして、若干、見高とも感じられますが、自称「名文家」わたくしUKIが、「名文」のいくつかを皆さまにご紹介いたしましょう〜

                   

                  我々は若い頃から割と読書してきた世代だと思っております。ウッキーが高校生になった時、同級生が持っている文庫本がやたら気になったものでした。たいていは書店のカバー付き、タイトルと著者名が見えませんから、『何を?』と聞くのですけども、素直に言ってくれる者は稀で、ほとんどが『何でもええやろ』みたいな返事。仕方ないから、話のネタに『五木寛之、読んだ?』とかって聞きますと、知らないタイトル名が5つも6つも出てきて、慌てて退散、ということも。

                  同級生がどんな本を読んでいるのか気になるのに、真似もしたくない。“独自の路線”でもないけども、『こんな本、知らんやろ〜』とかって友人に自慢したいという意識も旺盛で、そんな思いにピッタリとハマったのが三島由紀夫の遺作『豊饒の海』全4巻。新刊の分厚くて大きくて重い本。オヤジの書棚から盗むように取ってきて読み始め、、・・・・・しかしまあ、何とも難解! 

                  まず、旧仮名遣いの上に漢字表記もまた旧タイプ、

                  “学”が“學”くらいなら読めるけども、“恋”が“戀”とかってなっている。とても芸術性に触れるようなレベルの話ではありません・・・♂♀エッチのシーンが出てきて興奮しながらも、‘詳細’がイマイチ良く把握できないしね。それでも、ストーリーの動きが大きく多かった第1巻と第2巻は何とか読み終えましたが、動きの少ない第3巻の『暁の寺』は、もうサッパリ、とてもやないけどウッキーの頭の程度では太刀打ちできず、『豊饒の海』を“読み終えた”とは言えるようなものではございませんでしたね。

                  しかし、三島由紀夫というような日本を代表する『名美文作家』に挑んだ後には、ウッキーと言えども、なにがしかのものは残るという訳で〜・・

                   

                  当時の記憶を遡りますと、そのころの“いっぱしの”作家は皆それなりに「名文」と言われる文章を書いていたような気がいたします。

                   

                  平成になってからは、昭和の時代ほど本が売れないようで、馴染みの書店が次々と閉店してゆくという寂しさ。

                  にも関わらず書籍は実に多種多様、

                  小説の分野には、訳の分からん文章や展開、理解に苦しむもの、稚拙なStoryなど等、なんでもアリの情況で、「名文」を意識せずに読書することが当たり前なのかもしれませんね。

                   

                  であるが故にまたいっそう、本当の「名文」も価値が上がるのではないかとも思っております。

                   

                   

                  幸田文 『季節のかたみ』より

                   

                  ―長く逢えずにいたひとを訪ねたとき、相手が昔よりも打上がった人柄になっているのは、なんともいえずうれしいものです。

                  年賀と暑中見舞いがほそいたよりで、それもこちらからはご無沙汰がち、あとは又聞きのうわさに、まずは健康にも日常にも障りなく、平安にいると知るくらいです。特別に親しいつきあいというのではないけれど、娘のころからなので、年数かけて知っており、物の考え方、身辺諸事の処理の手なみ、才能、容色、それに雰囲気など、趣きあるひとでした。

                  私はほかの人にこのひとが悪くいわれる点で、いつもおもしろ味を感じていました。特別に親しいというのでもなく、しかもふだんはごぶさたしているにも拘らず、風のたよりに平安だときけば、いっときその笑顔を思いうかべたりするのは、どこか虫が好くせいでしょうか―

                   

                  ―幸田文の文章はいつもいくつかの小さな衝撃を感じます。この短い文章の中にも3箇所もの軽いインパクト・・・・

                  ひとつは『打ち上がった』という表現、

                  ふたつめは、『このひとが悪くいわれる点で、いつもおもしろ味を感じ』と言うこと、

                  みっつめは、『虫が好く』なんて言うところ。

                   

