Uki Dialy

「カラーダイヤモンド専門店 コズミック」店主によるカラーダイヤモンドブログ
虫歯予防デー
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    どこそこの家のフェンス越しに、色を付ける前の紫陽花の姿が垣間見えるようになってまいりましたね。

    梅雨は紫陽花とともに・・・

    紫陽花が鮮やかな色になり始めますと、雨の日が多くなります。

     

    コロナ戦時下、

    ただでさえ大変なのに、アメリカではとんでもないことになってますね、

    単なる抗議デモでは収まらず、暴動、略奪、

    頭では理解しても、やはり『どうして、あそこまで??』と思わずにはいられませんね、日本人には到底真似出来ない行為です。警官たちの激しさにも驚かされますね、マイク持って実況しているCNNのレポーターをいきなり逮捕したり、テレビカメラで撮影している海外のメディア関係者を盾でしばきまわしたりで、もう滅茶苦茶、これぞカオスが全米各地で起こっております。

    しかしまあ、、、

    あれだけ超密の状態でマスクなしで体ぶつけあって激しく罵声を飛ばして荒い息を続けているのですからね、これから一体どうなるのか、お日様が東から昇ることと同様ですな、今後のコロナ感染拡大は必至、

    太平洋の向こう、遠く離れたところのことながら、どうなるのだろうとホント心配です。

     

    昨今は、ニュースの9割以上に『コロナ』の文字が含まれておりますから、読まなくても見出しを見れば凡そのことは分かるのですけどもついつい読んでしまう、、、欧州のニュースは特にそうですね。

    何日か前には、ベルギーの国王の甥にあたる28歳のプリンスが感染、なんていうのもありましたな・・・・・こんな時期にスペインに行ってね、恋人がスペイン人なんだとかで、、15人以上のパーティーは禁止されているにも関わらず、二十数名でワイワイやってたという・・・このプリンスの反省文か何かが載ってたけど、当然ながら『懺悔』一色で、さぞや今頃は心身ともに落ち込んでいることに違いないだろうと推測いたしますけども、馬鹿はどこにでもいるのですな。

    わが国では、天皇陛下の甥にあたるプリンスはまだ幼いですから、このような心配はありませんし、プリンセスたちもストレスが溜まるほど厳重にガードされていることでしょうから、何の不安もありますまい。

    改元以来、ご多忙を極めたに違いない陛下も今は、海外からの賓客も絶え、新任大使の信任状捧呈式もなく、地方へのご訪問も不可ということで、結構お時間がおありなんでしょうな、昨日の朝刊だったかな、上皇后から受け継がれた養蚕のお仕事に向かわれる雅子皇后にご同行されて手伝われた、、というような記事がありましたね。コロナ戦時下でほとんどのニュースが白黒で色彩に欠けているという折りに、このような両陛下の日常のご動向を見るでも何かホッとしたもの、明るい色あいを感じます。マスコミもコロナ一辺倒ではなくて、こういう折りであるが故に一層そのあたりを意識して報道すべきでありましょう。

     

    アメリカの暴動で消息が途絶えてしまっている観のあるイタリアの現在は?

    イタリアの野党党首が『中国に激怒』なんていう見出しが躍っておりましたが、

    そんなもん自業自得やろってね、

    イタリアの経済は実質的に破綻してたのに、チャイナマネーをふんだんに供給してもらったお陰で何とか国民を食わせておったという現実があります。春節明けて、里帰りしていた中国人のビジネスマンや技術者、労働者たちが大挙してコロナ抱えてイタリアの職場に復帰したところからイタリアの悲劇は始まったのですけども、、、チャイナ憎しでマネーも止まる、、一体この先どうするのでありましょう。

    他の欧州主要国も似たようなもの、、ドイツは、主要産業の自動車の販売台数の半分近くが中国ですから、中国との関係を見直すとなれば、これまた死活問題。

    英仏もまた、コロナ直前には、中国との関係強化に前のめりでね、マクロンもジョンソンも、もう習近平の胸の中に飛び込まんばかり〜〜でございましたが、ジョンソンなんて“ICU入りしまして生死の境を彷徨ったこともあって、『憎さ100倍』、中国に対して放送禁止用語がポンポン飛びまくる勢いでありますけども、『脱China』がそんなに簡単に行くのかどうか、、ホンマ見ものというものであります。

     

    そういう欧州にあって独自の道を歩んでいるとも言えるのがスウェーデン、

    軽度の感染者を増やして抗体を持つ人を増やして集団免疫の形成、

    という政策を採ったのが功を奏しているのでありましょうか、

    大いに評価が分かれているようですが、

    スウェーデン国内ではマスク着用者がほとんど見られないそうですな。

    現地在住の日本人は、『ずっと同じ、年明けから現在まで例年通りの生活が続けられている』、『先日は、友人知人30人ほどでバーベキューパーティーだった』とかってね、、全く羨ましい話です、国民にそのようなコンセンサスが出来ているからコロナに罹っても抹消されない、ということでね。

    日本もスウェーデンのような方向、コロナを普通の病気と同じ扱いにするというようなことにならないのだろうか、、、、と思っていたところに・・

    巨人の2選手が陽性との報道、

    『おいおい、せっかくの開幕がーーー』と暗澹たる気分に陥った野球ファンも多かったことでありましょうね〜・・・阪神の次は巨人かよ、

    コロナ伝統の一戦!

    なんてバカを言うてる場合ではありませんな。

    幸いにして、陽性と判定された坂本クンも大城クンも、全く症状がなくて至って健康体ということで、プロ野球開幕も予定通りとなりそうで安堵いたしましたが、、、この巨人の選手たちのように、抗体がある、陽性でも症状がない、感染させる確率は極めて低い、というような者が既に全国に溢れんばかりに存在しているに違いない、、日本の対コロナ政策は他国から『やいのやいの』言われておりましたけども、この若干きついめのスウェーデン版がある程度の成功を収めていると言えそうですね。

    そう、何もしない、というのはちょっとどうかと思うけども、

    やれPCR検査が少ないだの、保健所がどうの、厚生省が、、、等これまで必要以上にキャンキャン喚いてきたコメンテイターたちも、いい加減にこれらスウェーデン版日本型対処に対してある程度の評価を与えるべきなんじゃないのかなと思わずにはいられませんな。

     

    さて、ウッキーもまた色彩のない白黒の文章を書いていてはいけませんね、

    というところで、

    昔も今も、江戸を詠んでこの人の右に出る者はいないと言われる、

    其角(16611707)の句を〜

     

         越後屋に 衣さく音や 衣更

     

    ウッキー世代が中高生の頃っていうのは、かなり厳格にと言いましょうか、

    まだまだしっかりと衣替え(衣更)の習慣が残っておりましたね。学生服を脱ぐことが出来るようになってヤレヤレという気持ちと、女子の白い制服にいきなり眩しさを感じた思い出が、、、、であろう、ご同輩。

    『越後屋、おぬしも相当のワルよのう〜』の越後屋ではありません、

    三越の前身、江戸・日本橋にあった呉服屋の越後屋、

    夏物の布地を裁つ音が涼しげに響いている、

    カラフルで清涼感の反物の生地も見えるようですね。

     

         夏酔いや 暁ごとの 柄杓水

     

    勉強不足で申し訳ないのですが、これはひょっとしたら晩夏の句なのかな、

    季節違いだったらゴメンナサイ、、、

    暖房やエアコンがまだまだ不十分であった頃、ぬくぬくとした布団の中からなかなか出られない冬、そして冬が終わっても春眠暁を覚えず〜いずれにしても朝起きられなかったのが、夏になると早起きになるという人も珍しくはなかったですね、日が昇ってくると日差しが熱くて、って訳で誰しも日の出前には起き出しておりました、そして井戸端で水を飲む、その冷たさ心地良さ。スキっとして、しっかり目が覚めて、体中に生気が蘇る瞬間、、、そのような情景を想像いたしますと、その当時の方が何か人間らしいと言いますか、精神的に豊かであったような気がいたします。

    『夏酔い』っていうのは、飲みすぎて二日酔いのことなのか、

    それとも、さんざん夏の暑さを経て来て、やっと夏の果ても見えてきた、ってことなのでありましょうか、、

    何となく朝顔の爽快な青が井戸の近くに見えるような気もしますね。

     

    今日は何の日?

    虫歯予防デー、くらいは誰でもご存じのことでありましょう。

    1928年の制定ということでから、もう100年近くになりますね、これは意外。

     

    ところで、

    610日は何の日?

     

    そこの時計コレクターの社長、

    あんたなら知ってるやろ、

    そうですな、『時の記念日』。

     

    なんで610日なんや??

     

    な、なんと、これがですな、

    天智天皇10425日、グレゴリオ暦671610日に、

    置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也

    と、日本書紀に記述があるのですな

    漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なり』

     

    とまあ、要するに、

    『天智天皇が、皇太子時代に日本で初めて作った水時計が、このほど新たに整備されて、初めて時間を打った、時を知らせる鐘を鳴らした』と、

    1349年前の記念すべき出来事。

     

    古代に、正確な時間は不要やろと思いますけどね。

    ところが、文書の重要性が増すとともに、その文書に記す時間もまた重要となったのですな、、『〇年〇月〇日、正午をもって・・・・とする』とかっていうような発布があるとすると、公正を期するために正確な正午が必要とされたと、太陽が見えない時でも時間が分かる物を導入されるべき、となったということです。

     

    当時よりも圧倒的に現代日本人は正確な時間を知ることが可能となりはしましたが、

    はたして現代人は、古代人よりも時間を大事に使っているのかどうか、

    と問われますと、かなりクエスチョンマークでございますね、

    ここ何か月では、手洗いと消毒でかなりの無駄な時間を消費しておりますしね。

    これが文明なのかと、改めて、文明とは何なのかというようなことまで考えてしまいます・・・

    また無粋な方へ話が。

     

     

    あなたが、カラーダイヤと接する時、

    それは非常に有益な時、

    自分自身を見つめなおす時でもあります。

    思うがままに、色艶と光沢の中に、

    ご自身の気持ちを投影いただければと思っております。

     

     

     

     

     

     

     

    | ukitama | - | 15:58 | comments(0) | - | - | - |
    走り梅雨
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      皆さんから聞かれることで一番多いのは、

      『ラウンドと変形と、どちらが良いのでしょう?』

      というお問い合わせ。

      なかなかお答えしにくいですね。

      それは各々の好みの問題、我々業者がコメントすることではない、

      というのは分かり切ったことではあるのですけども、

      カラーダイヤ・コレクションという遠大とも言える構想の起点に立たれた人も少なからず存在しているに違いない、そんな人に対して『それは個人の好みで・・・』なんて言うのはあまりに木で鼻を括ることでありましょう、やはり何か具体例を出して言ってあげるべきですね。

       

      ウッキーの答えは様々、

      と言うのは、アドヴァイスする相手の人が、本当に何も知らないに近い状態なのか、それとも背中を押してもらいたいのか、また何かと何か二者択一、具体的に検討中なのかなど等、事情は色々。ですから、その状況を読んで、推測いたしまして、ご回答申し上げているわけなんですね。

       

      そもそも、無色透明で石性質優れたダイヤモンドの反射が一番効率良くなる形状として開発されたラウンド・ブリリアントでございますから、これをカラーダイヤに適用するということ自体、少し矛盾を含んでいるということになります。しかし、同時に、ダイヤモンドがからテリというものを除去して彩度だけを追い掛けるということはそれ以上におかしなこと。テリがなくなればそれはもうダイヤモンドでなくなりますからね、ダイヤであってもテリがなければ全然美しくないし、それだったらカラーダイヤではなくてルビーだのサファイアだのというカラーストーンを選択する方が余ほど賢いというもの。

       

      このダイヤの『テリ』というのは、カラーダイヤにとって永遠の課題、

      テリが増せば彩度が落ちる、テリを落として彩度を意識すればダイヤの価値が下がる、

      このあたりの匙加減、なんとも微妙、

      これを絶妙に調整した物がやはり誰が見ても美しい、と言うことになるわけです。

       

      ウッキーの長年の経験で申し上げますと、

      肉眼によるところの実際の色味の見え方は、

      『ハートが一番綺麗』と思っております。

       

      妙艶とも言える色溜まりが多くのハートには存在します。

      これは、綿密に計算されて出て来た(Cut & Polishされた)という訳ではなさそうで、もちろん歩留まり重視の上での産物ということでもなく、

      まあ恐らくは偶然の賜物、

      消費者と直に接することの多い我々業者からの『ハートを研磨してほしい』という熱心な働きかけが研磨業者になされたからであればこそ。

      ですから、少し無理が生じる、

      ひとつ大きな欠点、短所が発生してしまう・・・

      影が目立ちます。

       

      写真撮影するとホント一目瞭然、

      時には、ベッタリと黒いインクルージョンがあるのではなかろうかと思われるほどの影。

      ですから、ハートの画像には全く困ってしまうことが多いし、

      皆さん方も、ハートのPink等をネットで見て、『メチャ綺麗』と感じて、同時に『う〜ん、、?!』と唸る場合も多いのではないのかなと推測いたします。

       

      カラーダイヤにはいくつかの『法則』が存在いたします。

      ピンクダイヤの彩度が優れた物にはインクルージョンの多い物が多い、というのもそうですし、

      そのインクルージョンに色が貯まってファンタスティックな光沢になる、というケースも少なくありませんね。

      彩度や影ということでは、

      彩度が上がるほど影も濃くなると言えますし、

      テリが良いほど影の箇所が多くなる、とも言えます。

       

      ラウンド・ブリリアントは、影が出来にくい分やはり、変形ものよりも彩度が落ちてします、これはもう如何ともしがたいですね。

       

      そして、変形ものの影、これは高彩度であることの証(あかし)、

      決して疎ましく感じることなく、愛でていただきたいと思います。

       

      さてまあ、5月も今日で終わり、

      お天気だけは良かったですね、

      せっかくの好天が戦時下で台無しに・・・

      思い返せばホント酷いひと月、、多くの人にとって史上最悪とも言えそうな。

       

      水無月を前にしまして、大阪は雨模様、

      天気図を見ておりますと、6月になって直ぐにでも梅雨入りなんじゃないのかという気がいたしますが、、

      気を取り直して〜

      ・・・夏至まで約3週間、大阪でも午前4時半にはかなり明るいですから、東の方の皆さんはさぞや早朝から明るい光でお目覚めなんじゃないかと、、ホントしっかりとカーテン閉めとかないと、おちおち寝てられないでありましょうね、、

      夜の明け易き、、

       

          霍公鳥来鳴く五月の短夜も

          独りし寝れば明かしかねつも

            作者不詳(万葉集)

       

      旧暦五月は夏至の頃。霍公鳥(ほととぎす)がやってきて鳴く短夜も、妻も恋人もおらず、ひとり寝だから、どうってことない、夜が早く明けてほしい・・・

      とまあ、ちょっと寂しい歌、ですが、

      本来、短夜は、日が暮れたと思ったらアッと言う間に明けている、ともに過ごした男女が早朝の別れをしなければいけない、ということで、何とも切ない思いの情景の季語なんですね。現代人の我々は単純に、そんなに別れ難いと言うのなら、お昼ごろまで一緒にいたら良いのに、と思うのでありますが、それはルール違反だったのでありましょうか?! 少し勉強の余地がありそうですね。

       

      万葉集や古今集の時代から千年以上経過して、短夜の光景なんてあるのかないのか、定かではありませんけども、

      短夜だろうか何だろうが、

      真夜中に目が覚めて、なかなか眠れないというような折り、皆さんはどんなことを思っているのでしょうか? 

      以前は眠れなくなると焦ってしまってね、余計に眠れなくなって、、となっておりましたが、今では少し賢くなって、『まあこれは、体が疲れてない証拠、あと30分眠れなかったら起き上がって、PCでニュースでも見ることにしよう』なんて考えると、不思議なことに何時の間にやら眠ってしまっている、なんてことはよくあります。

      ウッキーは昨夜また、深夜に目が覚め眠れなくなりましてね、起きようかと思いつつもボンヤリと物思い・・・思考というような大そうなものではなくて、意識が色んなところに飛んで行って、高校時代のクラスメイトの女子のことを思い出して、『ああ、あの時、、何か言うべきだったかな』とかってね、まあこれもよくあることでしょうが、、、、、ちょっと待てよと、『そう言えば彼女の名前は何やったかな?』となりまして、名字はちゃんと覚えているのに、ファーストネームが出てこない・・・・・、・・・我々の世代っておもしろいですよね、小中学校の時には女子とお互いにファーストネームで呼び合っていたケースが多かったのに、高校になると途端に名字で呼ぶ、お互いに初対面のケースがほとんどだから仕方ないのでしょうけども。中学の時に、『真由美〜』と呼んでいた同じ子に、高校になって『おい、黒田』なんて言って、『なによ! えらそうに!!』とかって言われてね、『ごめん、黒田さん』と言って、非常な違和感で、、今さら『真由美』とも呼べないし、困ったなと、、呼び掛ける時には、小さな声で『――』とかってね、、、、、ちなみに黒田真由美はウッキーの従姉妹(いとこ)でございます・・・ってなことで、高校時代にちょっと好きだった女子のファーストネームが思い出せない、、ファーストネームで呼んでなかったから仕方ない、、何となく、「けいこ」だったような気がして、、、どんな漢字? 恵子、敬子、慶子、、違う、桂子、景子、どんどん離れて行くような気がする、、そう言えば、「けいこ」なのに佳子という漢字を充てていた中学のクラスメイトもいたなと、また思考が飛んで、それって正しいのかなんて言ったら失礼だけど、漢和辞典に載っているのかな??とかってまた気になってきて、『いや、ないやろ、佳子は「よしこ」か「かこ」、そうや、プリンセスの名前やったな〜』というところまで行って、ようやくまた高校のクラスメイトの女子の顔が戻ってきました、、、、、高校3年生の今ごろ、ウッキーは教室の一番左の列の前から2番目で、その女子は右端の一番後ろで、休み時間に端と端、対角線でよく視線を合わせていたなと、、全然ベッピンさんというようなタイプではないのに、何故か気になる存在で、、なんでや? 授業が終わる度に『起立! 礼!』、先生が教室の戸をガラっと開けた瞬間にまた机の上の教科書やらを片付けるために座る、片付け終わって、その度に右斜め後ろを振り返って見てしまうのでありましたが、そういう時に彼女はスッと椅子から立ち上がる、その折りの身のこなしにアクセントがあって姿勢が綺麗で、『見逃せない』とかって感じておったのですな〜。

      彼女と視線を合わせるようになったのは、どうしてなんだろう、、

      これが所謂、『魚心あれば水心有り』、『落花流水の情』というものであったのか?

      ほんの2秒か3秒の間、視線を合わせたくらいではそこまで言わないだろうって?

      確かに。

      『落花流水の情』というのは、水の流れの中に落ちた花は流れのままに流されたい、水は落ちた花を浮かべて流れてゆきたい、お互いの心が通い合っていること。相思相愛とまでは行かないのかもしれないけども、その途中という感じ。

      何秒間かのアイコンタクトは、何と表現すれば?

      これかな、、

      『憎からず思っている』、

      これかな、、そう、これでしょう、、、

      好きと言うことは何となく憚られる、でも、心にポッと灯りが点ったような思い、なんですな。そうです、全く自惚れながら、彼女もきっと同じの同じ感情を持っていたに違いない、と確信しております、今でも。

      そして今から思うに、彼女とのアイコンタクト、極めてスリリングでありましたな、、

      そうりゃそうです、授業がひとつ終わった直ぐあとのざわめきの中、お互いに無表情、唇さえも頬さえも全く動かすことなく視線だけをロックダウン、いや違った、『ロックオン』。クラスメイトが皆好き勝手に過ごしている時間に、ほんの23秒とは言え二人だけ凍結した瞬間を持っている。もしこれが5秒以上となったら、さすがに誰かに気付かれたことでしょうし、そんなことは小説やドラマの世界だけでしょうけど、万一、10秒以上となったら・・・徐々に周囲が静まり返って、シーンとなって、それこそクラスメイト全員の注目を浴びることになる・・・それはまたそれで非常に面白い展開になるに違いないですけどね、、、周囲は一体どんな反応になるんでしょう? 多分、『おい、大丈夫か、お前ら』と男子の誰かが言うに違いない、『付き合ってたの? 知らんかった』と、ある女子は言うのだろうし、また別の女子は『喧嘩してんの? どうしたん??』とクエスチョンマークを飛び散らして不審に感じるだろうし、ひょっとしたら、お節介焼きが二人三人いて、ウッキーと彼女を教室の真ん中まで移動させてくれるのかもしれない、、そこまで行ったら異常やろってね。現実には有り得ないことでございましょう。

       

      さてまあ、現実というか、本当の展開はどんなだったのか?

      そのような日々の中、彼女から電話が掛かってきたのでした〜、

      そうです、これが『お互いに憎からず・・・』の根拠。

      3になって初対面、転校生のようにいきなり目の前に出現したような感じだったですな、そして、電話掛かってくるまであまり話した記憶もなかったのでした。

      電話はどんな会話だったのかって?

      ただ、会うことを約束しましたー

      その翌日か翌々日、

      昼休みの図書室、座って待っていたウッキー、

      高校の図書室は何故か非常に古い建物だったですな、どうしてなんだろう、

      校舎は普通の鉄筋3階建てだったのに、その中にはなかったのでしょうな、、あまり勉強した記憶がないのでね、自慢じゃないけど、ホント良く覚えておりません、、、図書室の手前の老化が、、失礼、廊下です、そう廊下が激しく老化しておりましたな、、ナチュラル鴬張り〜って、そんなええもんかよ、ギシギシ鳴っておったのでした、、しかし広かった、本もたくさんあったけど、椅子やデスク、テーブルがあちこちに置いてあってね、150人分くらいの座席はあったのではないのかな、、、

      彼女はどうしたのか遅れて、頭かきかきやってきまして、丸いテーブルだったですな、ウッキーの右手そばに座りました。その時、ウッキーの心臓がドックンと鳴ったのがまだ先ほどのことのように思えます。それを誤魔化そうと、両手を頭の後ろで組んで、両足と背を伸ばして、だらしないとも言える姿勢に。彼女は、おもむろに現国の教科書を取り出してテーブルの上に置きました、そして、シャーペンを持って、その右手をこめかみのあたりにつけておりました・・・・

      ちなみに、おもむろにというのは『ゆっくりと落ち着いて』という意味らしいですな、ウッキーは最近まで、『不意に』と思っておりました〜約40%の人がそう思っていたのだとか、、、れいの「国語に関する世論調査」です、今年じゃないけどね、

      ・・・そんな彼女はまた別の魅力で、ああ、ええ感じ、、と思ったのですけども、、、そこで突然、頭の中のビデオが終了しております〜ざ、残念。リプレイ検証も不可能。

       

      なんとなく今思いまするに、ひょっとしたら、、ウッキーは彼女にロクに言葉を発してないのかもしれない、、、アホやねぇ〜。

       

      しかしやっと、、ウッキーは思い出したのでした、彼女のファーストネームを。

      Fancy Vivid Green Blueをふたたび三たび見た瞬間に。

       

      ひらがな三文字でございました。

      指一本触れてないからこそ今なお“Vivid”

      そんなような気がしております。

       

      | ukitama | - | 09:21 | comments(0) | - | - | - |
      Lift
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        コロナ禍の折り、いやこれはもう“禍”(災い)と表現するようなものではないですね、『コロナ戦時下』と呼ぶことにいたしましょうか、、、

        コロナ戦時下、如何お過ごしでしょう。

         

        小さい頃に、おじいちゃん、おばあちゃんから聞いた戦時下の標語を思い出してしまいますなぁ〜

         

        『欲しがりません、勝つまでは!』

         

        それでもまあ、大阪、京都、兵庫では、緊急事態宣言が解除ということになりまして、

        何か一応、ひと区切りという感じが“しないこともない”のではありますけども、

        イマイチどころか、全くスッキリとしません。

        そんなに簡単に去年までのような日常が戻るとも考えられませんしね、

        首都圏もまだまだ少なくない感染者がいて、さまざまな“数値”が徐々に改善はされているとは言え、テレビの画面から判断する様子は先月末とほぼ同じ、と言いますか、『当分こんな感じやろなぁ』と思えるもの、、

        人の気分はそう簡単には元に戻らないのでありましょう。

        気分も含めた“かなりの改善”というのは、約1ヵ月後くらいなのかもしれません。

         

        昨日、近所の小さな食品スーパーに遅いランチを買いに行きましたところ、

        マスクがですな、かなりたくさん積まれてましてね、箱入りのやら、“バラの5枚セット”とか。ウッキーなんて、電車乗ったりしないのですけども、思わず5枚セットを一つ買ってしまいましたよ。家に帰って“検品”しましたところ、まあノーマルと言いますか、特に普通で安堵いたしました・・・・

        というところに、郵便配達のバイクが来ましてね、いつもは午前中なのに、午後の3時過ぎ、、、『今ごろ何を?』と訝しく思って、バイクが走り去った後に郵便受けを開けますと、、

        『アベノマスク』のご到着〜〜〜

        今頃なんやねん、ってね、

        もういらんわ、ホンマに! 怒、怒、怒怒怒!!

        しかもですな、たったの1パック、2枚のみ。

        てっきり一人2枚ずつと思っておりましたら、ひとつの住所に2枚ずつということで、、、、アホくさ。

        これが海外でよく言われていたところの、

        『Better than nothing』やおまへんかー

         

        買い付けの折りにね、ブローカーが持ってきた商品をチェックして指値する、その値段が非常にキツイと思われる場合、彼らは当然ながら文句言う。そんな時、周囲で順番待ちしている売り手の奴らが声をそろえて言うておりました。また、逆に、こちらが買いたいと思って一生懸命になっているのに、思いのほか価格が下がらない、ほんの少ししか下げてくれない、という時に文句を言いますと、

        『Better than nothingだろ』ってね、必ず言われる・・・・

        安倍総理もきっと投げやりな気持ち、同じことを思っているのでありましょう。

         

        ちなみに、大きさに関してはそんなに不満はありませんね、これは意外。

        安倍総理は、ひょっとしたら顔デカい!?

         

        ところで、夏の甲子園もやはり中止が決まりまして、ン十年前の高校球児としてはもう、現高3の球児たちが可哀想で可哀想で、彼らの心情を察することもしたくないほど。自分がもしそうだったら・・・なんて考えるともう涙が止まらなくなるだろうと思いますので、考えないようにしております・・・・こんなことを言っても全く慰めにも何もならないけど、人生っていうのは良いことと悪いことは同じ量だけやってくる・・・現高3の球児たちには、きっと大きな幸せが廻り来ると思いますね・・・・、、、高校球児たちのことを考えると、去年まであれだけ熱心に見ておりましたプロ野球なんてね、ホントどうでも良くなってきておりますが、、、今更ながら、これまで毎年毎年、3月末から10月まで、飽きもせずにテレビの前に座り込んでね、『嗚呼、打てない、守れない、勝てない・・』と弱いチームを応援して、激しい時間の浪費。

        『やっと分かったか!』

        と神様からのお達しかもしれませんな。

         

        それでですな、この1週間10日ほど、夕刻から寝るまでの時間、UKI氏は一体何をしておるかと申しますと、

        数独なんですな、半分腐りかけの脳ミソを一生懸命絞り尽しましてね、ウンウン唸りながら、鉛筆と消しゴム持って81のマス目に向かっておるのです、、、多少は進歩したのか?! 恥ずかしくて言えません、この頭の悪さ、もう死にたいくらい!?!

         

        源氏物語はどうした??

         

        お笑いくださいますな、

        世の中には『明石源氏』『須磨源氏』なる言葉があると伺っておりましたが、

        そう、まさに『明石源氏』状態!

        今の神戸市の西、須磨、明石の地に“流刑”となっていた光源氏が、都(みやこ)に戻って参りました途端にまた繰り返される“色ごと”に、いささかウンザリ〜

        そんなもん、読む前から分かってたやろが、ってね。

        いったん休止と思って、『アカン、アカン』と思い直して、休止したところを再び開いて読み始めると、5分もしないうちに激しい睡魔が・・・・

        月が替わったらまた興味わいてくる!

        ホンマか??

         

        『怪我の功名』という表現が正しいのかどうか少し疑問ではありますが、

        読書に飽きて、数独も思うように完成できないウッキーが、疲れた頭でぼんやりとテレビのチャンネルをクルクルと、『あれでもない、これでもない』と、やっておりましたら、NHKのBSだったかな、去年か一昨年の番組の再放送で、どこかの禅僧が外国人相手に、座禅を英語でレクチャーしている番組に遭遇、、、思わず真剣に見てしまって、終わった途端にウッキー自身も座禅を始めてしまったという・・・・なんて単純と、お笑いでありましょうが、

        これがですな、座禅がですな、デタラメな座禅なのですけどもね、凄く体に良いのですよ、ホントに。どこに効いているかと言いますと、腰と背中なんです。

        ウッキーはどうも生まれつき姿勢が良くないようで、知らず知らずのうちに猫背になっているのですね。PCの前に座っている時間も長いですから、ますます気づかぬうちに背が丸まって、背の真ん中に痛みが走るようになってきたのですね。高校時代に腰を痛めておりましたのが、10年くらい前からまた再発しておりましたから、ひと月ほど前から、腰&背が寝ている時に酷く心地悪くて、これはアカンと、なってきたのですけども、このコロナ戦時下、医者や鍼灸院に行くのはどうも気が進みません、、、というところで、運動してもジョギングしても何とも良くならずに、これは・・・と悩んでおったところだったのです。

        それが、座禅を始めた途端に、劇的に改善してきましてね、

        最初は、『たまたまこんな日もあるのだろう』くらいに思っておりましたが、

        そうではないと。これは完全に座禅のお陰だなと、しっかりと認識いたしました。

        どのくらいやっているのかって?

        知れた時間ですよ、5分から長い時で15分くらい。それ以上は無理なのです。正座ではないのに、いやまだ正座の方がはるかに長い時間辛抱できますよ、多分、小一時間は大丈夫。でも、この座禅、、、畳かカーペットの上で胡坐かいて、尻をふたつ折りにした座布団に乗せて、両手を軽く組んで、という姿勢は、ことのほかシンドイもの。結跏趺坐なんてね、あんなの出来る人はウッキーからすればもう化け物。もし将来、自分が出来たら奇跡ですよ。

        ホント大したことやってないのに、この効果。

        ウッキーと同じ症状の方、是非ともお試しあれ。

         

        さて、以前のような“カラーダイヤの日常”が帰ってくるのかどうか。

         

        インドがまだ完全にLockdown中ですから、

        これは相当に時間を要しそうです。

        Reopenとなった際、皆がどのような反応になるのか?

        インドが正常化されるのは恐らく、世界の主な国の中では一番遅いのではないかと思われますから、市場の再開を皆が相当に注目しているはず。『再開!』となったらもう異常なまでの“密”になることは間違いなさそうで、アッと言う間に価格が高みに駆け上るに違いない、、いわゆるSkyrocketというやつですな。“出し渋る者”は完全に取り残されてしまう状況がやってまいります。

        『今のうち』、

        ホント、これこそ『鬼の居ぬ間に・・』というやつ、

        英語では次のように言うそうですな、

        『When the cat is away, the mice will play.』

        『The mouse goes abroad where the cat is not lord.』

         

        怖い猫がいないうちに、皆さま、どうかenjoyくださいますよう。

         

        蛇足ながら、、

        今日はまた“海外勢”と電話で話しておりました。

        『どうだ?』と聞かれましたので、

        『The emergency of Osaka is finished.』と言いましたら、

        『ウッキー、それはな、

        The emergency is lifted.