                  『打上がった』なんて聞きますと、花火かなと思いますね。人に対しての用例は初めてのような。ところが、ネットの辞書で「打ち上がる」を調べてみますと、江戸時代の小説、『浮世草子』等で確かに人に対して使われております。“地位が上がった”というような意味でありますね。『季節のかたみ』の場合は恐らく、『高尚』ということ。もともと知性も品格も備わっていた人であったのが、そのレベルがまたアップしたと感じたのでありましょう。

                   

                  好意を持って接している人が巷で悪く言われて『おもしろ味』を感じる、、

                  どんなケースなんだろうと、かなり考え込んでしまいます。友人や知人が誰かから悪口を言われたらやはりちょっと嫌な気持ちになるのが普通ではないでしょうか、言われた友人知人に対しても、悪口を言った誰かに対しても。

                  ところが、『おもしろ味』・・・・・

                  これは『虫が好く』と連動しているようですね。

                   

                  『虫が好く』という表現は正しい用法でしょうか?

                  “虫”は『好かない』のが通常の表現ですね。

                  そして、虫→短所、と考えるのが普通だと思います。

                  欠点さえも好ましく思える。

                   

                  幸田文の言う“長く逢えずにいたひと”に凄く興味が湧きますね。推測するに、そこそこの淑玲さと人間臭さを同時に感じさせる“さばけた”人。そう、確かに、いそうでいない、時おり会いたくなる存在です。

                   

                  それにしても、この文章の全体から醸し出される芳香と雰囲気、

                  “さりげなくハイタッチ”で、肌ざわりの良いもの。

                  何度も読み返したくなります。

                   

                  さて、最近、入荷してくるカラーダイヤの色味と雰囲気を見ておりますと、

                  高彩度の美しい艶の物がいくつか。

                  また、実にSharpでキレがあって、誠に“好ましい”物もいくつか。

                   

                  高彩度の豊艶なPinkは、やはり欠点がないように見えますね、美しい光沢が全てをコントロールしている観があります。

                   

                  Sharpでキレのある好ましさのBlueやらGreenは、上質感がシンプルに伝わってきて、身体のどこそこと言わずピーンと響いてくる感じが魅力で、これも短所はほぼ感じません。

                   

                  しかし、“虫が好く”ほどの『おもしろ味』があるカラーダイヤとの出会いがありません。

                   

                  そこそこの彩度と色香を備えながら、

                  ちょっとキッチリとしていない感じ、

                  若干ながらテリが甘いとか、色むらがあるように感じるとか、インクルージョンの箇所に色溜まりがあるとか、その色溜まりが綺麗なのかと言うとそれほどでもないのに何故か気になって、、それはシンメトリーの悪いせいだろうと思って見ても逆にシンメトリーが良ければ魅力は感じないのかもしれないとかって思えるような・・・・

                  そういうカラーダイヤ、

                  きっと皆さんも逢えば嬉しく感じるに違いありません。

                   

                   ― 続く ―

                   

                   

                   

                   

                  | ukitama | - | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  アメフト・・・
                  0

                    発生から3週間が過ぎたというのに、いまだ沈静化しないどころかますます燃え広がっている観のある“日大アメフト重大反則事件”。

                     

                    ウッキーは、被害者側の関西学院の卒業生の一人であります故、事件発生当時から大きな関心を持ってその‘なりゆき’を観察しております。

                     

                    “主役”のほぼ全ての者がそれぞれの会見を済まして、現在、マスコミは、日大アメフト部の事件当時の内田監督と井上コーチから、重大な反則を犯した宮川君に、《具体的な言葉による指示》があったかどうかに注目して、色んな方向から検討したり、専門家を集めてコメントさせたりしております。

                     

                    ウッキーは、そのような“言った、言わない”は全く重要ではないし、問題の核心ではないと思っております。

                     

                    まともな日本人のほとんどが、日大の監督とコーチに対して‘言うに言われぬ不快感’を持って、事件の真相を追及するマスコミを注視しているのは何故か・・・・・

                     

                    この1点に他ならないと考えます ―

                     

                    事件は『健全な一人の若者をマインドコントロールして、“ヒットマン”や“テロリスト”に仕立て上げる暴力組織や破壊的カルト集団のやり方そのもの』であるから。

                     