        と言うのやでぇ』とお教えいただきました。

        辞書で調べますと確かに、

        『lift』には、持ち上げる、などの他に、

        (禁止令などを)解除する、という意味もあります。

         

        そうですね、重い物を持ち上げるように《解除》された緊急事態、

        色んな意味で、“大事に”しないといけませんね。

         

         

         

         

         

         

         

        | ukitama | - | 16:05 | comments(0) | - | - | - |
        ダイヤモンド今昔物語ーその20
        0

          1995年5月7日午前8時過ぎ、東京、御徒町、オフィスビルの一室、ミカエルは目の前の高速道路を車が行き来する光景にチラリと視線を投げかけ、独りつぶやいた。

          「早いなあ、もう4年か」

           

          Antwerpから東京に移り住んで丸4年が経過していた。当初、アルノンから、『最低でも2,3年』と言われ、その言葉をどう解釈すれば良いのか分からなかった。3年くらい経ったらベルギーに戻っても良い、という意味だったのか、それとも、数年になるかもしれないから覚悟しておけということだったのか。今から思うと、後者の方に違いなかった。しかし、ミカエルに全く不満はなかった。東京に設立した“A&M Diamonds Co.”の売り上げは順調に推移し、来日前に掲げた目標を大幅に上回る業績を上げていた。バブル経済崩壊の後、日本のダイヤモンド輸入量は減少の一途をたどっていたから、A&M Diamond社の売り上げが年々増加していることは少し訝しいことのように思われたが、ある面で当然、いや、必然と言っても良いものであった。日本のダイヤモンド需要の大きな落ち込みと、収益率の悪化により、ダイヤ輸入卸会社経営者はバイヤーの海外出張の回数と日数の両方を減らさざるを得なくなり、ほとんどのダイヤモンド・バイヤーの買い付け額が著しく減少することとなったのであった。その結果、顧客からの注文や引き合いに対して、ダイヤモンド輸入卸業各社は瞬時に応えられないことが多くなり、ますます売り上げを減少させることなるという悪循環に陥っていた。この間隙を突いて商機を逃さず商いを拡大させたのが“A&M社”だったという訳である。しかし、A&M社の在庫が豊富で何でも揃っているという訳ではなかった。客から注文があれば即座にAntwerpの親会社に発注し、通常の商品なら1週間以内で納品することが可能なことが大きかった。このスピード感、優れた機動性は海外買い付け額を大幅に減らしたダイヤモンド輸入屋からも大いに重宝がられることになったのであった。そしてやはり、ミカエルをサポートする川島の存在が大きかった。日本市場を知り尽くす川島は、顧客からの軽い引き合いに対しても、それが将来的に有望なアイテムに成り得ると判断すれば、注文と同様の扱いで本社に発注をかけ、それが本当に“有望株”へと成長することも珍しくはなかった。また、時勢に合わせて、決して大きな受注を狙わず、細かいケアに徹することで顧客の信頼をより大きく強くして行ったのであった。

           

          川島が大阪の幸田トレーディングを、“形として円満に退職”したのは4年前の5月末だった。アルノンから初めてアプローチがあったのは、その前年の秋、Antwerpに出張した折りだった。その数年前、川島はAntwerpで、エリ・リップワース氏の仲介によって、当時としては破格とも言える大きなロットをアルノンから買っていたが、その後はお互いのタイミングが合わなかったのか、2度目の取引の機会はなかった。二人を結び付けたのはやはりリップワース氏であった。アルノンから、日本人のパートナーを探している旨を聞き、適任者がいたら是非とも紹介して欲しいと言われていたリップワース氏は、人間観察に優れた“ダイヤモンド街の心理学者”と評判の男だった。彼は、かなり早い時期から川島が幸田社長とうまく行ってないことを見てとり、川島が幸田から去るのは時間の問題だと判断し、アルノンに連絡したのだった。

           

          アルノンは、川島に対して最初からダイレクトな表現で誘った訳ではなかった。川島にもまた同様に、『日本人のパートナーを探している。適任者がいたら紹介してもらいたい』と伝えたのであった。直接会ったのではなく、ホテルの部屋に夕刻、電話が掛かってきたのであった。アルノンの言葉を聞いた瞬間、川島は自分が狙いなのだろうと敏感に悟ったのであったが、『アッ、そうなんや、覚えてたらな』と言っただけだった。アルノンやミカエルのパートナーになるなんて、まるで現実味がなかったからだ。翌年の最初のAntwerpの買い付けの時にまたアルノンから電話が掛かってきた。これは、幸田トレーディングと密な取引のあるディアマンタル社の社長、リップワース氏直々の推薦がアルノンに対してあったのだろうということをハッキリと認識させたのであった。仕事が終わって直ぐの頃、もし時間があれば川島の滞在しているホテルのバーで一緒にビールを飲まないかい、と誘われた。特に断る理由もなかったから、その翌日の時間を指定してアルノンと会った。この時も、川島に直接の勧誘はなかった。日本に現地法人を設立したいと思っていること。これは遅くとも半年先には実現したいこと。アルノンの会社の人間をトップに据えて、日本人のパートナーを付け、卸屋、小売店問わず、多数の顧客を獲得し、日本市場に広くダイヤを販売したいということ。そのためのダイヤをせっせとAntwerpから日本に送りたいということ等等を熱心にアルノンは喋ったのであった。3度目はその2か月後だった。ついにダイレクトに“ヘッド・ハンティング”に来たのであった。『是非、私のパートナーになって欲しい』というアルノンの申し出に対して川島は、『なんとも直ぐにはお答えしかねる』と返事したものの、かなり心が傾いていることを自覚した。そして、日を重ねるごとに気持ちは、幸田からアルノンへと重心が移動していることが明白になって行ったのだった。川島の問題は、住居と家族であった。妻と3人の子供たちと一緒に東京界隈に移住することにはかなりの面倒を伴うことが明らかだった。小中学生の子らを新しい環境に強いることは可哀想だったし、家族全員が快適に過ごせる住居がそう簡単に見つかるとも思えなかったからだ。一人暮らしに慣れている自分が単身赴任するのが現実的であるという結論に至るまであまり時間は掛からなかった。幸いにして、地元の関西エリアでの営業活動も重要ということで、月に2度は自宅に戻ることが出来たから、海外買い付けで多忙にしていた時とそんなに違いはなかった。海外出張がほとんどなくなり、国内にいて、『亭主元気で留守が良い』、、川島は、妻が以前よりもも溌剌としているような気がしていたのであった。

           

          ミカエルは29歳になっていた。4年前、一緒に東京にやってきたエンケは、あまり日本に馴染むことが出来ずに3か月も経たないうちにベルギーに帰って行った。日本の厳しい夏が耐えられなかったのかもしれなかった。ストイックに自分を処することに慣れていたミカエルにとっても、やはり異国での単身は堪えた。東京には外国人が多数住んでいるから、遊び相手には事欠かなかったが、心の空虚は癒されなかった。結果として仕事に没入してしまうことになり、A&M社の評判はますます高まることとなった。プライベートとは裏腹に、仕事ではまさに旬を迎えようとしていた。周囲の者は、大きく繁る大樹へと成長して行くことが目に見えるような思いでミカエルと接していたのであった。

           

          ミカエルが初夏の新樹なら、かたや晩秋の老大樹、原田健太郎は73歳になっていた。

          「『月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり・・・』か、、、難しい言葉は何もないけど、、何とも奥行きの深い一文だなぁ、、、、なあ、おい、松岡、聞いてるのか!」

          「なんですか、もう、さっきからウルサイですねぇ、ゆっくり新聞も読めやしない」

           

          お馴染みの朝の光景だった。原田商事の始業時間は9時半であったが、原田と松岡は8時前に出勤して来て二人だけでミーティングを行うのが常であった。しかし、特に話し合う問題がない日も多く、そんな時はただノンビリと過ごしていたのであった。だったら、ミーティングは問題のある時にだけすれば良いではないのかとも思われたが、会社のトップ二人が朝早くから雁首揃えているとなると、社員たちが『何事!?』と気が気ではないだろうからという理由で、二人の朝の会合が日課になったのであった。

           

          「まったく、お前って野郎には古典の情緒もまるで意味なしだからな」

          「はい、はい、すいませんでした、どうせ私は『奥の細道』も“田んぼのあぜ道”も区別が付かないアホですから」

          「おっと、お前、『奥の細道』知ってたんだ、これは大変失礼いたしました」

          「全くもう、人を馬鹿にして。それで、何が言いたいんですか」

          「あ、いや、さっき言った『奥の細道』の冒頭の部分だが、意味は分かってるのか」

          「いえ、正確には」

          「『月日は永遠の旅人であり、過ぎてはやってくる年もまた旅人である』というのが現代語訳だ」

          「要するに、人生は旅である、ということでしょ」

          「まあそういうことなんだが、、、人生はマラソンだ、長い航海だ、旅だ、なんて言うのは下手くそスピーチの見本だ。そんなことはガキの頃から耳にタコが出来るほど聞いてるから誰も感動しないけど、時間もまた常に旅をしている、時間そのものもまた旅人であるという表現、これにはちょっと驚かないか」

          「時間でさえ旅人なんだから、人の一生が旅であるのは当然のことだと言ってるんじゃないんですか」

          「いや、当然と言うか、実は時間が我々を旅人にさせていると言いたいのだろうよ」

          「う〜ん、分からない、、、社長、熱出そうですよ」

          「だろうな、お前の頭じゃな」

          「ムカつきますね、相変わらずホント上品な口だ」

           

          「しかし、社長、時間が旅人だったら、その旅人であるところの時間のですね、旅館とかホテルとかはどういう表現になるんですかね??」

          「そうだよな、、誰でもそう思うよな。実はな、芭蕉のこの文章は“パクリ”と言われてる」

          「な、なんですか、そりゃ」

          「いやまあ、パクリとは言い過ぎだな、引用と言うべきか、、、、李白の漢詩にこんなのがあるんだよな・・・・

           

          天地は万物の逆旅にして、

          光陰は百代の過客なり。

          浮世は夢の若し。

          歓をなすこと幾何ぞ。

          古人燭をとりて夜遊ぶ。

          まことに以有るなり。

          況や陽春我を召すに煙景を以てし、

          大塊我に仮すに文章を以てするをや。

           

          “逆旅”っていうのが旅籠屋(旅館)のことだ。天地が全てのものを送り迎える宿である、と」

          「壮大ですね」

          「そうだろ、まるで旧約聖書の世界じゃないか。神は天地創造の折りに時間も創ったということを古代中国でも言ってたみたいだな」

          「それで、、結局、社長は何を仰りたいので?」

          「天地が旅籠であり、時間は旅人、人生は短い。幸いにして創造主は詩歌の才能を人に与えてくれた。李白は、宴席を設けて詩を吟じながら酒を飲むことを無上の喜びと言った訳だが、芭蕉は旅をしながら句会を催したいと宣言したんだよ」

          「するってぇと、なんですかい、社長は引退して芭蕉や李白になりたいと」

          「おおっ、松岡、今日は冴えてるな、その通りだ」

          「いきなりですねぇ、一体どうしたってんで」

          「どうしたもこうしたも、もういい加減に潮時だろうが」

           

          松岡は、突然、原田と初めて出会った時のことを思い出していた。四十数年前のことだった。夜の新宿の裏通りで数人のチンピラに絡まれ、殴られ蹴られ散々な目に遭っている時、助けてくれたのが原田だったのだ。

          『もうそのくらいにしておけ、死んじまうぞ』

          と、静かな声で言った原田に対して、チンピラたちは、

          『なんだ、てめえは!』

          と、原田にも殴り掛かろうとしたのであったが、原田と視線を合わせたリーダー格の男が“たじろいだ”のであった。本物ヤクザの威圧だった。その場が一瞬でフリーズした。時間も止まったかのようだった。そして、原田がチンピラたちの方へ一歩踏み出した瞬間、皆あとずさりして走り去った。助けられた松岡もまた茫然としていた。ゆっくりと歩き去って行く原田の姿に気がついて、慌てて立ち上がった。追いすがってお礼を言った。それを無視して歩き去る原田にまた追いすがり、必死で懇願した、、

          『子分にしてください、なんでもしますから』

          『俺はヤクザじゃねえんだよ』

          『だったら、社員にしてください、社長!』

          『社長かぁ、そりゃいいなあ、面白い』

          足を止めることなく歩き続ける原田の後を松岡は一生懸命について行った。到底綺麗とは言えない商店が軒を並べている路地を少し入って行ったところに、塀と垣根で囲まれ、小さくて目立たぬが場違いのような瀟洒な家があった。家の中には灯りが点っているのが見えた。原田は門扉を開けて敷地に入り、またしっかりと閂を掛けて玄関の中に姿を消した。明るい女の声が聞こえ、灯りがもう一つ点ったようだった。松岡は、門の外の脇に座り込んだ。いつまでも待つつもりだった。翌朝、何か気合を発するような声と風を切るような鋭い音で目が覚めた。松岡が門扉の外から覗くと、上半身裸の原田が庭で竹刀の素振りを繰り返していた。無駄のない筋肉が躍動していた。何か所かの傷跡が赤く火照っているのもハッキリと見えた。思わず『おっ』と小さな声をあげてしまった。原田が素振りをやめた。鋭い視線に射すくめられて身動きできなくなった。昨夜のチンピラたちと同じだと思った。

          『弱っちい馬鹿がまだいたのか。俺の竹刀の方が余ほど恐ろしいぞ、さっさとどっかへ行っちまいな』

          『お願いです、社長、雇ってください、小間使いでもなんでもいいです、行くところがないんです』

           

          それから先、数週間の記憶が途切れていた。気が付いたら、念願叶って原田商事の最初の社員になっていたのであった。とは言っても実際のところは“一の子分”だった。調子に乗って時おり原田に『親分』と呼びかけると決まって平手でビンタを喰らった。『馬鹿野郎、俺はヤクザじゃねえんだ』と言うのが原田の口癖だった。お互いの過去については全くと言って良いほど話さなかったが、松岡はかなり正確に原田の“履歴”が見えている自信があった。まだまだ関西アクセントが残っていた原田に、江戸っ子の松岡は“正しい”東京アクセントを教えた。また、算盤の得意な松岡は、頭の中に算盤が入っていて、商売で使うくらいの加減乗除なら全て暗算でやってのけた。それは原田にとっても大きなツールであり武器であった。そんな日々から瞬く間に四十数年、原田は松岡のほぼ全て、と言っても良かったから、原田の引退は松岡の引退でもあった。瞬く間の四十数年がまた瞬間で終わろうとしていることに気がついたのであった。

           

          「松岡、おい、松岡」

          原田の呼びかけに松岡はようやく現実の世界に戻った。

          「なんだ、お前、どこまで“飛んで”たんだよ」

          「ああ、すいません、回想録でも書こうかと考えてたんですよ、『原田健太郎の生涯』とかってね」

          「馬鹿野郎、久しぶりにビンタしてやろうか」

           

          ミカエルは、昨日のアルノンとの電話の会話を反芻していた。何とも衝撃的なことに、川島のヘッドハンティングに大きな力を貸してくれたリップワース氏が逮捕されたとのことだった。

          「もちろん、殺人とか強盗とかの刑事事件ではない。容疑は脱税だ」

          「脱税って、、ダイヤモンド街のユダヤ人で税金払っている人いないじゃないですか」

          「そりゃまあそうなんだけど、ダイヤで儲けた金をまたダイヤの商売に投資している分にはお目こぼししてもらえるんだがな、他の商品を扱うとなると当局も黙ってはいない、『舐めんなよ』ってなるわけだ」

          「と言いますと?」

          「噂によると、リップワース氏はどうやら絵画を買ってたみたいなんだな」

          「なるほどね、でもそれだったら、他の人も何人もいるでしょう」

          「そうなんだよ、実はな、他の者も、脱税以外にも、色々と立件されているみたいで・・・エリックのオフィスも家宅捜索されたとかって・・・・」

          「えーーっ、エリックさんまで・・・・どうして?」

          「エリックの場合は恐らく、illegal shipment(違法な出荷)だろう。お前も知っているように、うちとかエリックの会社はPolish(研磨済みダイヤルース)しか海外に発送できないんだけど、エリックはダイヤ原石かカラーストーンか、何か他の物もPolishと一緒に送り出したんだよな、きっと」