                    先週に日本記者クラブで行われた宮川君の謝罪会見をウッキーはLIVEでしっかりと見ました。

                    彼が読み上げた陳述書の要点は、ほぼ事前の予想通りではありましたが、

                    “事件が発生”する直前まで、監督やコーチから受け続けるメンタルに対する執拗なまでの攻撃、

                    普通の若者が‘泥沼’とも言うべきところに“はめられ、どんどん深みに引き込まれてゆく姿”、

                    迫真性と臨場感をもって語られるVividな言葉に、凄く“文学性”を感じました。

                    監督、コーチの意のまま、彼らの謀の通りに、“ただ落ちてゆく”ことしかできなかった宮川君の赤裸々な心情、

                    その陳述書はまさに『文学賞並みの作品』ではないかという気がしております。

                     

                    内田監督と井上コーチの宮川君に対するプレッシャーの掛け方は尋常でないどころか、

                    暴力団やテロ組織の“教本そのもの”!

                    あのままテキストに使えると感じます。

                     

                    暴力団が、対立している組の親分を狙う場合、

                    日ごろから殴る蹴るなど家畜以下の扱いを受けている組員が、兄貴分からささやかれる、、『ひょっとしたら、お前、男になれるチャンスかもしれんぞ』と。

                    そして、組長と若頭がいる部屋に呼び出される訳です。

                    若頭が言う、、『〇〇組の△▽は目障りな奴やな』。

                    横に座る組長が大きく頷く。

                    若頭が続けて、『お前もええ生活したいやろ。その前に・・・・へ立ち寄って行け』。

                    言葉はそれだけ。

                    言われた組員が、その“・・・・”に行きますと、札束とともに実弾入りの銃が置いてあるわけですな。

                    そうです、

                    もう“やるしかない”、

                    完璧です。

                     

                    日大の監督、コーチがやったことがこれとどう違うと言うのか?

                     

                    彼らは、二人の若者の将来をメチャクチャにするところだった。

                     

                    神の温情ある采配、

                    最悪の事態は免れました。

                    幸いにして、奥野君は昨日、ゲームに復帰、

                    宮川君の会見での発言と態度を評価する人も多く、彼の居場所がなくなるということはなさそうですね。

                     

                    しかし、いつまでも可哀想なのは日大の他のアメフト部員、そして、全く関係のない日大の一般学生たち。

                    内田氏が日大のNo.2、常務理事に留まり続ける限り、現在のような異様な情況は全く変わらないでありましょうし、

                    上記に述べてきた今回の事件の“大きな問題点の本質”がうやむやにされます。

                     

                    マインドコントロールされる若者は常にどこかにおります、それはもう防ぎきれないこと。

                    だからと言って、反社会的勢力だけではなく、普通に生活している者までもが簡単に巻き込まれることが今後に起こって良いはずはありません。

                    今回の事件の本当の問題点をより顕在化させることは、何をおいても絶対に不可欠と考えます。

                     

                     

                     

                     

                    | ukitama | - | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    小鳥の巣
                    0

                      もう2週間ほど前になりましょうか、

                      家内が何やら興奮気味に、『ちょっと、ちょっと、これ、見て〜』とウキ邸の木立の中で叫んでいる、、

                      クエスチョンマークを飛び散らせながら馳せ参じまして家内の指差す方を見ますと、な、な、なんと、小さな鳥の巣、しかもですな、小さな卵が4つも!

                      低木の中ほど、地面から1m20cmほどのところに、どこからか取って来た枯草を幾重にも組み合わせて巣を作っているのですよ。それがまた綺麗でね、まるで人の手によるほど巧妙なんですな。

                      家内が言うには、何も知らずにその木の近くを通り過ぎようとしたら、いきなり小鳥が飛び去って、その飛び立ったところを見たら巣があったとのこと。親鳥がまた後で戻って来るに違いない・・・

                      ・・・というところで、我々ふたりは急いでその場から立ち去りまして、家の中に入り、サッシ越しに様子を眺めることにいたしました。10分ほど観察して、何も変化なく、もうキリがなさそうなんで、それっきりにしたのですが、翌早朝、今度はウッキーが巣に近づいて、そーっと覗き込むようにいたしましたら、鼻先をかすめるように親鳥が逃げ出しましてね、思わず『ワーッ!』と叫んでしまいました〜アホやねぇ。

                      家内からさんざんに叱られまして、『絶対に近づいたらアカン!』と強―いご達し。と言いつつも、家内も毎日すごく気になるようで、34メートルの距離をとっては首を伸ばしたりしゃがみこんだり〜

                      ところで、この鳥は一体何なんやねん??