          「でも、それって、大した金額にはならないでしょうに」

          「そう。多分、はめられた、チクられた、ということなんだろう」

          「怖いですね、一体何が起こってるんですか、Antwerpでは」

          「要するに今回のは、ダイヤモンド街の凋落の象徴なんだろうな。落ち目になると当局の締め付けと“見せしめ”が起こる、、、歴史の中で何度も繰り返されてきたことだ」

          「Antwerp市場はどうやらもうPolishの本場ではなくなったということなんですね」

          「残念ながらその通りだ。主要国のダイヤ需給統計を見ていたんだが、日本のダイヤ輸入はイスラエルとインドからが合わせて約85%、ベルギーは10%程度しかないんだよ、今年に入って」

          「A&M社がベルギーから入れている商品も実際のところは9割以上がイスラエルとインドの物ですからね」

          「それとなあ、ミカエル、東京にまたインドとイスラエルの大手が支店を開設することになるらしいぞ」

          「ライバルが増えますね」

          「形としてはライバルだが、相乗効果となるだろう。日本のダイヤ業者が買い付けに行く必要がなくなる流れだな。これから日々、増々、日本人バイヤーの海外買い付けが減ってゆくだろうから、先に日本に来た我々には大いに順風だ」

          「ああ、そうかもしれませんね、『海外駐在員なんて数年後には全く不要になる』と言うのが東京の大手輸入屋の間で主流になっているのだとか」

          「そうだろうな、それはホント間違いないところだろう」

           

          「ところで、叔父さん、カラーダイヤは、Antwerpではどうなってますか?」

          「面白そうだがな、まだ皆が素人だ。GIAのカラーグレーディングさえキッチリと定まってないようだな」

          「昨日、大阪のある業者がやってきましてね、1crtのDカラーExcellentのシリーズを買って行ったのですけども、ついでに、カラーダイヤあったら見せてくれって」

          「何か在庫あったのか?」

          「いえ、何も。原田商事の東京本社にはいくつかあると言ってましたよ」

          「そうか、流石に原田だな、うちもウカウカしておれんな」

           

          平成の世の中になって数年、ダイヤモンド市場は小さくなるパイの奪い合いの様相を呈していた。ブライダル市場は、カットExcellentの物が主流になり、海外のダイヤ輸出業者は、ラウンドブリリアントのカットグレードの総合評価を極めて短い時間で判断することの可能な機械、Diamensionを導入する動きが加速されていた。Diamensionの価格は、1台4万ドルとか5万ドルと高級車並みであったが、背に腹は代えられないとばかりに購入を決めた業者が多かった。これにかけると、従来ではプロの間で『良いプロポーション』とされてきた物も容赦なく『Cut: Fair』とされるケースも珍しくなく、業界の古い人間たちからは洋の東西を問わず、『The machine is killing our business!』、『こんな下らない機械のせいで、従来の商売が壊されてしまう』等などと、不評であったが、それらの声はほとんど無視されることとなったのであった。ダイヤモンドバイヤーの大きな仕事の一つは、『使えるプロポーションの選別』ということであったから、無色透明の商品のColorとClarityとともに、Cutも客観性の高い判断がなされることなって、ますます仕事が減るということになり、バイヤー不在でも全く問題なく日本にダイヤが入ってくるという状況がどんどんと加速されることになったのである。

           

          「社長、ホントに芭蕉みたいに俳句ひねりながら旅するんですか」

          「ああ、もちろんだ、松岡。今日からは俳句の旅のためのレッスンだぞ。お前と一緒に俳句教室だ」

          「ちょ、ちょっと、それは勘弁して下さい、行くのならお一人でどうぞ」

          「冗談だよ。しかし、引退して旅に出ることは真剣と言うか、もう決めた。カミさん連れて、四人で世界旅行だ」

          「我々は遠慮しておきますよ、奥方とお二人でどうぞ」

          「そんなこと言わないでくれよ。俺はな、お前がいないと本当に飛行機にも乗れねぇんだよ」

          「ま、マジっすか。冗談で言ったつもりだったのに」

          「なあ、頼むよ」

          「船にすればいいじゃないですか。豪華客船の旅。ダイヤモンドプリンス号とか、社長にピッタリの良い名前」

          「駄目だって。あんな中に閉じ籠ってみろ、2日で息がつまるぞ、想像するだけでゾッとする。訳の分からん疫病が船内に蔓延でもしたら大ごとだしな」

          「あ〜もう、仕方ないですね、最後の御奉公だ。で、社長のことだから、もう行先も決まってるんだって言うのでしょうね、きっと」

          「流石に俺の副官だ。そこまで分かってるんだったら、俺のプランを言ってみてくれ」

          「世界のパワースポット巡りでしょ。カンボジアのアンコールワット、オーストラリアのエアーズロック、ペルーのマチュピチュ、英国のストーンヘンジ、フランスのルルド、チベットのラサ・ポタラ宮、メキシコのテオティワカン、ミクロネシアのジープ島、、、、」

          屋久島の縄文杉を忘れてるぞ」

          「まさか、屋久島からスタートして、全てを1度で巡ってしまう、なんて言わないでしょうね」

          「そう、そのまさかだ。足慣らしに奈良の三輪山からにしてもいいかな」

           

          壁の時計が9時になろうとしていた。

          「あ、そうだ、松岡、9時に来客があったのをウッカリと忘れていたよ」

          「なんですか、こんな朝っぱらから」

          「すまん、すまん、始業前なのにな。ほれ、れいのベルギーの会社、A&Mか何か知らないけども、そこの新進気鋭の経営者がだな、一度ご挨拶にって」

          言い終わらないうちにデスクの電話が鳴った。

          「社長、A&M Diamond社のミカエル・ゴルゴフスキーさんがお見えです」

          「はい、わかった。応接室にお通しして、この前、京都のお客さんから貰った宇治の新茶を出してくれないか」

          「承知しました」

           

          ミカエルは一人で来たのだった。日本語はまだ上手ではなかったが、これまで日本でやってきたように、ハートがあれば何とかなると思っていた。しかし、いつもよりも相当に緊張していた。原田商事は、将来の販売先としては申し分ないどころか、これまでの日本の取引先では原田より大きなところはなかったし、川島から原田社長のウワサを色々と聞かされて、正直ビビッていたのであった。応接室のドアがノックされた時、ミカエルの緊張はマックスに達した。原田社長とおぼしき男が少し小柄な細身の男を伴って入ってきた。ミカエルは立ち上がって日本式のお辞儀をし、自己紹介をして二人と名刺を交換した。二人からは裏側のアルファベットで書いてある方を表にして貰い、ミカエルは日本で使う表側、カタカナで名前が書かれている方を表にして渡した。

          「私、まだ、日本語が上手にしゃべれないものですから、それはどうかお許しください」

          「No problem、実は俺たちだって上手じゃないんだから」

          いきなり笑わせてくれて、ミカエルは気が楽になった。

           

          汗をかきかき、ミカエルは一生懸命にしゃべり続けた。こんなに日本語が喋れるとは自分でも驚きだった。『まあ、飲みなさい』と言われた日本茶が滅茶苦茶ファンタスティックで絶妙な味わいに感じた。恐らく、通常の場であれば、苦手な味に閉口したであろうと思われた。川島からは、原田社長はマフィアのボス並みの貫録で、昔の侍並みの剣の達人だぞ、と聞かされていたが、実際に会って話をすると、原田社長の見た目も人あたりもそんなに怖いとは思わなかった。自分の誠実さが受け入れられなければ、それはそれで仕方ないことだと割り切って話を続けた。

          「・・・これが当社と私の、えーっと、なんですか、、」

          「Profileだな」

          「そ、そ、そうです」

          「それで?」

          「是非とも当社の商品を見ていただければと」

          「見るだけでいいのか?」

          「いえ、if possible、買ってください」

          ミカエルは原田の視線を受けとめていた。強いともsharpとも思わなかったし、威圧的とも感じなかった。いや、その逆だった、柔らかい春の陽ざしをイメージするような、包み込まれる気持ちになって、ほんの一瞬だが恍惚となりかけ、そんな自分に恥じ入った。

           

          原田が横の松岡に語りかけた。

          「なあ、松岡、ホント気持ちの良い青年だよなぁ。気概があって気骨もある、男気もありそうじゃないか」

          「“粋”だって言いたいのですか」

          「そうだ、俺にはもちろんそんな気はねえが、艶っぽさもある」

          「社長、ベタ惚れですね」

          「その通りだ」

           

          ミカエルは、目の前の二人の会話のほとんどを理解できなかったが、恐らく自分を誉めてくれているのだろうと推測していた。

           

                   《了》

           

           

           

           

          | ukitama | - | 16:28 | comments(0) | - | - | - |
          立夏
          0

            5月5日は『立夏』、

            皆さんは立夏と聞いて、どんなイメージをお持ちになりますか?

            爽快感のせせらぎ、青い海、青葉、躑躅(つつじ)、芝桜、時鳥(ほととぎす)、etc・・・

            走り梅雨、なんていうのもありますが、概ねプラスイメージ、

            心地良い言葉であると感じます。

             

            時おり、言葉の“プラスイメージ”“マイナスイメージ”というようなことを申し上げておりますね。それはやはり、‘文化的な生活’に必要不可欠であり、“プラスイメージ”の言葉をたくさん共有することによって、商品の長所がいっそう分かりやすくなると信じているからなのです。

             

            たとえば『病院』と言う。

            今でしたら誰しもがコロナのことを思い浮かべ、集中治療室の映像なんかをイメージする。『病院』の話の続きが、知人の息子が2,3年前に闘病生活をしていて回復して退院して、お世話になっていた同年代の看護婦さんのことが忘れられず、連絡を取って交際を願ったところ目出度く恋が成就して、ついにゴールインした・・・なんていうことであっても、その後、彼の病気は再発したりしなかったのだろうか、とか、コロナ禍に巻き込まれたりは大丈夫なんだろうか、、、なんていう詰まらぬ心配をしてしまってね、100%心から祝福とは行かないのも事実で〜

             

            逆に、『神社』と聞きますと、

            思い浮かぶのは、初詣であったり、結婚式であったり、お宮参りであったり、七五三であったりと、“めでたいづくし”、

            100%プラスイメージの映像ばかりですね。

             

            言葉の“プラス、マイナス”のイメージっていうのはホント重要、

            イメージを誤って使いますと、使い手の意図が通じないというだけではなく、

            支持されない、あるいは、反感を持たれる、ということにも。

             

            昨日の首相の『緊急時代延長宣言』、

            予想以上の空虚、事前の予測以上の酷さに、呆れを通り越して怒りさえ、

            という方が圧倒的なのではないかと思います。

            『断腸の思い』、、、何が!?!

            断腸っていうのはそんなに軽いものなのか、

            本来、身を切られる以上に痛みを感じるもの、死ぬ思いをするのが断腸なんじゃないの。

            首相の言ってることは99%が精神論でしかない。

            『あらゆる対策を』と言いながら、

            これまで全く何一つとして実行されてまへんな。

            10万円なんていつ貰えるやら分からんし、

            イの一番に言ってた『アベノマスク』は配られる気配さえなく、首相が我慢して極小マスクを付けているのを見るにつけ誠に苦々しく感じるだけ。

             

            それにつけても、昨日の首相の演説、

            『新しい生活様式』

            なんじゃ、これ!?

            前代未聞の噴飯もの!!

             

            誰や、こんな国家的危機の状況において、全く見当違いの言葉を堂々と書いて平気なバカ官僚は!

            それを大して考えもせずに使う首相もアホやけどね。

             

            『新しい』という言葉は、皮肉に使われることなしに普通に使えば100%プラスイメージでありましょう。

            そして、『生活様式』という言葉も、江戸期や明治大正には絶対に使われていなかった日本語。恐らくは昭和の後期、いや末期ごろに一般化した言葉ではないかと思われますね。ですから『生活様式』という言葉には“新しい”という意味も内包されているのではないかと思います。

            『生活様式』というのは、

            軽く言えば、個人の価値観と嗜好、物の見方のことであり、

            深く狭く考えれば、行動原理のことであり、

            現代においては特に、余暇の時間、仕事以外の時間の有益な使い方に重きを置いている姿勢であり、

            ほぼほぼ100%プラスイメージの言葉であります。

             

            コロナ禍の折りに、お上から『こうしなさい』と言われることが『新しい生活様式』ではない!

            馬鹿め!!

             

            30秒間手を洗え、

            四六時中マスクしろ、

            他人と離れろ、

            3密避けろ、

            パチンコやめろ、

            居酒屋に行くな、

            買い物は一人で行け、

            短時間で用事を済ませろ、

            都道府県境を越えるな、

            集うな、

            家で過ごせ、

             

            こんなことが生活様式なんて笑わせる、

            “おぞましい”ばかりの『べからず集』、

            江戸時代の『武家諸法度』にも並び称されそうな、

            『令和平民諸法度』

            ではござらぬか。

             

            そんなクソな『ご法度』を、

            『新しい生活様式』なんていうプラスイメージの言葉で糊塗して、

            国民を誤魔化し、

            実際のところは、

            我々を大人しく『従わさせる』ということに他なりませんな。

             

            よく考えてみるまでもなくこれは、

            ホント江戸期に戻ったような生き(息)苦しさ、

            って、江戸期には生きてないけどね、いや、ひょっとしたら江戸期の町民の方がもっとマシだったのかもしれない、なんてね、最近は思えるようになりましたよ、なんぼ江戸幕府が力持ってたと言えども、庶民の楽しみを取り上げるようなことはしなかったはずだから。

             

            『国家的危機』と言いながら、

            あまり危機とも感じてないのが首相を始め閣僚、官僚、そして国会議員たちでありましょう、彼らにはまるで切迫感というものが感じられない。

            大阪府の吉村知事を見ろ、

            『吉村、寝ろ!』と言われるほどの八面六臂、

            1年前に比べると明らかに頬がこけている。

            吉村クンのような男が国会周辺に存在しているか?!

            否、全く否、でございますね。

             

            100歩譲って『新しい生活様式』とやらを“ありがたく拝受”いたしましたとして、はて、それで我々は本当の生活をして行けるのかどうか?

            政府の言う『新しい様式』は理解しても、『生活』が抜け落ちてしまうことを一体どうしてくれる。

             

            これに関しての回答は全くと言って良いほどありませんな。

            『言うこと聞いとけ』の一点張り。

            マスコミの非難も全く迫力を欠く。

            ひょっとしたら首相は図に乗って、近年の地震や洪水による被災者が未だ仮住まいしている姿を『新しい生活様式に順応している』なんて思っているのではないのかな。

             

            首相は、『対策費の合計は118兆円』と言ってるけど、

            その中身には笑ってしまう。

            『真水(政府が実際にゼニを出す事業)』は、たったの十数兆で、

            あとは、税金の納付を1か月ほど猶予することや、民間からの融資を促進すること等が大きな金額ですぞ。これらってね、どれほどのものとなる?!

            税金を半分にしてくれるって言うのなら意味もあるけど、たったのひと月猶予というのは、最初の期日に準備していた者にとっては逆に面倒なだけ、単なる有難迷惑。

            一連の対策とやらは、ほとんどが“まやかし”、数字のマジックに他なりません。

             

            『諸法度』を大きく掲げるだけで、出口戦略も示せず、ゼニも出さない、

            対策は先送り、大して議論もせずに、フリだけしてる、、

            今の国会議員や官僚っていうのはホント楽な仕事ですな、

            首相を始め政府関係者は、結局のところ、責任逃れのための方便に徹しているだけ、

            胆力、肝なんて蚤(ノミ)のようなもの、そして心臓(晋三)は“チキン”だ。

             

            そんなゲームがあるのかどうか知らんけども、

            『国会ゲーム』があれば、登場人物総入れ替え間違いなしですな。

             

            さてまあ、政府、“お上”を罵倒する言葉なんてそれこそ腐るほどあるけども、

            いつまで言っていても仕方ありませんな。そう、非難するのは誰でもできる・・

             

            UKI氏はこの際、本当の『新しい生活様式』というものを考えることが非常に有意義ではないかと思っております。

            『コロナ後』、世界と日本がまた元に戻るかと言うと、絶対にそんなことは有り得ない。倒れたものが簡単に復旧しないだろうし、それが消えてなくなることもたくさんあるでしょう。また逆に、コロナ禍によって現れた新しいビジネスモデルも色々ありますね、それらが『コロナ後』に大きく発展することもあるでしょう。

             

            何が消えて何が進化するのか、、

            それを考えながら、本当の意味での『新しい生活様式』を想像してみまするに、

            やはり形のある物は強い、

            形がある物がこの先も存在し続けるであろう、ということ。

            一方で、“サービス”というものの有り方が大きく問われる時代が来るのであろうということが容易に想像されますね。これまで“良い”とされてきた『ハイタッチ』なものが嫌がられるというケースも増えるのではないかと思いますし、タクシー・ドライバーによる買い物サービスなんかは流行るのかもしれないし、介護の現場での工夫も凝らされるに違いないし、通販サイトはますます興隆することでありましょう。

             

            『生活様式』という語は、オーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラー(1870〜1937)によって誕生したと言われておりますね。

            当初の意味は、

            「幼児期に確立された人の基本的性格」

            なんだとか。

            たとえばUKI世代から上の者であったなら、畳や障子のある和室の生活を懐かしみ、囲炉裏端などに郷愁を覚え、そのような物が存在する古民家での生活に憧れることを言うわけですな。

            これが、日本語訳の四字熟語の漢字通りに、

            「生きる方法、様式、形」

            という広義で論ぜられるようになったのが20世紀も後半になってからのこと。

             

            そして、現代において『生活様式』と言えば、前述いたしましたが、

            《消費者行動、消費者によって選択される商品》

            を言う場合が一般的になっている訳です。

             

            もうひとつ言えば、

            《消費者行動》が、幼児期に確立された性格に基づき、

            個人の自己イメージの表現とみなせばですね、

            我々の世代も今の小学生の世代もほぼ等しく、

            世界に存在する“美”を十分に意識しながら幼児期を過ごして成長したのであって、

            そういう意味からも、

            ダイヤモンドやジュエリーは、『本当の新しい生活様式』にも十分に適合してゆけるのではないかと信じております。

             

            日本は欧米に比べると遥かにコロナ禍に対して安全な国であるのに、

            どうしてこんなに“あたふた”とするだけで、何も対策が進まないのか?!

            本来なら、こちらが同情してあげるべき海外のサプライヤーから『おい、大丈夫か?!』と心配されている有様、

            昨日もメールで『日本市場には当分の間、商品は不要だな』なんて言われてしまいました。

             

            何か本当に変な感じ、

            今、我々日本人は、コロナ禍との戦いと同時に、

            『ご法度』を連発し続けるだけの政府に対して、

            これまでの『生活様式』を守る戦いを行わないといけないという理不尽に直面しているわけですね、

            考えていると全く馬鹿らしい。

             

            このページの読者の皆さんの生活様式を守る手立てはこれしかない、、

             

            Buy Color Diamonds !!

             

             

             

             

             

             

             

             

            | ukitama | - | 16:43 | comments(0) | - | - | - |
            ダイヤモンド今昔物語ーその19
            0

              1995年1月18日午前11時、原田商事大阪支店の支店長、堂前は、機上の人となって関西空港から離陸した瞬間だった。機首を大きく上げながら上昇してゆくKLM機の右側には、大小数えきれないほどの噴煙が上がっていた。信じられない光景、神戸の街は一体どんな有様となっていることだろう、胸が張り裂けそうな思いであった。

               

              前日の早朝に神戸を襲った地震が、あたかも巨大な恐竜がのし歩いたかのような爪痕をつけていた。地震の直後に発生した火災は、消火活動が遅れるか全く不可能なものが大半で、完全に焼け落ちてしまって鎮火したところを除けば、ほとんどのところでまだ燃え続けていたのだった。堂前は、こんな折りに海外買い付けの予定が入っていて、なんとか出発できたことが果たして良かったのかどうか、まだ計りかねていた。震源地の神戸沖からは比較的距離のある大阪府南部に住む堂前の家でも大きな揺れを感じたが、幸いにして、仏壇の蝋燭立てが倒れて畳の上に落ちたくらいのもので、被害は全くなかった。しかしながら、その日の出勤はままならなかった。ところどころしか動いてない私鉄を乗り継ぎ、何とか大阪市内までたどり着いたものの、地下鉄が全く動かず、30分ほどの徒歩を余儀なくされた。大阪市内は、神戸のようなことはなかったが、全く無傷でもなかった。銀行の店舗の窓ガラスが割れて道に散らばっていて、ゆっくりと歩かないとケガしそうな箇所があったし、看板が落ちているところもあった。やっと原田商事大阪支店が入っているビルに着いたと思ったら、様子が変だった。明らかに中の照明が消えていた、こんなことは過去になかった。ビルの入口の自動ドアはピクリとも動かず、ひょっとしたら手動になっているのかなと思って横に引いたものの、完全にロック状態であった。ケイタイが鳴った。本社からだった。

               

              「はい、堂前です」

              「お疲れ様です、本部長におつなぎします」

              「堂前くん、ケガはないか」

              「はい、なんともありません」

              「良かった。無事でなにより、ホッとしたよ。今どこ?」

              「支店のビルの前です。入口のドアが開かなくて、入れないんです」

              「まさか傾いているとか、、、」

              「いえ、それは大丈夫です。多分、電気系統がおかしくなっているだけだと」

              「社員はキミの周囲にいるのか?」

              「いえ、誰も。私も今ここに到着したばかりで。地下鉄が全く動いてないんですよ」

              「そうか、それは大変だったな。キミのケイタイから社員の全てと連絡を取るのは大変だろうから、こちらで手分けして無事を確認しておくよ。キミはこれからどうするつもりなの?」

              「とりあえず、ビルのメンテしている会社を訪ねて、なんとか入れるように・・・」

              「そうだな、全てはそこからだ」

               

              10階建てだが、床面積60屬曚匹両さなビルだった。原田商事大阪支店は、その6階から8階までの3フロアを借りていた。なんとかビルのオーナーを探し出して連絡がつくまで1時間、そしてオーナー氏が駆けつけてくるまで更に1時間を要した。気分と同じように、どんよりと曇った空の下、しんしんと冷える空気の中、堂前はずっとその界隈に立っているしかなかった。気が付いたらもう午後2時になっていた。本社に電話したら社員全員の無事が確認されたということだった。非常階段を使って6階の部屋に入ると、いくつかの書類が床に散らばっていた。電子秤がデスクの端から落ちそうになっていた、テレビで見た高速道路の光景が重なった。7階に上がると、大きな金庫の位置が20僂曚疋坤譴討い拭C忙或佑かりでようやく少し動かして位置を変えたことがあったほどの重量だったのだ、思わずその場に立ち尽くした。8階の自分のデスク周囲がやはり一番荒れていた。元の場所にある物は皆無と言ってよかった。いずれにしても、電気系統が復旧しないうちは仕事にならない。それが済んでオフィスの片づけをやって、元の業務に戻るまでは3,4日かかるのであろう。その折りに不在となることは支店長として心苦しいことだったが、堂前は海外買い付けを優先することにした。老練な支店次長の世古がちゃんと後始末の指揮を執ってくれるだろう。買い付けに必要な書類やツールをカバンに入れ、堂前は混乱した頭でドアを閉め、カギを掛けたのだった。

               

              KLM機は水平飛行になり、シートベルト着用のサインが消えた。もう神戸の街は見えなかった。ここまで来たからには後戻り出来ない。全ての雑念を振り払って買い付けに集中すべきだった。やはり多くの人がフライトをキャンセルしたか延期したのであろう、ボーイング747の2階のビジネスクラスはガラガラだった。何気に斜め後方に目をやると、堂前とは反対側、左の窓際に“業界人”の板谷の顔が見えた。板谷は堂前よりも一回り上の世代で、板谷が経営する会社は大阪の老舗のひとつだった。堂前はすぐに立ち上がって挨拶に出向いた。

              「社長、お久しぶりです。社長もAntwerpですか?」

              「おお、誰かと思たら堂前クンやないか。相変わらず忙しいこっちゃな。わしはイスラエルや。せやけど、お互いホンマ商売熱心やな、こんな折りに」

              「そうですよね、普通なら買い付け行くの、やめますよね。悲しい性(さが)ですね、お互いに」

               

              板谷に、空いている通路側の席に座るように勧められ、堂前は従った。

              「しかし、こんな時でさえ買い付けに行ってダイヤしこたま見れるっちゅうのは幸せなことやで」

              「そうかもしれません、そういうことはあまり考えてませんでしたけど」

              「やろなぁ、若いからな。わしは学生の時からオヤジの仕事を手伝うてたのやけど、その頃はホンマにダイヤなんて少なかったでぇ。ちょうど二十歳の時にな、昭和41年やけども、心斎橋の‘そごう’で、『大蔵省放出ダイヤ』が売り出されたんや。オヤジに『お前、ちょっと見に行ってこい』って言われてな、行ったら、えらい人や。店に入られへんどころか、そごうの周囲を行列が二重取り巻きや。こんなもん並んで待っても、いつ入れるやら分からん。直ぐに諦めて帰ってきたわ。オヤジに『アカンわ、競争率高過ぎ』って言うたら、『アホか、お前!』って叱られたけど、どう考えても、買うどころか、ダイヤさえ見られへん人の方が多かったんちゃうか」

               

              大蔵省放出ダイヤ・・・・?!?

              第二次世界大戦中、航空機や兵器などの製造に必要だと言って、政府が民間に供出を求めたダイヤモンドのことである。昭和18年から翌年にかけて新聞などで国民に呼びかけ、な、な、なんと、合計約150万個、16万カラットにもなったと言われる。当時のダイヤモンドは、金(ゴールド)やプラチナとほぼ同じような存在、通貨よりも信頼の置ける物と国民に認識されていたのであろう。軍部は当初、大砲や戦闘機に不可欠な部品の代用品としてダイヤモンドを考えていたようだが、実際にはほとんど使われることなく終戦を迎えた。終戦後は、一時期、米軍に接収されたものの、その後返還され日銀の地下金庫に収蔵された。世の中が落ち着き、東京五輪も成功させ、一般大衆の多くが宝石に目が向きだした昭和41年に、個人向けの売り出しが始まったのであった。

               

              CAがカートを押してやってきた。

              「Would you like some drink?」

              「Beer, please」

              「Me, too」

               

              堂前はビールを喉に流し込んだ途端に疲れを感じた。それは、まだ買い付けのための移動が始まったばかりというのに、長い長い旅の後、やっと家に戻った旅人の疲れのようでもあった。板谷は屈託なくビールと機上の時を楽しんでいるようだった。『そう言えば、この人はシワイ(吝い、けち)ことで有名やったな、只なら何でも嬉しい、みたいなこと言うてたな』、堂前は業界人の噂を思い出して少し笑えてきた。板谷の会社の営業マンは、どんなに大口の顧客であっても会社経費による夜の接待は許されず、接待として許可されているのはランチの一人1,500円までということだった。板谷の社員にランチを誘われ、『昼は忙しいから』と断ると、『それではモーニングを一緒に』と言われ閉口した〜というような笑い話も伝わっていた。『ホンマになあ、何が悲しゅうて男と一緒に朝のコーヒーをともにせなアカンねん』と、また笑えてきた。

               

              「なに笑ろてんねん?」

              「いえ、あの、その〜・・うちの社員がね、昭和の終わり頃ですけども、海外出張に出発する時に、成田で弁当と缶ビール買うて、こういうタイミングで食べだしたら、CAに見つかって叱られて、弁当と缶ビールを取り上げられた、っていう話を思い出しましてね」

              板谷に、心の中を見透かされたのかと堂前はヒヤリとしたが、なんとか切り抜けた。

              「それって、ひょっとしたら、矢沢クンのことちゃうか?」

              「ご存じでしたか、本人が言うてましたか?」

              「いや、初耳やけどな、なんや矢沢クンと直ぐに重なったわ」

               

              4年前の湾岸危機の折り、かなりヤバくなるまでTel Avivで買い付けしていたのは矢沢だけではなかった、板谷もその一人だった。板谷とはTel Aviv、Ramat-Ganのレストランでよく顔を合わせていたことは矢沢から聞いていた。

               

              「矢沢クンは元気なんかな?」

              「あいつが元気なくなるようやったら他のもん皆ICUに入ってますわ。そのへんは板谷社長と同じちゃいますか」

              「また人を野犬みたいに」

              「いやいや、その通りでしょう」

               

              機体が右旋回のあと左旋回になった。板谷の顔の横の窓からは能登半島がクッキリと見えた。この飛行コースは初めてのような気がした。

              「地図と一緒やな」

              板谷も堂前と同じことを思っていたようだ。

               

              「ところで、社長は大学卒業した後、すぐに家業に入らはったんですか?」

              「そのつもりやってんけどな、オヤジが『この商売も先行き読めんから、ワシが元気なうちに、よそのメシ食うてこい』言うから、商社に入ったんや、、よりによって安宅産業にな」

              「それって、倒産した総合商社ですよね」

               

              安宅産業は、昭和の半ばから50年代にかけて、“物産”“商事”を始めとする10大商社の一角を占めていたが、1975年、カナダにおける石油精製事業の失敗により巨額の損失を出し、資金繰りが悪化、自転車操業となって、ついに1977年、伊藤忠に吸収されて消滅したのであった。

               

              「ワシが安宅に入ったのは昭和43年(1968年)やけど、そのころ既に腐りかけとったんや。そんなことも知らんとなぁ、ホンマにアホやったわ」

              「安宅には何年?」

              「丸5年。よう我慢したわ、5年も。今で言う“Black”や、しかも超が付く」

               「どんな部署で仕事してはったんですか?」

              「地下資源関係や。入社して半年も経たんうちに、『天然ガス開発事業を監督してこい』と言われてな、インドネシアに飛ばされて、訳の分からんままに8ヵ月もおったわ、ジャカルタから船で何時間もかかるクソ暑いところやった、まるで南方戦線の出征兵士やな」

              「まさか、ヘルメット被ってツルハシ持って、ドカチンやってたとか??」

              「そう、全くその通り」

              「そんな、アホな!」

              「冗談みたいなホンマの話や。当時の商社マンには、その種の作業も当たり前のように思われてたけどな。ワシの場合は、ガス田開発したのに、天然ガスを積み出す港湾までのパイプラインが未整備で、パイプライン敷設作業に関係する諸事の調整が主な仕事やってんけど、いつの間にやら現場の最前線に立たされとった。立ってるだけならええけども、重機が入らん箇所がいくつもあってな、その都度ドカチンやで。現地で雇った土木作業員は、日本人の現場監督が動かんことには仕事せんのや、ホンマ難儀した」

               

              堂前は、吝い(しわい)とばかり思っていた板谷を少し見直した。戦後の日本の復興と発展は総合商社の活躍なくしては有り得なかった。板谷は、“株式会社日本”の尖兵として世界中に送り込まれた“戦士”の一人だったのだ。

               

              「しかし、石油ショックがあったとは言え、総合商社がそんなに簡単に消えてなくなるものなんですか?」

              「そこや。創業者のアホな長男が世襲したのが全ての間違いやな。あんなボケ、カス、あんまりおらんでぇ。大卒の初任給が4万や5万や言われてる時に、年商1兆円超えてる企業動かしてたんやから、そりゃまあ勘違いしても無理はないけどな。それにしても、どアホの2代目は、会社のゼニで美術品買いまくって、、、キミもちょっとは聞いたことがあるやろ、安宅コレクション」