                      ウッキーは、Grayのような薄いBrownのような、と見えましたから、『雀やろ』なんて言っておりましたが、卵が珍しい色、非常に色濃いBrownでね、これをネットで検索してみましたら、、またまた驚き!

                      鶯(うぐいす)!!

                       

                      鶯が庭に巣を!

                       

                      順調なら今ごろちょうど雛になっていたのだと思われます・・・

                      残念ながら、数日前、なんとなく変に思って“禁を破って”覗き込みますと、巣は空っぽ、、、卵そのものが全部消えてしまっておりました。

                      厳しい自然の摂理としか言いようがありません。

                      しかし、束の間ではありますが、Happyな気持ち、小鳥のような気分になったことも事実。

                      小さな命を近くで見るというのは本当に嬉しく、また切ないものですね。

                       

                      オーストリアの詩人、リルケ(1875-1926)は、知人にあてた手紙の中で次のように語っているとか、、

                      「・・・鳥でも虫でもいいが、彼らの卵というものは直接野外に生みつけられるので、彼らにとって自然とはさながら母胎・・・鳥や虫には、自然と生命との合体的な仕合せな状態がはじめから予定されている・・・彼らは一生涯、いわば母胎の中にいるのも同然なのです。」

                       

                      今も巣だけはそのまま残っております、

                      見れば見るほど非情なまでに無防備。

                      このような状態で卵が孵化するまで約2週間も何ごとも起こらず無事に過ごせるはずはない、単純にそのように感じましたし、また実際そのようになってしまいました。

                      しかしそれでも、鳥にとっては母胎なのですね。自然という母胎でずっと過ごしている。鳥や虫には“外界”は存在いたしません。

                       

                      小学生の頃、生家が山に囲まれたところにありましたから、一人でよく山に入って時を過ごしておりました。78歳の時には祖父と一緒に行ったあたりまで、910歳と年を経るごとに自分なりの“未開の地”へと足を伸ばし、中学生になる直前には『家の近くの山はほとんど‘制覇’した』なんてね、ちょっとした冒険家の気分で。

                      山と言っても800メートルにも届かぬ低いものばかり。とても登山とか冒険などと言えたものではなかったけど、“新たなエリア”に足を踏み入れる度に感じた何とも言えぬ“怖れ”、あるいは“畏敬”。

                      歩いているそばからいきなり大きな山鳥が飛び立ってドキリとしたり、

                      神域でもないのに、目に見えぬ特別な境界線の存在を感じて、『ここから先は行かん方がええのかな』とも思ったり。山に入ることは常に“外界”と隣り合わせであり、山が外界そのものであったり、常に見えない何かを意識している状態であったという記憶があります。

                       

                      現在のウッキーは、人嫌いと言うほどではないにしろ、人付き合いの良い方とは決して言えません。仕事の性質上、望む望まないに関係なく、いつの間にやらこんな風なオッサンになってしまった訳ですけども、こういう日々を送っておりますと、『無為』、『無為自然』を至上と観じ、小鳥のような日常を過ごすことが理想とも感じておりました。

                      しかし、この鶯の巣のような厳しい現実を目の当たりにし、小学生の時に山で経験した不思議な感覚の数々を思い出しますと、“あらゆる生物が自然との幸福な調和の下に生きていた人類原初の状態”が全く空想であり、人間は常に外界に孤立しているという本能的な不安と精神的な恐怖を乗り越えるため、自然と語らい自然の声を聴き肌で感じ取る努力をしているのであると気づきます。

                       

                      姿なく存在しているものの気配を察し、それと言葉を交わすことによって感じるものの大切なこと、それはあなたが語らいかけるダイヤモンドの中にも確かに存在しているのではないでしょうか。

                       

                       

                       

                      | ukitama | - | 09:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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