              「あ〜そうでしたね、中之島の中央公会堂の隣の」

              「そうそう、それそれ。東洋陶磁器美術館。膨大な安宅コレクションを展示するために大阪市が建てたんや」

              「呆れて言葉もおまへん」

              「その息子、3代目も負けんくらいアホでな、親父が陶磁器なら俺は車や、言うて、クラシックカーを数十台買い漁った」

              「うっ、へっー」

              堂前はビールのグラスをひっくり返しそうになった。

              「諫言する番頭さんとか、いてなかったんですかーー」

              「そこやがな。普通の大企業なら銀行が入って来てトップの首をすげ替えて資金援助して立ち直らせる。けどな、安宅のバカ殿の周囲には、その数300とも500とも言われた“家臣団”がおってな、そいつらがまた利権集団に成り下がってたということや。こんな会社、銀行が支援すると思うか」

              「なるほど、よう分かります。どうせなら、世界中から超弩級のダイヤを買ってコレクションして欲しかったですよね、市立美術館が盗賊に狙われるほどの」

              「買うとったやろ。ダイヤや宝石類はどうせクソ親子の懐(ふところ)にしっかりと確保されとるに違いない」

              「そりゃそうですよね」

               

              CAがまたカートを押してやって来るのが見えた。食事の時間が来たようだ。堂前は、『それではまた』と板谷に言って自分の席に戻った。支店長に昇格して初めての買い付けだった。板谷と話して、かなり平静を取り戻したものの、神戸の街がやはり脳裏から離れなかった。震災に動揺して買い付けに失敗するなど有り得なかったが、出鼻をくじかれたというようなものではなかった、暗闇でいきなり殴りつけられたような気分だった。こういう折りに、原田社長や松岡本部長と何か仕事の話でもできれば少しは気持ちがリセット出来るのではないかと思った。しかし、そんなことを思う自分は、かなり甘えた存在なのだろうとも感じた。改めて自分が大阪支店長に抜擢されたことの意味を噛みしめた。堂前は37歳になったばかりだった。アッと驚く人事が多い原田商事の中でも、かなり“驚愕度”の高い抜擢だった。支店長になるまで、堂前は管理職ですらなかったのだ。

               

              お互い全く何も知らされることなく、支店次長に昇格することになる世古とともに呼び出され、新幹線に乗って東京本社に向かったのは2か月前、11月半ばだった。大阪支店長の吉田は、体調を崩したままひと月以上出社できず、ついに12月15日をもって退職することになったのだった。支店次長は長らく空席で、世古がその代理を務めていた。世古は、転職してきた元銀行員の経理マンだった。原田に入社したのは堂前とほぼ同時期で、今年55歳のはずだった。大阪支店の経理を一手に任され、仕事は手堅く、細かい経費諸々の管理から得意先の信用調査や与信管理まで広い守備範囲を任されていた。東京に向かう新幹線の中で堂前は、『世古さん、支店長就任おめでとうございます』と言ったら、世古は真剣に嫌がっていた。『ちょっと待ってくれよ、なんでワシやねん、経理マンがトップになったら営業マンたちの‘やる気’を削いでしまうでぇ』と言って心配していた。いつも冷静沈着な世古でさえ、堂前が支店長になるとは夢にも思ってなかったようだった。『ところで、堂前クンは何用で本社に?』と聞かれ、『ひょっとしたら、どこかの駐在員に飛ばされるのかもしれないですね。僕もイヤですよ、嫁はんも子供もいてるのにインドやイスラエルに行かされるのは。そんなとこ、単身で行かなアカンやろし』、、、などと言っていたのだった。本社に着くなり社長室に通された。ドアを閉めて前を見ると、社長と本部長、そして何人かの役員が揃っていた。『これは一体、何事?!?』と急に緊張してきた。本部長が一歩前に出て言った。

              「それでは辞令を交付します。名前を呼ばれたら、社長の前まで進んでください」

              「堂前清」

              「はい」

              「大阪支店、支店長を命ず」

              「えー?! なんですって??! まさか、、ウソ、でしょ???!」

              「ホンマや」

              と原田が言って、役員たちから笑い声が漏れた。

               

              そのまま会議室に移動して、濃密なミーティングが始まった。

              「堂前クンにとっては青天の霹靂以外の何物でもないと言うか、そんなありふれた表現では全く足りない不測の事態だろうが、不思議なことに、役員の反対は全くなかった。いや、反対だ、ほとんどの者が積極的な賛成だった。だが、この人事の発案者は私ではない、全く珍しいことに松岡本部長だ。では、本部長、人事の要諦を言ってやってくれ」

              松岡が大きく咳払いした。

              「全く珍しいとは大いに気に障る表現ではありますが、、、確かに私は頭が固いことで有名で、社内がアッと驚くような抜擢人事は常に社長からの発案でした・・・、今回、堂前クンを・・・」

               

              とかく“まとまり”に欠け、チームプレーが苦手、個人プレーに走り過ぎと言われている大阪支店だった。吉田支店長が病を得て出勤が遅れがちになると、それはいっそう顕著になったのであった。

              「支店の約半分が堂前クンよりも年上の社員だから、堂前クンに上からの強い指導力を発揮してもらうことを望んでいる訳ではない。バランス感覚に優れ、周囲が良く見えているサッカーやラグビーの背番号10番の役割を担って欲しいと思っている・・・・・・

              ・・・そう、支店をOne Teamとして機能させることが出来るのは堂前クンだけだと判断した」

              「松岡、“One Team”なんて、そんな斬新な言葉、誰が言ってたんだ?」

              原田の横槍に松岡は一瞬、ムッとなった。

              「私のオリジナルです」

              「それこそ、ウソやろ」

              「まあ、いいでしょう、21世紀になったら小学生でも言うようになりますよ」

               

              何度か寝て覚めてを繰り返しているうちに、いつの間にやらKLM機は下降体勢に入っていた。フラットな大地を縦横に延びる運河がカチンコチンに凍結しているのが見えた。『Amsterdamの気温は氷点下10℃・・・』という機長のアナウンスに思わず身震いしてしまった。スムーズにTouchdownして駐機場に移動するまであまり時間を要しなかった。二階席から下り、到着ロビーに出てきたところで、現地のマスコミであろう男に呼び止められた。『地震の話を聞かせてくれ』と言ってきた。『神戸の街が燃えていた』と言うと、『そんなことはテレビで見て知っている。個人的な体験を』と言われ、『そんなこと急に言われてもなあ』と考えていたら、『OK, Have a nice day』と、他の者のところに行ってしまった。Tel Avivへ向かう板谷と別れ、堂前はEU域内の乗り継ぎ便発着エリアに向かった。欧州大陸時間午後3時だった。緯度の低い真冬のオランダは、もう十分に夕刻だった。あまり明るいとは言えない長い連絡通路に、光が平たい板のような形に射し込んできていた。皮肉なことにその光景は、海の底のように静かで平和であった。

               

                  ― 続く ―

               

               

               

               

               

               

              | ukitama | - | 16:43 | comments(0) | - | - | - |
              超逸品!!
              0

                コロナ禍の折り、

                日本の主要都市の代表的な繁華街の人出は7割から8割の減少になったとか、

                 

                心なしか天候まで不順のように感じますね、

                まあ概ね晴れで、気温もそれほど低いということもない大阪なんですけども、

                何かその、暮春らしくないと言いますか、

                4月の末近くになってまいりますと普通は、昼間に肌寒いなんてあまり感じないはずなのに、何故か室内でもジャケットを羽織りたくなりますね、、

                ホント心の持ちようというのは怖いものです。

                 

                まだ時期尚早、と言われるかもしれませんが、

                ウッキーは、コロナを恐れるよりも、コロナと戦い、コロナとの共存を考えるべきだと思います。

                どう考えても、コロナを完全に封じ込めるのは不可能ですし、

                年寄や難病に罹っている人は別にして、これまで普通の健康体であった人がコロナに罹患しても、通常の病と同じ扱いにすべきなんじゃないかと。

                 

                とりあえず、5月の連休明けまで、というコンセンサスは出来ておりますが、

                5月6日になって収束しているかと言うと、常識的に考えて全くそんなことは期待できないですからね。

                そうなると、次はいつまでなのか、更にひと月なのか、ふた月なのか、、、

                ふた月ということになると、もう夏ですよ、夏になっても皆で暑いめしてマスクして、それでも不十分と家に籠るのか? 

                さあどうなる?!? 

                エアコンの使用で電力不足、時には停電ってことになって、

                コロナ以外での体調不良が激増、

                もう国中にっちもさっちも行かなくなる・・・・

                それで良いのですか?!

                 

                幸いにして、と言うべきでありましょう〜

                アメリカでは、“がんじがらめ”の規制に対しての大きな反発が出始め、ジョージア、テネシー、サウスカロライナなど6つの州で企業活動が再開されるのではないかという観測がなされ、トランプ大統領もそれを禁ずるようなことはしないであろうと見られておりますから、ひょっとしたら、アメリカではコロナ禍をある程度覚悟のうえで、わりと早い時期に、ほぼ全土での経済活動の再開に動くのではと期待されておりますね。

                 

                しかしまあ、いつものことながらの“想定外”、

                残念ながら我が国では、前例のないことに首相を始め閣僚たちが右往左往、官僚たちは責任逃れの方策を考えるのみ、野党はここぞとばかり、コロナを奇貨としての政府非難ばかり・・・・

                現在、国会付近にいるのは無能な奴らばかり、というのが良く分かっただけのコロナ禍・・・・・

                せめて、国民の“生殺し状態”だけはおやめいただきたい!

                これは恐らく、無理な注文なのでありましょうが〜・・

                コロナと戦い、うまく共存できる“適度な”距離感の構築を!!

                 

                ―――――

                 

                さて今日は・・・

                こんな折りにも関わらず、

                 

                皆さんに“超逸品”のご紹介、

                じゃジャーーン!!

                 

                 

                 

                0.52crt Fancy Intense Green Blue VS1 GIA鑑定書付き

                 

                今、日本にあります。

                 

                How much?

                 

                税込み9百、、行かない!

                 

                8、・・・、000円

                 

                魅力的でしょ。

                ご注文お待ちしております。

                 

                 ・・・・・

                 

                われの目は今日もわが顔あることを忘れ

                青葉のさやぎに遊ぶ

                 ― 栗木京子(1954〜)―

                 

                美しいダイヤを見ている自分の目を意識したことがありますか?

                美しいダイヤを見ているうちに、美しいダイヤの目を意識することもあります。

                そして、美しいダイヤを見ているうちに、

                はたして本当に、ダイヤがこんなにも美しいのか、

                自分自身の目が間違っているのではないのかと、

                時間が止まった瞬間、

                を感じる時。

                 

                 

                 

                 

                | ukitama | - | 16:59 | comments(0) | - | - | - |
                しっかり営業してます!
                0

                       さくら餅 うち重りて ふくよかに

                           ― 日野草城(19011956

                   

                  和菓子っていうのは京都生まれが多いそうですね。けれど、桜餅は江戸生まれなんだとか。享保二年(1717年)、餅屋の主人が、墨田川沿いの桜の葉を塩漬けにして、それを餅に巻いて、向島長命寺の門前で売り出したのですな。それが大ヒットして現在に至る〜ということなんですが、面白いことに、今では、江戸風(関東風)と、京風(関西風)、大きくふたつに分かれているのだそうで〜女性の方は良くご存じのことと思います、、、薄く焼いたクレープ状の生地で餡子を包んでいるものが関東風、もち米のつぶつぶで餡子を包んでいるのが関西風〜・・・

                  2週間ほど前、テレビでやってましたが、そのボーダーがどのへんなんだーーーと、関西のあるテレビ局が調べに出ましたところ、浜松の東あたりでしたね、でも、静岡県の和菓子屋は、関東風と関西風、両方を販売していると言うところが多かったですな。しかし、何か変な感じもしますね〜江戸の餅屋がオリジナルで作った桜餅なのに、江戸の桜餅はクレープなの??

                  ますます謎が深まる??!

                   

                  大阪の桜も完全に終わってしまいまして、葉桜を待つばかり、

                  今の桜の木って言うのは、寂寥感とも言えず、ホント無残で、かわいそうという感じ、早く萌え萌えの季節がやってきてほしいものですね。

                   

                  さてまあ、桜のあとの“空白期間”、そしてコロナ禍、

                  心が沈みがちなのは致し方ないですね。

                  そして、ジュエリー関連のお店も一時休業を余儀なくされているところが多いようですね。

                   

                  しかし、

                   

                  こんな折りでも、

                  当店はしっかりと通常通りに営業しております。

                  どうか皆様、

                  ご遠慮なく、お問い合わせくださいますようお願いいたします。

                  ウッキーは、もう2か月近くも、電車にもバスにも乗らず、夜遊びもせず、

                  余暇はひたすらに読書とジョギング、

                  “超健康的”な毎日を送っております。

                  ウッキーには、コロナの死滅したウイルスさえも近づくことはありますまい。

                  どうかご安心ください。

                   

                   

                  ・・・というところで、

                  今日もまた下らぬお話を・・

                   

                  ますます商品調達が難しくなっている現状ながら、

                  UKI氏は一生懸命に“より良い商品を安く”仕入れようと努力している姿をお見せしようかと、、、

                  比喩です、もちろん、文章だけ〜・・・

                  タフな外国人とのやり取りを少し、、この数日内のメールです。

                   

                  先方から、

                  『Thanks for your price increase , however I would like to make a few comments :
                  (指値を)上げてくれてありがとう。しかし(まだ不十分なので)、ちょっと言いたいことがある。


                  The fancy intense blue green is cheap and I am happy to sell cheap to you since you are working hard and paying always cash.

                  このFancy Intense Blue Greenは安い! キミは(UKI氏)は働き者だし、(売買が成立すれば)すぐに入金してくれるから、キミに安く売れることは私にとっても嬉しいことなのだ。

                   

                  So I can make it $------- for that.
                  Nobody saw it before .

                  だから、$・・・・で!

                  誰も(同様の商品を、こんな安い価格では)見たことがない!』

                   

                  Fancy Intense Blue Greenを買った時のやりとりの一部です。

                  ウッキーが、かなりきついめのOfferと辛口のコメントをしまして、それに対して上記のようなメールが来まして、これで簡単に先方の言うことを聞きますと、あとあとまた尾を引きますから、相手の言ってることはまあほとんど無視と言いましょうか、そんな難しい英語は分からん〜みたいな感じで受け流しまして、また少し価格を上げて再Offerした訳ですが、

                  それに対して言って来たメールが以下のもの〜

                  『To spend 1 month in India and to Go and buy directly in the factory is more dangerous or as dangerous than Corona virus.

                  インドの(ダイヤモンドディーラーではなく、ダイヤを研磨している)工場に直接に買い付けにいって 1か月を過ごすことは、コロナウィルスよりももっと危険なことだ。


                  Still so many cases of Malaria in India and you can easily die from it ,   and so many people who went to India have stomach pain all their life .

                  まだマラリアに感染して命を落とす人も多いし、インドに滞在中ずっと胃腸の具合の悪い者も少なくはない。
                  So please consider .
                  よく考えてほしい!』

                   

                  この前にもお話しましたが、

                  現在の日本のダイヤモンド輸入屋は、もうほとんどがインドの業者に頼り切り、インド人なしには商売が成り立たないというようなことになっております。

                  しかし、

                  インド政府が全国民に外出を禁じてしまいまして、ダイヤの商いやCut & Polishは完全にストップしております。ニュースでご覧になった方も多いでしょうが、インドの警官は怖いね〜パトロールしていて、外出している者を見かけると、持っている細いステッキのようなもので叩いたりしている。時には罰として腕立て伏せやスクワットをさせたりね〜、、映像で見て、マジかよ!?と笑えてきた人も多かったのではないかと思いますね、日本では有り得ないことです、そこまでするか〜ってね。

                   

                  いずれにしましても、

                  これまでインド行ってGreenやBlueを買ってきたというのに、まるで入らなくなって、どうしようと、それでも日本で売ってゼニにしないといけない、ということでのUKI氏とのNego、上記のようにホント色んなことを言ってくる。なんでマラリアが出てくるんだ? 胃腸の調子が悪い?! そんなことどうでもええやろ、ってね。彼はちょっと喋りすぎと言いますか、不要なことを言いすぎですな。上記のようなことを言われて、『そうか、それなら』と簡単に買ってしまうのはマイナー・リーグ、二軍選手です。全くね、UKI氏に対して、上記のようなことをグダグダと並べるのは失礼ですし、『ホンマ頑張るね〜』と笑えてくるだけ。


                  ・・・ということで??

                  このNegoは、最後には少しだけ譲歩したものの、

                  かなりUKI氏が望んだ価格に近いところでめでたくMazal(契約成立)となったのでした。

                   

                  ところで〜

                  まだ少し続きがある・・・

                  このところUKI氏があまり扱ってないYellow系を買えと迫ってくるのですーー

                   

                  『To come back to yellows even now A co. bought yellows because shortage of goods.

                  また黄色の話に戻るが、品薄の折り、A社(大阪のとある大手)でさえも最近はYellowを買っている。』

                   

                  以前から何度も何度もしつこく言ってきているけど、ウッキーもYellowは全くやらないことはなくて、今年に入ってからも何個も売ってますけども、上記のようなことで、(誰もが大量に扱い出したということで)全く興味が失せてしまいました、逆にやらない方が賢明、、価格競争に巻き込まれるだけ。いえ、価格競争したって良いのです、勝てたらね。しかし、物量がものを言うのでしたら、大手に勝てるわけがない、また、在庫して残ったらどうするの!という大きな不安がある。PinkやBlueやGreenのように希少品なら良いですよ。市場に大量に存在する商品を在庫してどんな意味があるのかってね。大量にあるということでもう既に“宝石”とは言えなくなっているのです。

                   

                  UKI氏は、難しくとも、高くとも、Pinkを始めとする美しいカラーダイヤ、

                  特にBlueとGreenに力を注いで行きたいと思っておりますよ。

                  ご声援よろしく!

                   

                   

                   

                   

                   

                  | ukitama | - | 16:39 | comments(0) | - | - | - |
                  風にもまれゆく楡
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                       風だにも 吹きはらはずば 庭桜

                       散るとも春の ほどは見てまし

                       ― 和泉式部(後拾遺和歌) ―

                     

                    ―風が桜の花びらを吹き散らかしてしまうことがなかったなら、

                    桜花が散っても庭に散り敷かれたままで、春の間は楽しめることなのに―

                     

                    江戸の桜はもう1週間以上も前に終わっているのでしょうね、京や大坂の桜も散り急いでいる頃、明日明後日にはもうその名残りをとどめるだけになりそうな気がいたします。

                     

                    コロナ禍の折り、在宅勤務されている方が圧倒的なのでしょうか? 知人が言ってましたが、息子がとある上場企業の新入社員なんだそうで、もちろん出社できず、在宅でパソコンによる研修を受けているのだとか。それがまた結構厳しくて、朝の9時に始まって、きっちりと夕方の5時までなんだそうで〜指導する人たちも大変やろね、今日びのことですから、指導する側からは生徒(新入社員)たちを個々に見られるようになってるのでしょうけども、やはり実際に目の前にいるような訳にはいかないだろうしね、身振り手振りもモニター上では少し分かり難いということもあるだろうし、『ちゃうちゃう』とか、『それは反対向きや』なんてね、大きな声で言ってるケースがしょっちゅうなんじゃないかと、、・・・

                    ウッキーもサラリーマン時代に新入社員を教えたことが何度もございましたけども、難しかったのは“ルーペ&ピンセット”、ピンセットでダイヤのルースを摘まんでルーペで見る。この単純な作業がですな、最初はなかなか上手くゆかないのですね、慣れたらどうってことないのですけどね。向かい合って座って、『右利きの者は、右手にルーペ、左手にピンセット』と言いながらウッキー自身も手に持つわけですけども、時おり逆になっている者がおりました。『サウスポーなのか?』と念のために聞きますと、『いえ、右利きです』と答える。少し緊張していることもあるのでしょうけど、UKI氏を鏡に思ってやれば良い〜とかって思っていたのでありましょうね。教える場合はやはり、すぐ横にいて時には手取り足取りが一番効果的です。まあしかし、イロハの“イ”からそんなようなことですからね、いざダイヤを摘まんでルーペの前に持ってくることがスムーズになるまでは相当に時間を要したものでございました〜慣れないうちはお互い本当に大変。指導者の皆さんの忍耐が続くことを祈っておりますよ。

                     

                    昨日、AGTからFAXが届きまして、何やろと見ましたところ、以下のような文章で・・・(ほぼ原文のまま)

                     

                    『・・・さて、この度の新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、当社ではお客様ならびに当社従業員の安全確保とお取引先様への安定したサービスの提供のため・・・(中略)・・・4月6日より社員の間引き出社を実施しておりますので、通常より納期にお時間をいただく場合がございます・・・・(中略)・・・何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。』

                     

                    もともと大して忙しくもないだろうし、ちょうどええやろ〜みたいなことを言っては失礼かと存じますが、、、それはどうでもええけど、

                    『間引き出社』ってね、、

                    もうちょっとマシな表現ないのかよーーって、思わず呟いてしまったUKI氏でございました。非常に良く分かる表現ではありますけどね、『間引き』の本来は、植物を育てる際の作業ですしね、増え過ぎたものを人為的に減らす行為なのではないのかと・・・それから“転じて”・・・・この先は言いたくはないですよね。もちろん社のリスク管理のために必要不可欠なことではありますが、そこまでマイナスイメージの強い言葉を使う必要性があったのかどうか、こういう時ですから余計にそのあたりの表現には気を配って欲しかったと、ウッキーは言いたいですな。

                     

                    社員の間引き出社だけなら何てことないですが、、

                    ダイヤ業界はホント大変、

                    最近の日本の輸入屋は、ほとんどがインドに頼り切り、でございましたから、Mumbaiがロックダウン状態となって、全く商品が入ってこなくなっているのではないかと懸念されますね。『この際、在庫一掃や!』なんて元気良く言えたら良いのですけども、なかなかそんな卸屋や小売店ばかりではありますまい。

                    ウッキーはどうしているのか?

                    幸いにしてメインのサプライヤーが、ダイヤモンドの現在の一大集積地とも言える香港に長期滞在中で、、、実はその男、香港から出ようか、どうしようか、と優柔不断にしているうちに出られなくなって、今となってはそれが幸いに転じているという・・・・、、お陰様で“潤沢”には遠いまでも、何とかなっております。中国本土が活動を再開し始めているということもあり、これからますます香港には商品が集まりやすい状況になるのでは、という気もしますね。しかし中国本土がまた活発な経済活動になりますと、今度は逆に、そちらに商品が流れてしまうことでの品薄〜なんてことになるやもしれませんけども。

                     

                    まあ、いずれにしましても、ロックダウンが終了しても、すぐに生産(Cut& Polish)が再開されてたくさんの商品が市場にやってくるということは考え難く、またArgyleも実質的に終わりを告げておりますから、Pinkを始めとするカラーダイヤの供給難はますます進行し、そのうちに純色Blueのように『ほとんどない、全くない』という状態になるアイテムもどんどん増えてくるのではないかと、大いに懸念されるところ。コロナ禍が終了した後、『こんな状況になるのが分かっていたら、コロナ禍の真っ最中に買っておくべきだった』なんてことにも・・・

                    いえ、これは皆さんにだけ言っているのではなくて、UKI氏にも当てはまることでしてね、毎日、送られてきた商品を買うかどうか大いに思案中!

                    しかしね、このコロナ禍の世界、売り手市場なのか買い手市場なのか、よく分からないところがあります。今日も朝から、1個をね、価格交渉していたのですけども、まずメールでOfferして、それに返事が返って来て、価格がAsking(出し値)とほとんど変わらないから、またメールして、『$○○〇にならなかったらgive upや!』と書いてやったら、早速に電話が掛かってきましてね、『よっしゃ、ブラフが効いた』と思っていたら、ほんのわずかな値引きで、『おいおい、そんな価格では話にならんぞ。こんな折りやぞ、しかも、日本では昨夜、首相が緊急事態宣言をしたぞ!』と言うと、

                    『So what?(それがどうした)』

                    ですからね。

                    そんなふうに切り返されるとは思ってもみませんでしたから、少し間を置いてしまって、、そうなるともうNegoは負けです、結局、ほとんど彼のAskingで買うことになってしまいました〜モノが良いから仕方ない・・・

                    そう、どんな時であっても綺麗な物を持っているということは売り手市場なんですな、当店が売り手の場合にはその法則は当てはまりませんけども。

                     

                    このような時勢になってまいりますと、笑えない話と言いますか、くだらないこともよく起きると言いましょうか、、

                    阪神の藤浪もようやく陰性になって退院できましたけども、この阪神若手選手たちのスキャンダルっていうのは本当にファンとしては腹が立つ、軽率も甚だしいですな。しかし、あれだけ集団で会食等は控えろと言われているのに、それを主催した藤浪のタニマチも全くどうかしておるね、お前ホンマにファンか! と、そやつを目の前に置いて怒鳴りたい気分ですな。『タニマチ』の語源が泣くというもの・・・知ってますか、どうしてタニマチなんて言葉が出来たのか・・

                    大相撲の世界の言葉であるというのはどなたもご存じのことかと、、

                    明治20年代と言いますから、もう100年以上も前のこと、大阪市内、谷町に大の相撲ファンの外科医がいたそうなんですな、病院の経営者であって、相撲好きが高じて病院の敷地内に土俵まで作ってしまった〜、恐らく、自身も多少の心得があって素人ながら強くて、‘マワシ’つけて相撲取ってたのかもしれませんな、、、そんなドクターでありますから、とにかく若い相撲取りを大事にする。ケガの治療は無償でやってあげることなんかは当たり前で、腹いっぱい食わせることはもちろん、『しっかり遊んでこい』と小遣いも与えて、、、ということですな、そう、これが本当のタニマチ。贔屓のアスリートを近くに侍らせて飲み食いをともにするのがタニマチじゃない、そんなもん、ただの自己顕示欲だろ、馬鹿馬鹿しい、藤浪のタニマチだけではなく、そのへんを勘違いしているアホが一杯おるのでしょうな。本当のタニマチが面倒見るのは高給取りじゃない、これから成長してスターになるであろう若手の諸君たちだ、よく覚えておけ、馬鹿者が。

                     

                    ・・・と言いつつも、高給取りでも若手でもないけど、

                    ウッキーもタニマチが欲しいなあ〜

                    カラーダイヤのためなら、ってね、ゼニ出してくれる人、いませんかね〜

                     

                    大相撲と言えば、もう1週間ほど前になるでしょうか、舞の海が産経新聞のスポーツ欄のコラムに書いておりましたね、(語ったことなのかもしれないけど)、『大きな非難を受けることを覚悟で言う、次の大相撲夏場所(五月場所)は、観客を入れてノーマルな形でやれ』と。

                    ホントこれは凄く勇気のある言葉だと思います。

                    誰だってそう思っているに違いない、けど、絶対に言えない。

                    感染を必要以上に怖がるあまり、感染による症状が大したことないのに、健康体とほぼ変わらぬ人をも厳重に隔離して世間から隔絶した生活を強制している、、、毎年、コロナよりも圧倒的に多数の犠牲者を出しているインフルエンザの患者にはそこまでしないだろと。

                    もちろん、インフルエンザにはワクチンがあり、コロナにはない、ということが大きいけども、

                    だったら、コロナに即効性のある薬品が完成するまで現状のようなことを続けて行くつもりなのか、、

                    そうなったら、コロナで健康を害されるよりも酷い事態が到来するに違いない。

                    国技の大相撲であるが故に、コロナ禍を考えるよりも、コロナ禍に負けないという姿勢を見せろと。

                    全く同感。

                     

                    しかしね、問題点がひとつ。

                    感染してしまうと、プロ野球の登録抹消と同じになるのですね、絶対に出られない。感染は、一時的にしろ、市民権剥奪と同義語。『俺はなんともない、仕事可能や!』と叫んだところで監禁されるだけと言いますか、家族と医療関係者以外誰にも相手にされなくなる、『とんだ厄介者、迷惑者』としての扱いしかされなくなる。仕事や商売なんてもう、もってのほか。

                     

                    舞の海の言ってることは全く正論だと思うけど、世界の流れが舞の海のような論調を全く受け付けなくなっている。

                    ホント残念と言いますか、脱力感ですな。

                     

                    藤浪クンのようになるのはイヤですから、ベッピンさん好き好きの諸兄も“濃厚接触”を控えておられることでありましょうが、

                    春ですからね〜やはり心にキュンと来ると言いましょうか、

                    何かそのような春っぽさ、ときめき、必要ですよね・・・・

                     

                    今日の〆は、こんな歌で〜

                     

                       鋭い声にすこし驚く

                       きみが上になるとき

                       風にもまれゆく楡

                        ― 加藤治郎(1959〜)―

                     

                    ♂♀の場面に違いないですな、声の持つ官能・・・

                    ところで、

                    なんで『楡』なんだ?

                     

                    楡を検索してみましたら、古代ローマの詩人、オウィディウスの作品が出てまいりました〜〜

                    『楡はブドウを愛している

                     ブドウも傷ついた楡を見捨てない』

                    ヨーロッパでは、楡と葡萄は良縁の象徴なんですな、と言いますのは、

                    古代ローマの時代からイタリアでは、葡萄を育てる支柱として楡を使っていたのですね。

                    どうやって?

                    葡萄畑で、葡萄と楡を一緒に育てる。楡がそこそこの背丈になった時、約3メートルのところで幹を切断し、その切断した下あたりからまた新芽が育つの待って、それを横の方向に伸ばしてやる。それ(枝)が十分に成長すると、それに葡萄の蔓(つる)が絡まる、という訳なんですな。

                    上になった女性の乳房は葡萄そのもの・・・

                     

                     

                     

                     

                     

                    | ukitama | - | 16:22 | comments(0) | - | - | - |
                    ダイヤモンド今昔物語ーその18
                    0

                      1991年4月7日、Antwerpダイヤモンド街、午前11時。アルノンは、オフィスのテレビでBBCのニュースを見ていた。湾岸戦争がようやく終結したという報道にホッと安堵の息をついた。実質的には、約1か月前の戦闘収束で終わりを告げていたが、なかなか矛を収めないアメリカとイラクの間にまた何が起こっても不思議ではなかった。幸いにして、アルノンのコディアム社は、湾岸危機から湾岸戦争へと続く約8ヵ月の間も全く売り上げを落とすことなく、順調な毎日だった。コディアム社は、アルノンの盟友であるエリック・オースティンの事業展開とともに大いに売り上げを伸ばし、その時期がちょうど日本のバブル期と重なったことから、短期で飛躍的な成長を遂げたのであった。数年前、資金繰りに頭を悩ませたアルノンの姿は、遥か遠い昔のことのように思われた。従業員も毎年、一人か二人採用してきたから、コディアム社は合計10名というダイヤモンド業界としては“ちょっとした”規模に成り上がっていたのだった。アルノンは、『名刀』、『懐刀』等と呼ばれたかつての輝きを取り戻し、その上に貫録を兼ね備えるようになっていた。そしてまた、ミカエルも頼もしい青年に成長していた。

                       

                      ミカエルはその日、25歳の誕生日を迎えていた。日本なら、並みの大卒者がようやく学生気分から抜け出して半人前から一人前の仕事を任されようとしている年齢であるが、ミカエルは既にダイヤモンド業界において、自分の立ち位置を確保し、それをいっそう強固なものとしていたのだった。ミカエルの親分であるアルノンも、もうミカエルなしでの会社経営は考えられなかった。ミカエルの獅子奮迅とも言える仕事なしでは、現在のコディアム社は有り得なかった。インド、Suratでの買い付け、Antwerpダイヤモンド街での販売、etc.,,アルノンが事業を拡大できたのはミカエルのお陰であり、今やミカエルは、アルノンの右腕以上の存在と言えた。また、体型こそミカエルは細身で長身となって、小柄でがっしりとしたアルノンとは全く違うが、顔立ちや顔つきは一段と似て来て、初対面の人からは必ず親子と見られていたし、長年付き合いのあるダイヤモンド街の者たちからも、『やはり姻戚関係があったのだ』と改めて思われることとなっていたのであった。アルノンもミカエルも、お互いに『そうなんだろう、そうに違いない』と思いつつ、もはやそんなことはどうでも良くなっていた、そうであろうと、なかろうと、今更ふたりの“師弟関係”が変わることなど想像できず、アルノンはミカエルにとって実質的に『育ての親』であったからだ。

                       

                      アルノンは、これまでミカエルに必要以上に厳しく接してきたことを少し後悔していた。文字通りダイヤモンド街の片隅から拾ってきて、雑用係としてオフィスに立たせ、ダイヤモンドのアソーターとして育て、セールスマンとしてダイヤモンド街の中をくまなく歩かせて来たことに、ひとつの間違いもなく、必要以上、ミカエルの働き以上の給料を与えてきてはいたが、優しい言葉なんてほとんど掛けたことはなかったと、若干ながら自分を責めるアルノンであった。

                      「ホント、今更だけどな」

                      独り言を言いながらアルノンは、隣の部屋にいるはずのミカエルをインタフォンで呼び出した。手狭なオフィスから昨年、いくつも部屋のある広いオフィスに引っ越したばかりだった。アルノンとミカエルは重厚感のあるデスクがある個室を使い、3人のマネージャーにもそれぞれ接客商談用の部屋を与えていた。極めて機能重視のオフィスであり、アルノンが使っている部屋からの風景はさほど良くなかったが、それもあまり気にならなくなっていた。

                      10秒も待たずにミカエルが入ってきた。

                      「Suratに行けと?」

                      「おいおい、誕生日にそんな怖い顔するなよ。とりあえず、25歳おめでとう」

                      「いえ、すいません、ありがとうございます、覚えていてくれて嬉しいです」

                      「忘れるはずはないぞ、俺がお前をAntwerp市民にしたんだからな。いい加減な親のせいで、お前は住民登録さえされてなかったんだ。幸いにして、お前が生まれた貧民街近くの病院に出生記録が残っていたからな、生まれてから十数年経過していても、めでたく市民となることが出来たって訳だ。まあそんなことはもうどうでもいいな。いや、なんだ、今更ですまないことなんだが、お前の誕生日をお祝いしてやろうかと思ってね。今日でも、週末でも構わんが、食事でもどうかな」

                      「ありがとうございます。でも、なんか怖いですね、代わりにとんでもないこと言われそうで」

                      「さすがに察しがいいな、まあ、そういう話もなきにしもあらずってとこかな。しかし、これも絶対にお前の将来にプラスになることだ」

                      「もう既に話が始まってますね」

                      「おお、すまん。続きは食事の後の楽しみだ」

                       

                      次の土曜日の夜、ミカエルはガールフレンドのエンケを誘ってアルノンに指定されたレストランに向かった。ダイヤモンド街から北西に2キロほど、川の近くの地中海料理の店だった。レストラン近くの駐車場に車を停めた。レストランの前の河岸には帆船が係留され、ライトアップされていた。レストランの建物は昔の砦か何かであったのだろうか、中世の趣きを十分に遺した風格を感じさせ、ミカエルのような者では気後れしてしまうほどのもので、それは有名な高級店のひとつだった。

                       

                      店の前に立つと、重そうなドアが中から開いた。思わず半歩下がってしまって、ミカエルは自分自身を嗤ってしまった。

                      「ミスター・ゴルダのお連れ様ですね。お待ちしておりました」

                      「あ、ありがとう」

                      店の奥の方のテーブルにアルノン夫妻が座っているのが見えた。ミカエルは長身を折り曲げるように小さくなりながら、自分が場違いなところに来てしまったと少し後悔した。やっとの思いでアルノン夫妻のテーブルに辿り着いた。アルノン夫妻が立ち上がり、ミカエルはエンケを紹介した。エンケはアルノンの夫人と頬を寄せて軽く抱き合った。ミカエルもアルノン夫人に同様にしたが、『あなた、まるでロボットのようよ』と言われ、ようやく緊張が解けた。

                       

                      「ここのオーナーも俺同様に、アレキシス氏に世話になって独立した人でね、アレキシス氏が存命のころからよく来ていたよ。だから、料理も雰囲気もAntwerpで3本の指に入ることは間違いない店だけど、ふたりともリラックスしなさい」

                      と、アルノンは言ったけど、貧民街育ちのミカエルは、慣れない風景に料理を楽しむ余裕なんてないように思った。少しして、オーナーとおぼしき男がやってきた。

                      「やあ、アルノン、よく来てくれた、ありがとう」

                      「ニコ、久しぶり、元気そうでなりよりだ」

                      「今日は、ピチピチの若い衆たちと一緒でご機嫌だな、アルノン。キミに顔だけ似たノッポくんは、甥御さんかな?」

                      「ああ、まあ、そんなところだ。しかし、顔だけって、俺がまるでチビでデブみたいだな」

                      「ハハ、いや、そんなことは一言も言ってないよ、気にするな」

                      オーナー氏はミカエルたちにも愛想を振りまき、去って行った。

                      「さっきも言ったけど、ここは確かに高級店だけど、気の置けない店だ。マナーに反しない程度にenjoyしなさい

                      とアルノンが言い終わらないうちに料理が大皿で次から次へとやってきた。ここまでしてもらって楽しまない手はなかった。音を立てないように気をつけながら、ミカエルはひたすら料理を口に運んでいた。時おり、エンケと視線を交わしたが、エンケもすっかり料理に魅了されているようだった。『若いって良いことね』と言うアルノン夫人の言葉が何か遠いところから聞こえてくるように感じた。

                       

                      ふと気が付くと、料理のほとんどをエンケと二人で食べてしまったようだった。

                      「どうだ、もうワンセット、最初から行くか?」

                      「ありがとうございます。是非、と言いたいところですが、それこそマナーに反しそうですね、遠慮しておきます」

                      「それが賢明だ。これからお茶とデザートの時間になるが、ちょっと大事な話もあるからな」

                      「やはり・・・」

                      ミカエルは急にブルーな気分になってきた。

                      「な〜に、そんなに心配することじゃない。オフィスで言ったように、きっとお前の将来に役に立つ経験になると思う」

                       

                      アルノンは、コーヒーとデザートを持ってきてくれるように頼み、テーブルの上が綺麗に拭かれるのを待って話し始めた。

                      「ミカエル、しばらく日本に住んでみないか」

                       

                      ミカエルは最初、何を言われたのか良く理解できなかった。『日本』『Japan』『Japon』『日本に住む』『Living in Japan』・・・

                      聞き間違いだろう、『東京に出張しろ』と言われたのだろうと思った。

                      「えっと、それはいつから、何日間ですか?」

                      アルノンは笑っていた。

                      「そうだよな、いきなりこんなことを言ってもな、すぐに理解できるはずはないよな。もう一度、ゆっくり言うから、しっかり聞いてくれ。日本、おそらく東京になると思うが、日本に住んで日本市場にダイヤモンドを販売してもらいたい。商品はAntwerpから可能な限り送る。日本での就労ビザが取れ次第に行ってもらいたい。期間は決めていないが、最低でも2年とか3年、、、、、」

                      エンケが泣きそうな顔になった。

                      アルノンはエンケを見て優しく微笑んで言った。

                      「エンケ、キミが望むならミカエルと一緒に日本に行ってもいいんだよ。もちろん、キミたち二人の渡航費と日本滞在費は会社が全額負担する」

                       

                      1991年4月9日、大阪、南船場。ダイヤモンド専門輸入卸、幸田トレーディングの営業部長、川島は、社長に退職願を手渡したところだった。もちろん、手渡したと言ってもそれは比喩であって、退職願の入った封筒は社長のデスクの上に置かれただけであった。『受け取れない』と言われ、型通りの慰留を受けたが、そんなことは想定内であり、退職願を『手渡した』という安堵感と強い解放感が川島の中に満ちてきた。社長にはお世話になったが、それ以上のことを返してきたつもりだった。給料以上の働きをしてきた自負もあった。

                       

                      日本が好景気となるとともに海外のダイヤ市場もそれに即応し、毎月何%かの値上がりが続いていた。為替レートが極端に円高に振れることにより、海外市場の値上がりを補って余りある利益を会社にもたらしていた。しかし幸田社長は、海外市場のドル建てダイヤ価格の値上がりにばかり気を取られ、悲観的な見方しかできず、買い付けに行ってもまとまった金額の商品を買うことが出来なかった。実際、一番極端な例として、1カラットのラウンドのF VS1のAntwerpメイクの物の価格は僅か3,4年で$2,000から$4,000になっていた。1985年の『プラザ合意』直前に《$ = ¥260》であったのが、わずか3年後には《$ = ¥125》を記録していたのだから、ダイヤのドル建て価格が倍になろうが、輸入価格はあまり変わっていなかった。1980年代初頭の海外市場のダイヤ価格値下がり局面での大きな買い付けで利を上げたという成功体験が社長の全てだった。とにかくダイヤのドル建て価格がいつ何時下降に転じてしまうかという不安と期待が社長の全てであったのだった。まさに地を這う“チキン・ハート”以外の何物でもなかった。そんな社長に代わって、川島は実質的に買い付けの指揮を執り、3,4名の社員を効率良く海外に出張させて、商品を円滑に調達することに気を配っていた。

                       

                      1989年(平成元年)10月、恐らくはバブルのピークに達したと思われた頃、川島は3週間の海外買い付けに出た。インド、イスラエル、ベルギーに1週間ずつ滞在し、合計約350万ドル(約4億円)の買い付けを行った。それでも商品は瞬く間に売れてしまった。11月末から12月にかけて、川島は再び機上の人となった。社員の一人が体調を崩して戦列から離脱し、代わりに社長に買い付けに出てもらったが、全くのピンボケの仕入れで、量も全く少なく、注文分さえ全く不足して、お客さんに言い訳が出来なかったからだった。川島も、度重なる海外出張とホテル生活、ストレスから不眠症になって深酒を繰り返し、体がボロボロになるのではないかという心配が常にあった。

                       

                      川島の心配は杞憂に終わった。川島の体が壊れる前に、バブルが弾けたのだった。翌平成2年、4万円近くで始まった日経平均株価は、徐々に値を下げ、7月半ばになってやや値を戻したものの、イラクのクウェート侵攻による湾岸危機勃発で完全に一本調子の下落となり、9月末にはついに2万円を割り込んでしまう事態となったのであった。もともとバブル期には、株の売却益での高額ダイヤ購入が多かったから、ダイヤモンド業界の勢いは一挙に萎んでしまった。華やかだった1年前の年末が嘘のような平成2年の忘年会だった。平成3年は年明けとともに酷い事態が到来した。幸田トレーディングの大きな得意先2社の手形が不渡りとなった。幸田が負った実損は2億を越えた。『営業部長として一体どこを見ていたのか』、川島はここぞとばかりに社長から激しい言葉を浴びせられることとなった。川島は一切の反論を自らに禁じた。色々と言いたいこともあったが、何を言っても言い訳、自己弁護にしか聞こえないだろうと思ったからであるし、元来、潔い性格だった。この屈辱は仕事で晴らせば良いのだと強く誓った。しかし、向こう1年の給与3割カット、賞与5割カットを言い渡された時には愕然としたものを感じた。もちろん、それだけ大幅な減給を受けても、十分に妻子を養ってゆけるほどの年収があったから、問題ないと言えば問題なく、プライドが大いに傷つけられたということだけのことだった。

                       

                      それから約1か月後、川島が海外出張から戻って出社すると、社長が不在だった。女子社員に聞くと、どうやらゴルフらしいとのこと。『なんとまあ、呑気なもんやな、こっちは色々と知恵巡らし、シンドイめしながらっちゅうのにな』と思わず女子社員に向かって愚痴ってしまった。どうも社長とは噛み合わなくなってきたのを強く感じていた。しかし、一体どういう了見なんだろう、こんな時期に平日ゴルフとは。まともな神経なら、ちょっと有り得ないだろうと、どんどん腹立ちが収まらなくなってきた川島だった。それから数日後、川島は早朝、7時過ぎに出社した。経理の帳簿を見るためだった。最近の接待交際費の項目を見た。唖然とするほどの金額だった。一体何に使っているのか詳しく知る必要があった。パソコンに入力する前の手書きの原簿を探した。割と簡単に見つかった。社長と専務はほぼ毎週末、ゴルフに出かけて経費で落としていた。そればかりではなく、週に3度は訳の分からぬ飲み食いも交際費で支払われていた。昨日のランチのわずか2千円ほども付けられていた・・・・

                      何かが川島の中で音を立てて壊れたのが分かった。

                       

                      これまで常に先頭に立って戦場を駆け巡ってきたのに、後方から銃弾を浴びた心境だった。社員全員に苦労を強い、川島の給与を下げ、それで自らは遊興三昧か。呆れ果てて笑えてきた。やってられない、こんな奴らとは早々にオサラバだ。川島は強く決心したのであった。

                       

                      4月11日、Antwerpダイヤモンド街。ミカエルは、コディアム社の社長室でアルノンと向かい合っていた。

                      「どうして、僕が日本に行かないといけないんですか? 他の誰か、マネージャー3人のうちの誰かで良いのではないのかと思いますが」

                      「ミカエル、お前でないといけないんだよ、身内でないとな」

                      「な、なんと」

                      「東京にオフィスを持って、そこに大量の商品を置く。その保全が大事だ。社員ではダメなんだ。安心して任せられるのは身内しかいないんだよ」

                      「身内と思っていただけるのですか?」

                      「どうやら、お前は、俺の兄貴の遺児らしい。興信所に頼んで調べてもらった訳じゃないが、どう考えてもそうに違いないと思うようになってきた。いや、お前と初めて出会った時からそう思っていたが、その時にはあまりに偶然過ぎて目の前のことを信じ難かったのだよ。実は、俺は今でこそゴルダという姓を使っているが、これは商売のための通称だ。本当の姓は、お前と同じだ、ゴルゴフスキーなんだよ」

                       

                      4月13日、大阪、南船場。朝から川島は幸田社長の長口上を聞いていた。『キミが望むことを何でも言って欲しい、どうやったら会社に残ってくれるのか、一生懸命考えてほしい。不満があれば、なんでも聞く。言ってくれ』など等。ゴルフだけではなくて、歌も上手で芸達者の社長は友人としてなら最高の人だと常々感じていたが、もう一緒に仕事することはご勘弁願いたいと、川島は心底思っていた。給料の件、社長の遊興の件は退職願を書く引き金となったことは事実であったが、それらは枝葉末節であった。もう根のところで社長とはダメだった。買い付けのセンスのなさが救い難いとかなり前から思っていたし、朝令暮改に苦しめられたことも度々で、自分に甘く社員に厳しくであり、そして何よりもチキンのハートが耐え難く、川島はヘイトしていたのだった。しかし、そんなことは言える訳がなかった。ひたすら、自分の夢を語った。これまで経験してきたことを生かして次のステップに進みたいのだと何度も繰り返した。幸田トレーディングにいては出来ないことをやらせてくれるところに行くことが決まっていると適当な作り話をした。そんな話を簡単に信じる社長ではなかったが、もう説得する材料も尽きてきたようだった。

                       

                      4月15日、Antwerpダイヤモンド街。アルノンとミカエルはまたオフィス内で向き合っていた。

                      「なんとか、おぼろげながら東京でやることが見えてきましたが、僕は日本語を全く話せません。Antwerpに来るバイヤーたちのように英語がしゃべれる日本人ばかりじゃないでしょう、誰か手助けしてくれるのですか?」

                      「そうだ、その点も全く心配いらない。お前が安心して仕事できるように、英語が上手な日本人をヘッドハンティングしようと目論んでいるだよ。上手くゆけば、お前が良く知っている男が来ることになる、いや、もう多分、大丈夫だろう」

                       

                        ― 続く ―

                       

                       

                       

                       

                       

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